安野モヨコ『働きマン』が伝えた企業戦士へのメッセージとは? 働く女性の20年間の変遷

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2020年10月25日 10:01  リアルサウンド

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『働きマン(1)』

 安野モヨコは、00年代の女性像を的確に捉えた作家の1人である。『花とみつばち』では女性ではなく男性を「花」とし、花から花へ渡るのが女性だと言い切った。そんな現代女性を旧来の男社会に放り込んだのが、ドラマ化もされた安野の代表作『働きマン』だ。この作品と共に働く女性の20年間の変遷を振り返る。


参考:矢沢あい『下弦の月』は名作か否か? 評価が分かれる難解な物語を解説


■24時間戦う女企業戦士


 安野モヨコと言えば、「女子力」という言葉を世に広めた人物として知られている。1998年『美人画報』において「女子は仕事できなくてもいい。キレイなほうがいい!」という文脈で、「超仕事できてもブス」と対立する定義として使用され、それは次第に仕事と美の両立へと変遷していった。


 2004年『働きマン』の主人公・松方弘子は、作者の美の哲学を体現するかのようなキャラクターだ。『仁義なき戦い』の若頭役・松方弘樹のように、いつかはてっぺんを獲る(編集長になる)野望を持っており、男スイッチがオンになると寝食恋愛衣飾衛生の観念が消失して仕事のみに集中し、オフになるとデートの時間や肌荒れを気にする。定期的にリフレクソロジーサロンに通いながら美と疲労回復の両面をケアする、曰く「闘う女」である。


 安野は連載開始1ヵ月前の同年2月に「情熱大陸」にも出演し、「女の仕事は、完璧な身支度に始まる」のナレーションをバックに、翌年のスケジュールまでぱんぱんに詰まった現場で先陣を切って働く映像をファンに届けた。作者自身が働きマンだった訳だ。


 松方弘子が働く「週刊JIDAI」にはモデルとなった雑誌がある。掲載誌「モーニング」と同じく講談社が発行する「週刊現代」だ。


 「週刊現代」は金・女・出世を3本柱に据え発行部数を伸ばしてきた歴史を持つサラリーマンをターゲットにした総合誌であり、主な購買層は男性である(近年の部数減も中高年男性の収入減が大きく関わっている)。


 ゆえに編集にも男性が多く、女性が「週刊現代」の編集長になった事は一度も無い。『働きマン』の作中においても、編集部40人のうち女性が4人しか居ないと説明されており、弘子の職場が男女比率9:1の、旧態依然とした男社会である事を示している。


 弘子は男スイッチが入っても中身は女だ。夜道をつけられれば泣いて彼氏に電話もするし、仕事量が増えれば体力が及ばず倒れそうになる時もある。そんな中でも懸命に働く弘子の姿は、89年に流行したキャッチフレーズ「24時間戦えますか」のあの歌と重なる。まさしく女企業戦士だ。


 掲載誌「モーニング」もまた、20〜50代のサラリーマンをターゲットにした雑誌である。そこで高い人気を博した『働きマン』は、女性だけでなく男性読者の支持を集め、仕事に男も女も関係ない事を、安野モヨコ自ら実証した。


■「女子力」ブームのその後


 2010年代に入ると、仕事と美の両立を図る状況が一変する。


 2010年8月に発売されたAKB48の17枚目のシングル「ヘビーローテーション」がヒットした年、10代女性を中心に黒髪ブームが起こり、自己主張の激しいメイクやファッションが鳴りを潜めるようになる。翌年の板野友美の神7落選がそれを象徴している。


 厚生労働省の研究機関が行った全国調査によると、2002年→2015年のわずか10数年の間に、交際相手を持たない未婚者の割合が男女共に20%も上昇しており、男性に至っては彼女居ない率が7割を超えた。2000年以降の民間平均給与水準の下落が影響し、ファイトマネーを支払えない男性が恋愛への投資に見切りを付け始めたのだった。


 一方の女性も目減りした可処分所得の影響が、ヘアカラー離れ、美容市場の減少という形で表面化する。危機感を募らせた業界は、男性側の根強い清楚系嗜好に目を付け、「女子力アップ」を合言葉に、女性を再び男性の客体となる方向に舵を切らせた。


 今や「女子力」という言葉は批判の対象にすらなっている。かつて女性の口から発せられた力強いメッセージは、「女性はこうあるべきだ」と押し付け、女性の主体性を妨げる要因となっていると、議論の槍玉に挙がる事も多い。


 発言元の安野モヨコは、そんな昨今の社会情勢もどこ吹く風だ。2008年に『働きマン』の休載を発表し、松方弘子と同様に倒れるまで働いた後、2013年に『鼻下長紳士回顧録』で現場復帰。主人公・コレットが働く娼館の内側を「虚構」、外側を「現実」とする独特の世界観を披露した。己のスタイルを決して崩さない、漫画界の高踏派・余裕派である。


 今年10月、『鼻下長紳士回顧録』のブロードウェイでのミュージカル化が決定する。『アナと雪の女王』の舞台を手掛けたアメリカの演出家が、この作品の世界観に惚れ込んだのだ。


 本気で仕事をした結果が、後からついてくる。『働きマン』が全ての企業戦士に伝えた応援句が、今こうして現実のものになった事を、感慨深く思う。


■井上郁
言語学者、フリーライター。英文学・言語学・メディア記号論を専攻。マンガ・アニメ・ゲームを総合文化研究の俎上に載せ、記号論の観点から考察しています。


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