ナゴルノ紛争の当事国、アルメニアはどんな国? アルメニア人とユダヤ人の共通点

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2020年10月27日 17:00  AERA dot.

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写真エルサレムでみられるアルメニア陶磁器タイル(写真提供=ニシム・オトマズキン)
エルサレムでみられるアルメニア陶磁器タイル(写真提供=ニシム・オトマズキン)
 イスラエルの古都エルサレムの旧市街は、大きな石塀に囲まれた細い路地が入り組み、迷路のようです。日中でも薄暗い路地を歩いていると美しい陶磁器タイルで彩られたアルメニア人の店が目に入ります。アルメニア陶磁器タイルは、エルサレムのトレードマークとしてとても有名です。1919年、イスラム教の聖地である「岩のドーム」と呼ばれるモスクの修復のために、アルメニア人の職人が来て、モスクを美しく改装しました。今でも黄金のドームと壁面などにあるタイルが美しい対比を見せています。その後職人たちはこの地にとどまり、陶磁器のタイルや食器、タイルを家具にはめ込んだデザイン性のある商品などを制作するようになり、イスラエルの各地で商品が売られています。

 近代のアルメニア国は、黒海とカスピ海に挟まれた旧ソ連の構成国でした。その後旧ソ連の崩壊で1991年に独立を宣言しました。面積は日本の13分の1、人口は290万人という小さな国です。隣接する同じ旧ソ連のアゼルバイジャンのなかにある「ナゴルノ・カラバフ」という地域をめぐって、両国の争いが再開されています。このナゴルノ・カラバフの住民の大多数はアルメニア系ですが、ソ連の一部だったころ、地域はアゼルバイジャンに組み込まれました。アルメニアが独立した年、この地域もアゼルバイジャンから独立すると宣言しました。この時からアゼルバイジャンとアルメニアの間で領土紛争が続いています。その結果、1994年にいったん停戦するまでに双方で市民も含めて約3万人が亡くなっています。アゼルバイジャンから23万人のアルメニア系住民、アルメニアからは80万人のアゼルバイジャン系住民が追い出されています。今年9月になって再び紛争が激化し、ロシアが支援するアルメニアと、トルコが支えるアゼルバイジャンとの間で終わりなき紛争が続いています。

 アルメニアの歴史は古く、紀元前3世紀ごろに始まったといわれています。宗教はキリスト教ですが、独自のアルメニア使徒教会をもち、4世紀にはキリスト教を世界で初めて国教としました。巡礼者たちの集まる聖地エルサレムに、最初の国外のコミュニティーが作られました。小さなグループですが、現在でもエルサレムでその存在感を保っています。
 
 一方で、本来の地域である中央アジアと東トルコにおけるアルメニア人の環境は悲劇的でした。1915年から1923年の間のオスマン帝国終焉の時代、アルメニア人に対する組織的な大量殺人と民族の追放が行われました。アルメニア人は彼らの離散の地エルサレムに逃げてきました。この期間のアルメニア人に対する大量殺人と追放による死者は信じられないくらい多く、約150万人が犠牲になった「アルメニア・ジェノサイド」として知られています。この大量虐殺は20世紀になって初めての虐殺とされています。加害者のトルコはこの情報が広がって巨額の賠償責任が生じることをおそれてこの事件を否定しており、トルコではこの件を話題にすることはできません。

 大量虐殺から逃れてきたアルメニア人は、自分たちの生活を聖地で立て直しました。エルサレム旧市街のユダヤ人、キリスト教、イスラム教の各信者が住んでいる地区に隣接したアルメニア人地区やベツレヘム、さらにイスラエル国内の港町ヤッフォやハイファにもアルメニア人コミュニティーがあります。アルメニア人は世界に交易ネットワークをもっており、エルサレムでも家具や香辛料を世界各地から集めて販売しています。また独自の芸術的な伝統品、とくに冒頭で紹介した青と白で彩られた手作りタイルも有名です。アルメニア人はまた、1857年にエルサレムに写真を最初に紹介しました。

