「私たちは存在するし、バケモノではない」バイセクシュアルが直面する差別

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2020年09月28日 09:00  HARBOR BUSINESS Online

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 その時、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」が流れていた。

 「さっきの映画みたいに同性同士でキスしたいなんて思ったことないわ。みちるはどうなの?」と緊張した面持ちで母が訊いた。

 「あるよ」と私は答えた。「私、バイセクシュアルなんだ」

 母は黙って台所に向かった。すすり泣くような声が聞こえた。

 先週はバイセクシュアル・ウィークだった。1999年から始まったもので、バイセクシュアル・アイコンとして有名なクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの誕生日が9月であることから9月23日がバイセクシュアル・デイとされているためだ。

 そこで、この記事ではバイセクシュアルが直面する差別という問題を取り上げたい。バイセクシュアルである私自身の体験に加え、バイセクシュアルの友人たちにも話を聞いた。

 バイセクシュアルに対する差別は、バイセクシュアルのステレオタイプ化とバイセクシュアルの消去の2つに大別することができる。

◆バイセクシュアルのステレオタイプ化

 バイセクシュアルに対しては、世の中でのロールモデルや創作物での表象が少ないことから、偏狭なステレオタイプ化がされることが多い。ここにはその一部の例を集めた。

 バイセクシュアルへのステレオタイプのひとつに「彼女も彼氏も両方必要なんでしょ?」「恋愛が2倍できていいね」というものがある。女性と付き合っているときでも、男性と性行為したいと思うのではないか、逆もあるのではないか、というのがそのステレオタイプだ。

 また、さらにそこから派生して、「性的に奔放なんでしょ?」「絶倫なんでしょ?」「性経験が豊富なんでしょ?」といったステレオタイプもある。この背景には、バイセクシュアルは男性と女性両方との性経験があることを前提とする考え方があり、そのためには多くの性経験を持っているに違いないという決めつけがある。

 しかしこれらは間違っている場合も多い。そもそも男性と女性両方との性経験がないバイセクシュアルもいる(異性との性経験がない異性愛者がいるように)。ただし、こういったステレオタイプが当てはまる人もいるし、当てはまることは決して悪いことではない。複数人と恋愛をするポリアモリーという関係性の持ち方もあり、それは否定されるべきものではない。ただし、それは端的にバイセクシュアルとは別の概念なのである。

 そもそも一口にバイセクシュアルといっても多様性がある。性的に複数の性別に惹かれるという点が共通しているだけで、そのセクシュアリティは様々だ。それを勝手な決めつけで分かったような気にならないでほしい。

 “絶倫のバイセクシャルに変身し全人類と愛し合いたい” (枡野浩一『ハッピーロンリーウォーリーソング』)

 こんな有名な短歌がある。どうもこの歌人にとって、「絶倫のバイセクシャル」は変身するにはもってこいのバケモノであるようだ。

◆ユニコーンをハントする?

「私たちの関係にスパイスを加えてくれるバイセクシュアル女性を募集中」

 こうした書き込みがTinderなどに見られることがある。

 上記のようなステレオタイプから派生して、「ユニコーンハンティング」というものが行われている。「ユニコーンハンティング」とは、異性愛のカップルが関係をオープンにし、彼らの性的関係に加わる相手をバイセクシュアル女性のみに絞って探すことだ。バイセクシュアル女性は「性的に奔放」というイメージから、3Pの相手として狙いを定めるのである。「女と女との浮気は浮気ではない」という同性愛の軽視も、その背景にはある。

 こうして、バイセクシュアル女性は単にカップルの関係にスパイスを加えるモノのように扱われてしまうのである。

◆バイセクシュアルの消去

 バイセクシュアルが直面する差別はこれだけではない。

 英語圏で”Bisexual erasure“(バイセクシュアルの消去)と呼ばれている現象がある。これは、バイセクシュアル(特に男性)の存在自体を否定するもので、さらには同性愛と異性愛の「選択」を迫ることにもつながる。

 その背景には、異性愛中心社会とLGBT+コミュニティが分断されている状況があると推測される。異性愛中心社会がLGBT+を外部に追いやるがゆえに、分断が強化され、「どちらかを選べ」という圧力が生まれることになる。

◆バイセクシュアルは存在しない?

