“女性器えぐり取り”殺人犯の告白……「あそこがあるから自分も苦しむ」男を二度寝取られた女【神奈川“阿部定”イズム殺人事件:後編】

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2020年10月04日 20:32  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

 昭和11(1936)6月21日、神奈川県都筑郡二俣川村(現:横浜市地区)。あまりにも有名な阿部定事件の翌月に起こった殺人事件は、「神奈川のグロ殺人」「お定を逆に」「怪奇!開かずの家で多情の老婆惨殺さる」などと新聞でセンセーショナルに報じられた。金子みつ(63)の顔面は鈍器のようなもので殴られ、下半身は鋭利な刃物でえぐり取られていたのだ。

 みつには別居中の夫がいたが、夜になると入れ替わり立ち替わり、みつの家に男たちがやってきていたという。このため最初に疑われたのは、生前のみつと関係のあった男たちだった。

(前編:63歳の“えぐり取られた女性器”――惨殺された「多情な老婆」、男たちとの肉体関係

空振りが続く捜査

「みつと特殊な関係にあったといわれる村民五名を召喚 取調を進めている」(当時の新聞記事)

 村内の若者から老人まで、みつと肉体関係のあった男たちが次々と取り調べを受ける事態となり、「次はうちの亭主や息子が警察に連れて行かれるのではないか」と村の女性たちは戦々恐々としていたという。

「グロ殺人の容疑者追求 容疑者中の同村男性を最も有力なものとして追及を開始したが今のところ凶行当夜とされる十六日夜のアリバイが立っていない」(同)

 追及を行ったのは、阿部定事件の記憶が鮮烈に残る中での類似事件とあり、男女間の痴情の線に引きずられすぎていたのだろうか。

 それでも捜査は進展しない。空振りの取り調べが続いていた捜査本部のもとに「近所の農業・杉本某(60)をめぐり、みつと口論していた女がいる」という目撃情報が寄せられる。任意取り調べの末に犯行を自供したのはみつの知人、59歳の鈴木よねだった。

10年前から男を取り合っていた、みつとよね

 よねは夫と6人の子どもたちと暮らす、髪結の仕事を持つ女だ。みつとは、事件の10年以上前に、近くの51歳の男性と親しくなったが、みつがこの男性に手を出したので喧嘩になった。その後、よねが杉山と肉体関係になったところ、今度もみつが杉山と親しくなり、杉山の気持ちがよねから離れていったのだという。

 単純な痴情のもつれというよりも、男関係をめぐり女の嫉妬が起こした暴走だった。一度ならず二度までも、意中の人を奪われたよねは、怒りに駆られた。夕食を共にするふりをして、みつの自宅に赴く。そしてこう言い向けた。

「二度もこんなことをするなんて人情知らずだね」

 ところがみつは、こう言い返した。

「自分の体で自分が自由にするならいいじゃないか」

 自分が好意を抱いた男に、自分の意思で近づき、良い仲になっただけであり、よねにとやかく言われる筋合いはない……みつはそう思ったことだろう。

 しかし、この一言によって、よねの嫉妬はさらに燃え、怒りの導火線に火がついた。

 玄関口に戻り、そこにあった拳大の石ころを手に取って再び六畳間にいるみつに駆け寄り、顔面を殴りつけたのだ。殴打は一度では止まらなかった。謝り逃げようとするみつを追いかけ、今度はその後頭部を二回、殴打。とうとうみつは絶命した。

 それでも怒りが収まらないよねは、石を投げ捨て、今度は台所にある菜切包丁を手に取った。そして、仰向けに倒れて亡くなっているみつの着物の裾をめくりあげ、「男が殺したように見せかけるため」(当時の新聞記事より)あらわになった女性器に包丁を突き立て、無残にも下腹部をえぐり取ったのだった。

 さらに、これを持ったまま戸外に出て、敷地内の井戸に投げ込んだ。警察が捜索しても見つからなかった下腹部は井戸に投げ棄てられていたのだ。

 まもなく変わり果てたみつの姿を、近所の者たちが発見し、新聞に「グロ事件」「お定事件の逆」と大きく報道される事態になりながらも、よねは素知らぬ顔で、夫と6人の子どもたちとの生活を続けていた。

「おみつさんのあそこがあるから自分も苦しむ」

 63歳のみつ、59歳のよね。彼女たちのもとへ足繁く男たちが通い、愛欲に溺れる日々。よねは幾度もみつに男を奪われ、悪感情を募らせた。一方、よねが言うには、みつもよねを意識していたようだった。

 逮捕当時の供述によれば、

「自分の髪結仕事の邪魔をするために、みつが他から髪結を連れてきた」
「近所の男の家に入浴に赴いた際に顔をあわせると恐ろしい目つきで睨みつけられた」

など、互いに嫉妬心を抱き合う関係だったこともうかがえる。

 よねは逮捕後にこう語っていたという。

「おミツさんのあそこがあるから自分も苦しむようになった。東京の阿部定事件が新聞に出ていたので思いついたのです」

 みつの下腹部をえぐり取る残虐な行為は、やはり阿部定事件をヒントにしていた。

 しかし、定のように懐に抱きかかえて時折口に含むことはなく、みつのあそこは井戸に投げ棄てられた。その井戸水は、葬式などに来た村人たちが何も知らずに盛んに飲んでいたという。

<参考文献>
・「朝日新聞」昭和11年6月
・「アサヒ芸能」(徳間書店)2012年3月
・『明治・大正・昭和事件犯罪大辞典』(東京法経学院出版)

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