元祖天才が久保建英を詳細に分析。「消えた天才たちとは明確に違う」

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2020年09月28日 06:51  webスポルティーバ

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日本サッカー界の「天才」ランキング>>

小学生のころから「天才」と注目され、19歳でスペインリーグ上位のビジャレアルでプレーするようになった久保建英。日本サッカー界には10代から「天才」と呼ばれた選手が多数いたが、久保の現在のプレーぶりはそうした選手たちとは一線を画すようだ。過去と現在の天才にどんな違いが出てきたのか。選手時代は16歳でトップチームデビュー、引退後は育成年代のスペシャリストとして20年以上選手を指導している「元祖天才」、菊原志郎氏に話を聞いた。

◆ ◆ ◆

 中学3年時の15歳で読売クラブ(当時/現東京ヴェルディ)のトップチームに昇格し、高校1年時にデビュー。のちに日本代表でもプレーした菊原志郎氏は「元祖天才」だ。

 1996年に引退後は指導の道に入り、一貫して育成年代の選手の指導に携わった。吉武博文監督率いるU−17日本代表『94ジャパン』(※94年以降生まれ)では、U−17W杯でベスト8に進出したチームのコーチを務め、中島翔哉、南野拓実、室屋成、鈴木武蔵などに「近い将来、A代表に入るために」という視点から指導し、成果をあげてきた。

 そんな菊原氏は、日本の若きタレントである久保建英をどう見ているのか。

 自身もテクニック溢れた選手だった菊原氏は「久保選手のいちばんの特徴は、技術の高さだと思います」と語る。




「ドリブルやシュートの技術は、間違いなく高いものがあります。ボールが足元から離れず、相手をよく見ながら、いつでも、どんなプレーもできるような持ち方をしています。オフ・ザ・ボールの準備もすごくいいので、ボールの受け方がうまく、ファーストタッチの技術も日本人選手のなかではズバ抜けていると思います」

 サッカーは、ボールを受ける前の準備ですべてが決まると言っても過言ではない。味方、相手の状況を見て、スペースはどこにあるか、どこでボールを受ければチャンスになるか。この段階において「久保選手は、周りの状況を把握する力、いわゆる認知力がすごく高い」と菊原氏は賛辞を送る。

「ヨーロッパのチームはプレッシャーが速く、守備も厳しいです。そのなかで、相手のプレスをどうかわしていくか、どうすれば、次に自分がしたいプレーに入れるかといった部分は、子どもの頃から習慣化されているような気がします」

 さらに、こうつづける。

「日本人選手が海外でプレーするとなった時に、最初に直面するのが、日本とは異なるプレッシャーの速さ、強さです。久保選手は幼い頃にスペインでプレーしていましたし、日本に戻ってきてからは、常に自分の年齢より上のカテゴリーでプレーしていました。レベルの高い環境、年上の選手とプレーすることで努力を重ねながら適応していった経験が、いまに生きているのではないかと思います」

 久保の歩みを見ていると、10歳でスペインに渡り、13歳で帰国後、FC東京U−15むさし、FC東京U−18、U−23、トップチームでプレー。年代別代表では、中学生時にU−19日本代表に選ばれ、15歳でU−20W杯を経験。17歳でA代表に選出されるなど、常に上のカテゴリーでプレーしてきた。

 いわば飛び級の連続だったわけだが、菊原氏はその重要性を、自身の経験も踏まえてこう語る。

「僕が中学生時代に飛び級していなかったら、成長のスピードが遅かったと思います。いわゆる天才と呼ばれてきた選手って、中学生や高校生ぐらいまでは、よっぽど高いレベルに行かない限り、それほど苦労しないんです。でも久保選手は常に上のカテゴリーでプレーしてきたので、経験値はすごく高い。それは、いままで天才と呼ばれてきた選手とは、明らかに違いますよね。いま19歳ですが、30歳ぐらいの経験値を積んでいるのではないでしょうか」

 菊原氏は中学3年生時に、当時の日本代表が居並ぶ、読売クラブのトップチームに昇格した。紅白戦では加藤久、都並敏史、松木安太郎といった代表クラスとマッチアップすることが多かったという。

「当時の読売は日本代表選手ばかりで、最初はプレッシャーの速さや球際の強さなどに戸惑いました。でも半年から1年が経つと、ボールを奪われたり、身体をぶつけられたりしながら、相手との距離感やかわすタイミングなど、トップレベルのプレーに順応していきました」

消えていった天才Jリーガーたち>>

 過去を振り返っても、日本サッカー界に天才と呼ばれる選手はたくさんいた。しかし、順風満帆にキャリア重ねていけた選手はそれほど多くはなく"消えた天才"など、ネガティブな表現をされることも少なくない。

