アガサ・クリスティーが産んだ名探偵、エルキュール・ポワロの知られざる一面とは?

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2020年10月28日 10:01  リアルサウンド

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 今年2020年は、アガサ・クリスティーの生誕130周年、そして作家デビュー100周年というアニバーサリー・イヤー。著作の累計部数が全世界で20億部を超える“ミステリーの女王”は、今もなお多くのファンを魅了し続けている。


 そんなクリスティーが生み出した探偵の代表格といえるのが、英国で暮らすベルギー人のエルキュール・ポワロだ。クリスティーは『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『ABC殺人事件』『ナイルに死す』など、数々の傑作ミステリーを手がけているが、これら一連の小説に登場する名探偵こそエルキュール・ポワロなのである。


 クリスティー作品は、これまでにたびたび映画化・ドラマ化されてきた。なかでもイギリスで1989年から2013年まで放映されたテレビドラマ『名探偵ポワロ』は、24年をかけてほぼ全ての原作を映像化したシリーズとして名高い。『名探偵ポワロ』は英国のみならず、世界各国で放送されて親しまれた。本作は日本でも1990年にNHKで放映されて以来、全話放送されている。ポワロを演じた俳優デヴィッド・スーシェは、「原作に最も近いポワロ」として賞賛されるなど、ポワロ像を決定づけていった。


「原作に最も近いポワロ」ことデヴィッド・スーシェが主演するドラマ『名探偵ポワロ』全巻DVD-SET

 今回取り上げる久我真樹『『名探偵ポワロ』完全ガイド』(星海社新書)は、このドラマのガイドブックとして刊行された一冊だ。30年来の『名探偵ポワロ』ファンだという久我は、『英国メイドの世界』(講談社)などの著作で知られる英国文化・家事使用人の研究者である。日本におけるメイド研究の第一人者であり、『日本のメイドカルチャー史』(星海社)や『日本の執事イメージ史 物語の主役になった執事と執事喫茶』(星海社新書)を手がけた久我によるガイド本は、ポワロ愛と英国愛、そして家事使用人愛にあふれた力作である。


 ドラマ版全70話を取り上げて、新書とは思えぬ圧倒的な情報量で解説したこの本は、初心者からポワロマニアまでを唸らせる一冊に仕上がった。本書が発売直後から話題を呼び、たちまち重版がかかったというのも頷ける。


 『『名探偵ポワロ』完全ガイド』は、ネタバレなしの各話解説と、ネタバレを明言したうえで著者ならではの視点でシリーズに切り込む6編のコラムで構成されている。原作が推理小説である以上、事件のトリックや真犯人を安易に明かすことは避けたい。だがより深く語るためには、核心に全く触れないままでいるのも難しい。本書はそんなジレンマをふまえたうえで、ネタバレに対するメリハリの利いた構成を採用し、未視聴者や原作未読者に対する最大限の配慮をみせる。


 メインとなる各話解説は、1話あたり2ページが割り当てられている。原作該当作品、主要登場人物、あらすじを紹介したうえで、筆者による見所や注目ポイントが語られていく。はじめは小さな文字でびっしりと埋め尽くされた版面に驚くかもしれないが、すっきりとしたページデザインや、読み応えたっぷりの内容が、多少の読みにくさを忘れさせてくれるだろう。


 「はじめに」で久我は、原作とドラマで異なる要素をふたつ指摘する。長編33編と短編37編の計70作を映像という媒体に落とし込むため、ドラマ脚本ではストーリーの改変やアレンジが行われた。また原作では作品ごとに時代設定が異なるが、ドラマは舞台を1930年代の英国に統一している。


 オリジナル要素が入る『名探偵ポワロ』では、ポワロを筆頭にキャラクターたちの魅力がより一層引き出される作りとなった。ポワロのパートナーを務めるアーサー・ヘイスティングスや、秘書のミス・レモン、ロンドン警視庁のジャップ警部らがレギュラーメンバーとして活躍し、ポワロとの掛け合いや人間ドラマが生み出された。


 原作には登場しない作品にも「ポワロ・ファミリー」を出演させる作風は、第49話「白昼の悪魔」まで続く。だがこれ以降は方針が変わり、原作準拠で物語が展開した。こうした流れをふまえたうえで、久我は原作とドラマの違いに目配りしながら、両者の魅力を詳細に解説する。


 そして何よりも圧巻なのは、メイドや執事をはじめとする家事使用人たちに向けられた熱いまなざしだ。英国文化を語るうえで欠かせない家事使用人の存在や、階級に触れる解説は、まさに久我の本領発揮といえるだろう。ネタバレを解禁したコラムでは、ポワロの探偵像や事件の動機分析といった要素だけでなく、メイドやお屋敷といったマニアックな視点も掘り下げられていく。


 例えば「家事使用人の制服」は、装い面からアプローチしたメイド研究者ならではのコラムだ。なぜメイドや執事が容疑者とはならないのかを解説した「家事使用人は透明な存在なのか?」は、推理小説における家事使用人の立ち位置を説明しており興味深い。ほかにも「あなたの家はどんな家? 事件現場になった家」は、英国文化研究者らしい観点からお屋敷事情を描いている。


 全体を通じてマニアックな視点が打ち出されているが、抜きん出た知識量と、その知識を読者にわかりやすく伝える読みやすい文体はなんとも心地よい。マニア性とバランス感覚に優れた記述は、久我真樹著作の特徴であり、最大の魅力だ。


 ところで、クリスティーの日本語版は、早川書房が翻訳独占契約を結んでいる。「クリスティー文庫」にはほぼすべての作品が収録され、2020年5月からは6カ月連続の新訳刊行企画が進行中だ。また「ハヤカワ・ジュニア・ミステリ」でも、アガサ・クリスティーの傑作集が続々と刊行され、大反響を呼んでいる。原作小説読者にとっても、『『名探偵ポワロ』完全ガイド』はクリスティー世界のよき手引きとなるはずだ。アニバーサリー・イヤーを彩る一冊として、クリスティーの著作とあわせて楽しみたい。


■嵯峨景子
1979年、北海道生まれ。フリーライター。出版文化を中心に幅広いジャンルの調査や執筆を手がける。著書に『氷室冴子とその時代』や『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』など。Twitter:@k_saga


■書籍情報
『『名探偵ポワロ』完全ガイド』(星海社新書)
著者:久我真樹
イラスト:umegrafix
出版社:講談社


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