落合も認めた打撃で“ヤジ封印”の一発も…短く濃厚だった長嶋一茂の現役時代

5

2020年10月24日 16:00  AERA dot.

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

AERA dot.

写真巨人時代の長嶋一茂 (c)朝日新聞社
巨人時代の長嶋一茂 (c)朝日新聞社
 1988年、ドラフト1位でヤクルトに入団した長嶋一茂は、4月27日の巨人戦で、ガリクソンからプロ初安打となるバックスクリーン弾を記録。「球も全然見えなくて、適当に振った」ことが最良の結果をもたらし、父同様、“持っている男”であることを証明した。

【写真】やはりこの選手!平成で最もカッコいいバッティングフォームといえば…

 ところが、90年に野村克也監督が就任すると、ID野球になじめず、ミーティング中にドラえもんの絵をかいていた一茂の出番は激減し、一転”冬の時代“に突入する。

 そんな不遇の時期にあって、半月余りにわたって、“ミスター2世”らしい輝きを放ったのが、翌91年6月だ。

 6月9日の広島戦。左足首を痛めた正三塁手・角富士夫に代わって先発出場した一茂は、2回に中前タイムリーを放ち、シーズン初打点を挙げると、3回には左中間に2点タイムリー二塁打、4回にも三遊間を破る2点タイムリーを記録し、5打数3安打5打点と大暴れ。「ウソみたい。うれしいですねえ」と本人も半信半疑。野村監督も「怒られるかもしれんが、思わぬところで思わぬ人が打つからビックリ」と目を白黒させた。

 ここからヤクルトは破竹の12連勝で一気に首位浮上。一茂も8連勝を記録した同18日の広島戦まで30打数10安打13打点2本塁打と主軸級の大活躍だった。

 そして、13連勝がかかった同26日の巨人戦も、8回を終わって4対1と勝利目前。ところが、無死一、二塁で吉村禎章の三邪飛を、一茂がポロリと落球したのを境に流れが変わる。1死後、村田真一は三遊間へのゴロ。捕っていれば併殺コースだったが、一茂ははじいてしまう(記録は内野安打)。直後、サードは角と交代したが、ここから完投勝利まであと2人だった川崎憲次郎が4連打を浴び、悪夢の逆転サヨナラ負け……。「川崎に悪いことをしてしまった」の反省コメントどおり、「一茂で始まり、一茂で終わった連勝」だった。

 さらに同年8月31日の大洋戦では、攻守にわたる珍プレーで熊本のファンを沸かせた。

 大洋打線は、7月13日の広島戦以来の先発サード・一茂を狙ってきた。初回、先頭の屋鋪要が三塁内野安打。次打者・高橋眞裕も三塁線にバントした。ファウルになると思った一茂は、捕球せずに見送ったが、ボールはラインギリギリでピタリ。直後、先発・西村龍次は2本のタイムリーと押し出し四球で計4点を失った。

 だが、「ミスはバットで取り返せ」とばかりに、0対4の3回、一茂は中越え二塁打を放ち、無死二塁。ところが、せっかくの反撃モードも、けん制タッチアウトでパーになり、野村監督を「野球センスがないな。ボーっとして。まるで宇宙遊泳するみたいな珍しい選手や」とボヤかせた。

 それでも一茂は熊本のファンから愛されていた。1点差に追い上げた7回1死二、三塁、一茂の打席で野村監督が代打・杉浦享を送ると、スタンドは一斉に大ブーイング。その後、ヤクルトは広沢克己のタイムリーで逆転勝ちしたが、勝利のヒーローも、一茂の強烈なインパクトの前に霞んでしまった感があった。

 翌92年1月、一茂は一大決心して、西伊豆で自主トレ中の中日・落合博満に押しかけ入門。新聞紙を丸めた紙ボール打ちなどの特訓を通じて、基本動作を学んだ。

 落合は「このスイングなら広沢や池山(隆寛)より怖い。池山なら10本や20本離されてても何とかなると思うけど、今のこいつでは10本も離されたら大丈夫かなと思うよ」と潜在能力を高く評価。一茂も「すべてが勉強になった。あとは自分しだい」と自信を深めた様子だった。

 だが、「人間関係をギスギスさせないためにも、(弟子入りに)行く前にコーチやワシに連絡が欲しかった」と不快の意を表した野村監督との溝はシーズン開幕後も埋まらず、一茂はヤクルトのラストイヤーを米1A留学という形で終える。そして翌93年、父・茂雄が監督復帰をはたした巨人へ。

 一茂が改めて“持っている男”であることを示したのが、移籍1年目の4月23日の阪神戦。4回に放った左越えソロが、なんと、セ・リーグ通算3万号になった。

 くしくも父はルーキー時代の58年9月19日の広島戦で一塁ベースを踏み忘れた結果、本塁打を1本損しており、これが回りまわって息子の3万号をもたらした?

 子供の頃、父に野球観戦に連れてきてもらったのに、その存在を忘れられ、球場に置き去りにされた息子が、35年前の父の“忘れ物”を取り戻したとも言える不思議な巡り合わせだった。

 本塁打ネタをもうひとつ。2軍の試合で“怒りのヤジ封印弾”を放ったのが、96年4月10日の日本ハム戦だ。

 開幕を2軍で迎え、この日4番サードで出場した一茂は2打席連続三振。打席に立つたびに、スタンドから年輩の男性が「もう辞めちまえ!」「引退しろ!」とヤジりつづける。

 事件が起きたのは、5回の守備を終えた一茂がベンチに引き揚げようとしたときだった。男性がなおも「辞めちまえ!」などとヤジると、ついに一茂も堪忍袋の緒を切らし、「うるさい!黙っとけ!」と言い返した。さらに「この野郎!降りてこい!」。コーチたちが慌てて駆け寄り、ベンチに連れ戻したのは言うまでもない。

 そして、6回の第3打席、怒りをバットに込めた一茂は、左翼席に豪快な弾丸アーチ。度肝を抜かれた男性はシュンとなってしまった。

 その後、新助っ人・マントの不振から1軍昇格をはたしたが、2時間のバント練習を命じた土井正三コーチに「いらねえよ、あんな奴!」の暴言を吐いて出場停止処分に。皮肉にも同年限りで現役引退となった。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。







このニュースに関するつぶやき

  • 当時、解説者の江本氏が、注意力『散漫』な選手が『3万』号のホームランと言っていて納得したのを思い出した。
    • イイネ!0
    • コメント 0件
  • 落合博満さんは現役時代、アニメ作品でも偉大だった。「ミラクルジャイアンツ童夢くん」より https://www.youtube.com/watch?v=4QhgjdUphV8
    • イイネ!2
    • コメント 3件

つぶやき一覧へ(4件)

ニュース設定