日本のクイーン・オブ・アスリートは寂しがり屋。ヘンプヒル恵の素顔

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2020年09月22日 11:22  webスポルティーバ

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〜クイーン・オブ・アスリートを目指して〜
ヘンプヒル恵インタビュー プライベート編

◆競技編はこちら>>

 2日間にわたり、七種目(100mハードル、200m、800mを走り、走り高跳び、走り幅跳び、砲丸投げ、やり投げ)を戦い、総合力を競う七種競技。その競技で、日本選手権3連覇を達成し、日本記録に迫る自己ベストを持っているのがヘンプヒル恵(めぐ/アトレ)である。

 競技編では七種競技の話を中心に、ケガを経験して変化した心情や東京五輪延期の影響など、アスリートとしてどう競技と向き合っているのかを語ってもらった。このプライベート編では幼少期の話から大学時代まで、競技を離れたところから見えてくる、あらたな一面を一問一答で掘り下げていく。




――陸上を始めたきっかけは?

 中学校に入学したとき、1年生に向けた部活動紹介を陸上部の先輩たちがしていたんです。みんな短髪でTシャツイン、真っ黒に日焼けをしているその姿を見て「この人たちガチだ。本気でやっている」と感じたんです。陸上部に入りたいというよりも、「この人たちかっこいいな」っていう気持ちの方が先でした。何かやるなら本気でやりたいと思う性格なので、そのテンションのままダッシュで家に帰って「私、陸上部に入る!」と両親に言いました。びっくりしていましたね(笑)。

――幼少期はどんな子供でしたか?

 小学生のころは、友達は男の子ばかりで、サッカーやドッジボールなど、休み時間はずっと外で遊んでいるタイプでした。けんかになっても、男の子を泣かせてしまうこともよくありましたね(笑)

――陸上に限らず、スポーツは何かしていましたか?

 小学校4年生から6年生までハンドボールをやっていました。そこで投げる感覚を覚えたので、初めてやり投げをした時は思ったよりもスムーズに投げることができて、ハンドボールが役に立っていると感じました。




――七種競技はどういった経緯で始めたんですか?


 中学3年生の時に、陸上部の顧問の先生から「(中高一貫の)高校では400mハードルと七種競技のどっちがいい?」と聞かれたんです。混成競技もやりたいわけではなかったけど、400mハードルがどうしても嫌だったから、消去法で七種にしました。今思えば、何でその2つの選択肢だったのか、不思議なんですけど(笑)。

――初めての海外遠征はいつですか?
 
 高校2年のときに、ウクライナへ世界ユース選手権で行った時です。自分の力を試すというよりも、初めて行く場所はどんなところだろうというワクワク感のほうが強かったです。

――初めての海外の選手と戦った感想は?

 初めて戦った海外の選手たちはすごく大きくて、体つきも全然違いました。「日本では(自分も)大きい方だと思っていたけど、ここでは全然小さいじゃん。同じ17歳なのに一生懸命頑張っても届かないレベル。ここからこの差をどう埋めようか......」という不安も漠然と感じていました。

――自分はどんな性格だと思いますか?

 陽気で「大丈夫、何とかなるよ」っていう父の性格と、慎重な母の性格を半分ずつもらっていると思います。混成競技をやっていてそれはすごく感じるんですが、うまくいかなかった種目から気持ちを切り替えられるところは父に似ていて、逆に、大丈夫なときほど慎重になるのは母似だと思います。

――大学進学では東京の大学を選択し、環境をガラッと変えましたよね。

 そうですね。何かを変えなきゃいけないタイミングだなって思っていただけに、「失敗してもいいから変えたほうがよくない?」と思ったんです。この競技をやっていて、安定を求めるのなら私のやりたいことじゃない、と。

――ホームシックにはなりませんでしたか?

 大学4年間は寮生活だったんですが、最初は本当につらかったですね。1年から4年まで一緒の4人部屋で、1年生の時は仕事も多くて。家にも帰りたいし、本当にきつくて毎晩、カーテンを閉めたベッドの上で声を殺して泣いていました。

――徐々に慣れてくると寮生活はどうでしたか?

 大好きになりました。練習はすごくきつかったんですが、疲れ切って帰ってきてもみんながいるので、『今日はこういうことがあったんだよね』と話ができる。ため込まずに話せることで、結束力が強くなっていきました。『明日も頑張ろう』と励まし合うことですごく救われました。

 部屋替えが半年に1回あって、その度に新しい部屋のメンバーでご飯を食べに行ったり、パーティーをしたりするのが楽しかったです。餃子を焼いたり、お好み焼きや、たこ焼きをしていましたね。

――練習以外での楽しみは何がありますか?

 大学時代は、休みの日に友達と出かけるのが楽しみでした。事前に調べて『これを食べに行こう』と渋谷に行ったり。ほかにもカラオケに行ったり、ディズニーランドに行ったりしていました。とにかく計画して、それを実行して帰ってくるのが好きでしたね。調べる段階から楽しいので、それがストレス発散になっていました。

 就職してからは、朝から出かけると疲れてしまうので、午後からランチを食べに行ったりして、ゆったりとすごしています。最近はあまりできていませんが......。

――大学生の頃は寮生活でいつも仲間と一緒にすごしていて、今はひとり暮らしだと思いますが、寂しくはないですか?

 寂しいです。寂しすぎて、用事がなくても大学時代の友達に電話をして、会話をしないままつなぎっぱなしにしていることもあります(笑)。

――就職して2年目に入り、大人になったなと感じることはありますか?

 以前は苦手だった「自分の思いを言語化する」ことができるようになりました。試合後にメディアに向けて話すときも「なんて言えばいいんだろう......」って止まってしまうことがあったんです。それが、今はだいぶ頭の中で整理して伝えられるようになりました。

 あともうひとつ! 去年、陸上教室を福井で開いて小学生に教えたんです。その時に、ひとりの子が『先生、これどうやったらいいんですか?』と聞いてきてくれて、それで『えっ、私先生に見えるの?』って思ったんです。それまでは私も指導者の話を聞く立場で、教えてくれる人が大人だと思っていたのに、今は私が小中学生からは私が大人に見えるんだって、びっくりしちゃいました。

 以前コーチが、「大人と子供の差は、与える側か与えられる側かの差だ」と言っていたのを思い出して、「今の私はこの子たちにとっては与える側なのかもしれない」と考えると、自分が大人になった気がしましたね。

――ご両親は試合には必ずかけつけてくれていますよね。

 はい。感謝の気持ちを込めてボーナスで箱根旅行をプレゼントしました。

――就職して応援してくれる人も増えたとか。

 それまで陸上を知らなかったはずの会社の人たちも、七種競技にすごく興味を持って応援をしてくれています。そういう気持ちがすごくうれしかったので、今はシンプルに応援してくれる人や会社のために頑張りたいと思っています。

プロフィール
ヘンプヒル恵(ヘンプヒル・めぐ)
1996年5月23日生まれ。京都府出身。アトレ所属。
七種競技/100mハードル
アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた。
中学生の時に陸上競技と出会い、中学3年で全日本中学体育大会の四種競技で優勝。
高校3年で出した七種競技の日本高校記録(5519点)は、いまだ更新されていない。
大学では日本選手権3連覇を達成している。

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