「ごめんね、僕はバイセクシュアルなんだ」フレディ・マーキュリーは告白した。

「いいえ、あなたはゲイだわ」当時の恋人のメアリーはそう返した。

 映画『ボヘミアン・ラプソディ―』に出てくるワンシーンだ。私はこのシーンを見て、とても悲しい気持ちになった。なぜフレディは謝ったりしなければならないのか、なぜカミングアウトした直後に自分のセクシュアリティを決めつけられたりしなければならなかったのか。

 それは、「そもそも男性のバイセクシュアルは存在しない」という奇妙な言説が、一般社会においてもLGBT+コミュニティにおいても流布しているからだ。実際、新宿二丁目のミックスバーでも、私が「バイセクシュアルだ」と言うと、ひとりのゲイにこう言われたことがある。

「ああ、女性ならいるよね。男性でバイセクシュアルって言う奴は、ほとんどゲイだって認めたくないだけの奴だよ」

 私は女性のバイセクシュアルだが、それでもひどく気分を害した。バイセクシュアル男性の知人は数人いるし、まるで彼らの存在自体を否定されたような気がしたからだ。

  男性のバイセクシュアルだけでなく、女性のバイセクシュアルも消去されることがある。「偽物」「嘘つき」「半端者」、そんな言葉が影のようにバイセクシュアル当事者たちに付きまとう。

◆「私と付き合うなら、二度と男と付き合わないでほしい」

「私と付き合うなら、二度と男と付き合わないでほしい。男にだけは走らないで」

 好きな人にそう言われたとき、私はバイセクシュアルなんてやめたいと思ってしまった。この人が望むならレズビアンになる、と。けれども、そのとき私は自分が深く傷ついていたことに気が付かなかった。

 同性と別れて異性と付き合うバイセクシュアルのなかに、結婚や出産を目的としている人も少なからず存在しており、LGBTコミュニティのなかでそれを問題視する声もある。そのため、実際にセクシュアルマイノリティの女性向けの出会い系アプリでも、「NGなセクシュアリティ」の欄にバイセクシュアルと書いてあるプロフィールを多く見かける。

 また、同性または異性と交際した途端に、同性愛者または異性愛者を「選択した」と誤解されることもある。「やっと本当のセクシュアリティが分かったんだね」ということである。

 しかし、バイセクシュアルという性的指向は存在するのだ。それを否定して、同性愛か異性愛の二択を迫ったり、LGBTコミュニティのなかで除け者にしたりするのは、当事者のアイデンティティを否定し心を傷つける行為だ。

◆バイセクシュアルは存在するし、バケモノではない

 バイセクシュアルであることは良いことでも悪いことでもない。ただシンプルにひとつの性的指向である。それなのに、世の中でのロールモデルや創作物での表象の少なさのために、存在を消去されたり、ステレオタイプの偏見を持たれたりしてしまう。

 この記事を読んで、少しでも自分が偏見を持っていたかもしれないと気が付いて頂けたら嬉しい。バイセクシュアル当事者も含めて、最初から偏見を持っていない人などほとんどいない。まずは自分が偏見を持っているということを理解することがスタートだ。

 バイセクシュアルは、存在する。バイセクシュアルは、バケモノではない。あなたとは「違う」かもしれないけれども、「同じ」人間だ。

<文/川瀬みちる>

【川瀬みちる】

1992年生まれのフリーライター。ADHD/片耳難聴/バイセクシュアル当事者として、社会のマイノリティをテーマに記事や小説を執筆中。

Twitter:@kawasemi910

このニュースに関するつぶやき

  • 僕もポリアモリーは否定しないが、子供を作らないのが条件かな。ズーフィリアはプラトニックを条件に認めている。
    • イイネ!1
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  • 男も女も相手にするなんて頭の中どうなってるの?趣味よね?
    • イイネ!21
    • コメント 2件

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