アラフィフの恋愛には複雑な事情があるーー窪美澄『私は女になりたい』が描く、女性の人生

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2020年09月30日 10:01  リアルサウンド

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 様々な境遇にある女性を描き続けている窪美澄という小説家は、ほっと包み込むようなぬくもりを持つ作家だと思う。人にはそれぞれに事情があり、辛く耐え難いこともある。窪は、そんな我々読み手の背中を、登場人物を通じてそっと優しく押してくれる。


 最新作である『私は女になりたい』は、渋谷を主な舞台とし、一人の女性を描く小説だ。


 渋谷は勤務地があることから長年定点観測のように眺めているが、本当に不思議な街だ。決して広くない地域に色々な業種の店舗が所狭しと並び、それを取り囲むように公園や高級住宅地がある。国内の中でも特に人の入れ替わりが激しいのではないだろうか。再開発も進んではいるが、過去から積み重なる人の息づかいがリアルに感じられる街でもある。


 主人公の奈美は、渋谷の高級住宅街で美容皮膚科のクリニックを開く40代の院長。医者としての彼女の確かな腕により顧客がつき、有能なスタッフにも恵まれ仕事はうまくいっていた。しかし、プライベートでは離婚を経験し、様々な事情を抱えていた。そんな時、結婚前に薄毛の治療の為に来院した「犬のような笑顔」を持つ33歳の公平が現れる。


 最初は医者と患者の関係だったが、公平からのアプローチもあり恋愛関係に発展していく。最初こそ公平との年の差にためらい、加齢による心身の変化を気にしていたが、2人で過ごす楽しさや安らぎによって徐々に心のわだかまりを溶かして素の奈美の姿が現われていく。だが、素になってしまった感情は決して無垢なものではない。



若返りたい、という希望は、美醜にこだわる欲望は、女の方が格段に強いと私たちは思う。花の命は短くて。そう、女が女でいられる時期は、女が、そして男が思っている以上に短い。そのときも不意に浮かんだ。自分のことだ。女として枯れかけている。レーザーで肌を焼き、薬剤で表面を溶かし、皺やしみをとり、四十七歳には見えない、とまわりの誰かに言われても、自分はもう女ではないという事実にうちのめされる気がした。



 これまでの来し方や生活が顕になり、奈美の女としての屈託が目立つようになってしまう。公平が気にしないような些細なことでも、彼女にとっては捨て去れないものであったりする。彼の行動や考えを時折「幼い」と感じることもあった。しかしその彼の若さに救われながら、相手を思いやる余裕が生まれていく。それは、彼女に施術されて、今とこれからをほんの少しリセットしていく顧客の女性達の姿にも通じているように思える。


 彼女に関わる他の男達の存在も見逃せない。どこか達観している大学生の息子、カメラマンであり時々金をせびりにくるかつての夫、クリニックを金銭面などで援助し理解があるように見せながらも彼女を縛ろうとする老人。また、学生時代に自分を捨てた実母や、クリニックの女性スタッフ、公平のかつての婚約者といった女性たちも登場する。


 母、妻、娘、女、医者というそれぞれの自分をもがき続けながらも受け入れていく姿が、窪美澄ならではの筆力で、切実に身に迫ってくる。公平と付き合うきっかけとなった渋谷の焼鳥屋や百貨店内の美術館、そして、彼の故郷の神戸。場所が互いの関係性を映し出す描写も素晴らしい。


 物語の冒頭は50代の彼女の姿から始まる。これが最後の恋と思っていたのに、それから2人はどうなっていくのだろうか。女性にとって、年月そして年齢が引き起こす感情の揺れを改めて思い知らされる。



「奈美はなんか鶴みたいや。一匹ですくっと立っている鶴がおるやろ、あんな感じ。なんというか、もう怖いもんも、悲しいもんも、そういう普通の人間が持っているようなもん、そんなもんがいっこもないように見えるときがあんねん。それがな……」
 そう言って公平はゴンドラの外に目をやった。神戸港の、星をまいたような光のきらめきが公平の瞳に映っているのが見えた。
「ちょっと寂しいこともあるんや」



 読み終えて、奈美という1人の人間がしがらみを持ちながらも、女性として自身を解き放っていく姿に、勇気と眩しさを覚えたのは決して筆者だけではないだろう。本書は多くの物語を書いてきた窪美澄の、新たなステージに進むための作品になったはずだ。これからの活躍がさらに楽しみなった。


■山本亮
埼玉県出身。渋谷区大盛堂書店に勤務し、文芸書などを担当している。書店員歴は20年越え。1ヶ月に約20冊の書籍を読んでいる。マイブームは山田うどん、ぎょうざの満州の全メニュー制覇。


■書籍情報
『私は女になりたい』
著者:窪美澄
出版社:講談社
出版社サイト


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