名波浩が振り返る「伝説の一撃」。日本代表のゴールの五指に入る!

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2020年10月25日 11:12  webスポルティーバ

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「史上最強」と称された日本代表
――第4回

2000年アジアカップ。日本は圧倒的な強さを見せて2度目のアジア制覇を遂げた。当時、その代表チームは「史上最強」と称された。20年の時を経て今、その強さの秘密に迫る――。

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 準々決勝のイラク戦を振り返り、名波浩がまず口にしたのは、苦々しい記憶だった。

「事前のスカウティングで『10番(アバス・オベイド・ジャシム)には注意しろ』って言われていたのに、開始5分くらいかな、案の定、そいつにあっさりやられてしまって」

 順当に、というより、あっけないほど楽々とグループリーグを突破した日本は、しかし、準々決勝では試合開始4分にして、いきなりイラクに先制を許した。

「(日本はそれまで)点が取れているチームだったし、まだ時間も十分に残っている。でも、2点差になったらツラいな」

 名波はそんなことを思い、「初戦のスタートと同じように、少し(守備重視で)後ろに重心を置いたほうがいいのかな」と考えていた。

 実際、この大会の日本代表は圧倒的な攻撃力とは裏腹に、若さゆえか、あまりにイージーな失点を重ねてもいた。名波が語る。

「(初戦の)サウジ戦は、(DFの森岡)隆三と(GKの川口)能活がお見合いのような感じになったところから失点して、(2戦目の)ウズベキ戦はセットプレー(でやられた)でしょ。このイラク戦も、クリアミスっぽいのを(ミドルシュートで)ズドンとやられて。この大会は、結構ミスがらみの失点が多かった。ミスしちゃいけないエリアでのミスが失点に直結していたんで、守備の状態としては、そんなによくなかったよね」

 この失点も細かなミスが招いた、ある意味で当然の報いだった。

 小さな綻びに気づくことなくグループリーグを勝ち上がってきたチームが、決勝トーナメントの初戦でつまずく――強豪国が陥りがちな落とし穴に、日本もまたハマる可能性は十分にあった。

「グループリーグが自信になって、先制されても慌てない雰囲気があった」とは、明神智和の弁。とはいえ、「0−1の状態が長引けば、やはりバタバタしたり、焦りが出たりしたと思う」とも認める。




 だが、そんな嫌なムードになりかけた試合を、"伝説のFK"が一変させた。おそらく日本代表史において十指、いや、五指に入るであろう、スーパーゴールである。

 敵陣ペナルティーエリアの右角付近でFKを得た日本は、"スリーピング"を狙っていた。

 スリーピングとは、フィリップ・トルシエ時代の日本代表が、主にCKで取り入れていたオプションのひとつである。ボールをゴール前へ入れると見せかけ、ゴールから離れたペナルティーアーク付近へボールを送り、そこへフリーで走り込んだ選手がボレーで合わせるというサインプレーだ。

 ゴール前に走り込むそぶりを見せず、離れたところで"寝たふり"をしていた選手がシュートを狙う。それゆえスリーピング、である。

 ボールを足元にセットした中村俊輔が、小さな助走からふわりと浮かせたパスを左へ送る。すると、ペナルティーアーク左へフリーで走り込んできたのは、名波である。

 浮き球を確実に捉えるべく、背番号10が小さくコンパクトに、それでいて力強く振った左足から放たれたボレーシュートは、弾丸と化してゴールネットに突き刺さった。

「俊輔からサインが出ていたんで、だいぶ(寝たふりをして)タメて入ってきたと思うんですけど......、よく入りましたよね。練習じゃあ普通、ほとんど枠にもいかないから」

 決めた本人すら驚く、完璧なゴールだった。

 もちろん、これ以前にもスリーピングが試合で使われたことはある。ただし、それは前述したように"主にCK用"のオプションだった。

 だからだろうか、名波曰く、「このゴールはいろいろな機会で取り上げてもらうんですが、『あのCKからのゴール』って言う人が、冗談抜きで8割くらいはいるんだよね。もう訂正するのがめんどくさいから、そうですねって、そのまま答えるんだけど(笑)」。

 だが、正しくは「FKからのゴール」、である。

 ペナルティーアーク付近に送られたボールにワンタッチで合わせるとなると、確かにフリーにはなりやすいが、技術的な難易度は極めて高い。まして、このFKの場合だと、ほぼ真横から来るボールに合わせることになるため、シュートをゴール方向へ飛ばすだけでも、CK以上に難しい状況だった。名波が続ける。

「オレが蹴りやすいように、俊輔は少しアウトに回転をかけたボールを出してくれたし、とりあえず枠に、っていう気持ちはありましたけど、インサイドキックであんな(強い)ボレーをよく叩けたなって思います。もう一回やれって言われても、絶対無理。たぶん100回蹴っても枠にいかない。いってもボテボテが2、3本でしょうね」




 中村俊輔と名波浩。日本が誇るレフティーコンビの高い技術が融合し、生まれた芸術的な一撃は、単なる同点ゴール以上の価値を持っていた。明神が語る。

「イラク戦に関しては、あのゴールがすべてを変えた。落ち着きも出たし、その後の得点にもつながった。同じゴールひとつでも(影響が)違うんだな、と。あれほどきれいに決まると、自分たちには自信になる一方で、相手へのダメージは大きかったと思います」

 名波が「この1点でチームがグッとこう、体重が前にかかりましたよね。同点になってからは、チーム全体がイケイケになった感じでした」と振り返るように、終わってみれば4−1。この試合もまた圧勝だった。名波は言う。

「イラクは前回大会に出ている選手が何人かいて、おそらく国際Aマッチのキャリアとしては、日本より上だったと思います。でも、技でも力でも相手を上回った。最終的には6点くらい入っていてもおかしくないゲームでした」

 実はこの試合、次の準決勝で対戦する中国代表がスタンドで観戦していた。監督のボラ・ミルティノビッチは、彼のトレードマークでもあるビデオカメラを片手に、日本の戦いに熱い視線を送っていた。

 名波は、試合前にそのことが話題となっていたのを記憶している。

「確か、俊輔が(スリーピングなどの)サインプレーは使わないほうがいいのか、山本(昌邦)さんに確認したんですよね。そうしたら、別に隠すことないから、やれるチャンスがあるならやれよ、みたいな感じで。あのFKが、試合に入って一発目(のセットプレー)だったと思います」

 以下は、選手の背中を押した山本の述懐である。

「セットプレーのパターンは山のように持っていたので、隠すという考えはなかったですね。あのFKは見事に決まったけど、それで対策してくるなら、次の手がある。そんなことは大した問題ではないと思っていました」

 危うさを垣間見せながら、またしても完勝で終えた試合を振り返り、山本が続ける。

「経験がないと、(先制されて)気持ちがガクッとなりやすいと思うけど、全然下を向くことはなかったし、慌てることもなく、そこからまたギアを上げる感じだった。そこは、名波とか、上の(世代の)選手たちがうまくバランスとっていたと思います。

 若い選手が多く、同じメンバーでやり込んでいたわけではないので、判断ミスやコミュニケーションミスは起きる。でもそれは、試合を重ねるなかで徐々によくなっていったし、むしろ、そこに伸びしろがあったんじゃないかと思います」

 名波の言葉を借りれば、当時の日本代表は「完成されている感じではなかった」。だが、そんな未完成な部分を「補って余りあるだけの攻撃力があった」。

 日本は初優勝した1992年大会以来、2大会ぶり2度目となるベスト4進出を果たした。

(つづく)

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