 菊原氏はその理由を「現代サッカーが組織化し、高度化してきたので、どのポジションの選手にも、オールラウンドな能力が求められるようになってきたからではないでしょうか」と分析する。

「僕もそうでしたけど、かつては得意な部分を徹底的に伸ばすのが、よいことなのだと考えられていました。でもいまはサッカーが組織化し、高度になってきています。攻撃も守備もできて、組織の一員としてプレーする戦術理解もあって、そのなかでスペシャルな部分を発揮できる選手でないと、評価されなくなってきています」

 現在のサッカーは、FWは攻撃だけ、DFは守備だけをしていればいいわけではない。2019−20シーズンの欧州チャンピオンズリーグ決勝を見てもわかるとおり、ネイマールでさえも、守備のタスクを課される時代だ。

「サッカーを受験勉強に置き換えると、かつては100点の科目があれば、0点の科目があっても目をつぶってもらえました。でもいまは、FWにも守備の能力が求められ、センターバックにも足元の技術が求められます。ヨーロッパのトップレベルのクラブであれば、いくらドリブルがうまくても、守備が苦手、戦術的な動きができない選手は、試合に出られません。久保選手がこれまで天才と呼ばれてきた選手と違うのは、できないことをそのままにしておかなかった部分だと思います」

 そう言って、菊原氏は久保の中学時代の恩師とのエピソードを明かした。久保はスペインから日本に返ってきて、FC東京U−15むさしに加入した。当時の監督は中村忠氏(現FC東京U−18監督)。菊原氏の読売時代のチームメイトである。

「ミニラ(中村監督の愛称)が久保選手に、利き足とは反対の右足を『あまり使わないんだね』と言ったら、すぐに練習して積極的に使うようになったそうです。FC東京のトップチームに昇格した時も、長谷川健太さん(監督)に『守備面が足りない』と言われて、最初は苦労したみたいですけど、少しずつ守備もレベルアップしてきて、試合で活躍するようになりました。久保選手は、自分の足りない部分に対して意識的に取り組み、改善していく力が強い印象があります。そこが、いままで天才と呼ばれた選手とは違う部分ではないでしょうか」

 ヨーロッパのサッカーが高度に組織化、戦術化してきた以上、チームの一員として課されたタスクをこなした上で、スペシャリティを出すことが求められている。「ボールを持ったらうまいんだけど...」という選手は評価されなくなり、ファンタジスタが組織のなかでハードワークするのが、現代サッカーだ。




 菊原氏は「その姿勢は、日本代表として世界を相手に戦う時にも重要になる」と言う。

「僕がU−17日本代表のコーチとして、世界大会を戦って感じたのは、ひとりでも守備をサボる選手がいたら、ブラジルやスペイン、フランスからボールを奪えないし、ましてや勝てないということ。それは中島翔哉や南野拓実にもかなり伝えました」

 南野がイングランドのリバプール、中島がポルトガルのポルトでプレーするなど、彼らがヨーロッパで高く評価されているのは御存知のとおりだ。菊原氏自身、育成年代の指導について、次のように感じている。

「その選手の目標はどこにあるのか。日本代表なのか、ヨーロッパで活躍することなのか。それを明確にした上で、得意な部分を伸ばしながら、苦手な部分をなくす。戦術的なサッカーのなかでチームの役割を果たしながら、自分の能力を出せるような育て方をしていくのがいいと思います」

「日本の育成もたくさんの経験を経て、よい方向に向かってきていると思う」と語る菊原氏。日本にも久保や南野、冨安健洋など、攻守に戦術的な動きができて、スペシャリティを持った選手は、ヨーロッパのマーケットでも高く評価されている。彼らの成功例にならい、日本サッカー全体として、どう選手を育成すべきかという道筋が見えてきたのではないだろうか。

菊原志郎
きくはら・しろう/1969年7月7日生まれ、神奈川県出身。小学4年生から読売クラブ(現東京ヴェルディ)でプレー。16歳でトップチームの試合にデビューし、以後同クラブの中心選手として活躍。Jリーグではヴェルディ川崎、浦和レッズでプレー。引退後は東京ヴェルディの育成組織や、U−17日本代表、JFAアカデミー福島、横浜FMジュニアユースでコーチや監督を務める。現在は中国スーパーリーグ・広州富力のアカデミーダイレクターとして、クラブの育成部門を統括している。

このニュースに関するつぶやき

  • 菊原志郎、クラッシャーラモスの犠牲者だよな
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  • >久保建英の特徴_すまないんですが、地獄のミサワ作品の登場人物みたいっていつも思ってテレビを見ています。
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