 アルメニア人の宗教はキリスト教だと書きましたが、圧倒的多数はアルメニア使徒教会の信者です。カトリック教会や東方正教会とは少し異なる立場をとっています。また使徒教会という名前の通り、使徒たちの伝道によって伝えられたと言われています。これはアルメニア人の誇りです。アルメニア人はエルサレムやヤッフォに独自の教会を建てました。またエルサレム旧市街にあるイエスがはりつけになったといわれる場所に立っている聖墳墓教会やベツレヘムの聖誕教会などキリスト教各派が聖地とする教会で、カトリック教会・東方正教会と共にアルメニア使徒教会も中心となって共同管理しています。

 大量虐殺がアルメニア人のトラウマの歴史になっているせいか、そのコミュニティーは秘密的です。外国人は、教会に入るには事前に登録しなければならないところもあります。ただ、私がエルサレム旧市街を歩き、アルメニア商店の店員との対話をすると、とても親切で、自分たちの歴史や生活をとても穏やかに話してくれます。また相対的に高い教育を受けている人が多く、アルメニア語はもちろん、アラビア語、ヘブライ語、英語、フランス語、イタリア語など複数言語を話すことができる人も多いです。

 興味深いことに、アルメニア人とユダヤ人は多くの共通点を持っています。世界がグローバル化してひとつになるずっと以前から、アルメニア人はユダヤ人のように世界を旅していました。自分の国も帰る国もない時代です。この地球上でいろいろな場所にユダヤ人とアルメニア人のコミュニティーがあります。そして離散の地でも民族と家族の強い団結を保っています。二つの民族は自分たちの文化と宗教のアイデンティティーを失うことなく、他民族と交易のルートをつくることができます。民族の離散「ディアスポラ」の文学のほとんどは、世界の異なる地域にある民族グループの現状に言及したものですが、ユダヤ人とアルメニア人の事例をもとにしたものだといっていいでしょう。二つの民族が独自の祖国を得たのは最近です。イスラエルは1948年、アルメニアは1991年。ところが、この二つの民族が一番多く住んでいるのは祖国ではなく、実は米国ともいわれています。

 ここに第二次世界大戦中にあったユダヤ人とアルメニア人のユニークな立場がわかる話を紹介します。1942年、旧日本軍がインドネシア・ジャカルタを占領したときのことです。同盟国であるイタリアとドイツの国籍の者は解放して、敵国の米国、英国、フランス、オランダ国籍者は逮捕しました。旧日本軍将校は、ジャカルタにいたアルメニア人とユダヤ人と出会った時、自国をもたない彼らをどう扱っていいかわからず、「その他」として最後には解放してしまったのです。

 現代のイスラエルではアルメニア人はエルサレム、ハイファ、ヤッフォの地域社会において重要な存在で、社会のダイバーシティーに貢献しています。彼らは母国アルメニアとの関係を維持しながら、ユニークな民族性と言語を守っています。私が所長を務めているエルサレムのヘブライ大学付属アジア・アフリカ地域研究所でも、アルメニアに関する多くの研究が行われています。大虐殺だけではなく、歴史、文学、文化や言語といった多様な内容です。面白いことに私が担当している学科でも、何人かのアルメニア人がアニメを愛し、日本を研究するために受講してくれています。

 世界を見渡した時、アルメニア人は強い「離散した結びつき」を維持しており、母国との連帯感も持っている。そして、経済的には成功しているイメージがあるかもしれません。最も有名な「アルメニア人離散家族」は、米国ロサンゼルスの超セレブファミリー・カーダシアン家でしょう。とくにテレビショーの「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」という番組は、14年間も人気です。エンタメ産業や洋服デザインなどのビジネスの分野で顕著な活躍をしている一方、有名人とのスキャンダルもあり、米国では知らない人はいないほどだそうです。

 「ディアスポラ(離散)」という運命に見舞われた民族は多くはありませんが、この悲劇に直面したユダヤ人とアルメニア人は、宗教こそ違えども民族と家族の「絆」で結びついてきました。最後にナゴルノ・カラバフでの紛争が終わり、アルメニア人が世界を旅行できて活躍を続けることができるようになることを願っています。

〇Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレム・ヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。









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  • クソSauer、そんなこと、ウィキで調べればわかるよ。それより、今回の紛争とクルドの関係を書け。
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