名球会よりも難しい「永久欠番」。各球団にどんな選手がいるのか

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2020年10月29日 06:51  webスポルティーバ

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 プロ野球で最新の「永久欠番」といえば、楽天の監督だった星野仙一の「77」である。

 激烈なまでの求心力で中日、阪神をリーグ優勝へと導いた「闘将」は、楽天監督初年度の2011年に東日本大震災に見舞われた東北に活気を与え、2013年には球団初のリーグ優勝、日本一を実現させた。

 退任後は、球団副会長としてチームの底上げに尽力するなど多くの功績を称え、逝去した2018年に球団が監督時代の背番号を永久欠番に制定した。指導者として身に着けていた番号としては、日本で唯一無二である。




 今日では当たり前のように認識されている背番号は、1929年にメジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースが最初に採用したと伝えられ、打順が背番号に反映されていたという。

野球界で史上初の永久欠番は、チームの4番打者であり、当時の世界記録である2130試合連続出場を樹立した、ルー・ゲーリックの「4」だった。

 日本における最初の永久欠番は、巨人に在籍していたふたりである。終戦間もない頃に中心選手として活躍した黒沢俊夫の「4」。1934年の日米野球でベーブ・ルースやゲーリックらアメリカ選抜の強打者を抑え、投手の最高栄誉である「沢村賞」の由来として知られる沢村栄治の「14」だ。

 巨人でいえば、王貞治の「1」と長嶋茂雄の「3」のインパクトがあまりにも強い。しかし、全球団を見渡すと、永久欠番を持つ選手は思いのほか少ないことがわかる。

<永久欠番一覧> ※掲載は制定年と主要成績

■巨人
「1」王貞治(1989年/2786安打、868本塁打)
「3」長嶋茂雄(1974年/2471安打、444本塁打)
「4」黒沢俊夫(1947年/459安打、7本塁打)
「14」沢村栄治(1947年/63勝22敗)
「16」川上哲治(1965年/2351安打、181本塁打)
「34」金田正一(1970年/400勝298敗)

■阪神
「10」藤村富美男(1958年/1694安打、224本塁打)
「11」村山実(1972年/222勝147敗)
「23」吉田義男(1987年/1864安打、350盗塁)

■中日
「10」服部受弘(1960年/112勝65敗、447安打、33本塁打)
「15」西沢道夫(1959年/1717安打、212本塁打、60勝65敗)

■広島
「3」衣笠祥雄(1987年/2543安打、504本塁打)
「8」山本浩二(1986年/2339安打、536本塁打)
「15」黒田博樹(2016年/203勝184敗)※日米通算記録

■西武
「24」稲尾和久(2012年/276勝137敗)※前身の西鉄時代の背番号

■楽天
「10」楽天ファン(2004年)
「77」星野仙一(2018年/1181勝1043敗53分)※監督通算

■日本ハム
「100」大社義規(2009年)

■近鉄
「1」鈴木啓示(1985年/317勝238敗)※オリックスと合併した2004年に解除

 巨人の黒沢と沢村のようにチームの創成期に活躍した名選手や、通算2000安打、200勝の"名球会"選手が大半を占める。また、1985年にチームを21年ぶりの日本一へと導いた阪神の吉田義男や楽天の星野のように、監督としての実績も評価された例もある。

 変わり種でいえば、日本ハムの初代オーナーである大社義規(おおこそ・よしのり)だ。1981年のリーグ優勝の際に着用していた背番号が、2009年に野球殿堂入りを称え永久欠番となった。楽天の「10」が誕生したのは、球団が創設した2004年。9人のフィールドプレーヤーに次ぐ「10番目の選手」としてファンの背番号と認定する、球団の粋な計らいである。

 永久欠番が実績や貢献度が重要なファクターであることは間違いない。だからこそ疑問も残る。ではなぜ「これほどまでに少ないのだろうか?」と。

 NPBのみの通算成績でも、2000安打は50人(現役選手を除く)、200勝は24人、250セーブは3人もいるが、永久欠番になったのはごくわずかである。

 たとえば、南海(現・ソフトバンク)の黄金時代を支え、プレーイングマネージャーとしても活躍した野村克也の「19」や、プロ野球歴代2位の350勝をマークした阪急(現・オリックス)の米田哲也の「18」は永久欠番になることはなかった。

 なかには、入団した1球団で現役を終えた「フランチャイズ・プレーヤー」だって少なくない。

 代表例を挙げれば、中日一筋32年の山本昌だ。通算219勝。NPB最年長の50歳での一軍登板を果たしながら、入団後一度も変更することがなかった背番号「34」が、引退翌年の2016年に新人の福敬登(ふく・ひろと)に継承されている。

 中日でいえば、プロ野球史上初の1000試合登板、歴代1位の407セーブを樹立した岩瀬仁紀の「13」も、2019年ドラフト2位ルーキーの橋本侑樹が受け継いでいる。

◆マギーが語る闘将との熱い日々と1本の腕時計>>

 多くのレジェンドたちが確固たる実績を誇りながら永久欠番の対象外となっているのは、球団の事情によるところが大きいのだろう。

 背番号とは有限だ。ヤンキースのように「1ケタ台がすべて永久欠番」となってしまうと、今後、彼らを凌ぐほどのスーパースターが誕生した際に、背番号の選択肢が少なくなってしまう。エースナンバー「18」など、レジェンドの誇りを受け継ぐ象徴的な背番号が失われる可能性だって生じてくるわけだ。

 こういった観点から論ずれば、「準永久欠番」はじつに有効的な措置である。

 有名なのはイチローの「51」。オリックスは「ふさわしい選手が現れるまで」と欠番扱いにしている。

 他球団では、90年代のヤクルト黄金期で中心選手だった宮本慎也の「6」と古田敦也の「27」などがある。2013年に不滅の24連勝を打ち立て日本一の原動力となった、楽天・田中将大の「18」などは、現在も空き番号となっている。

 近年では、広島の前田智徳の「1」もそれに該当していたが、2019年に鈴木誠也が継承し、前田も認める不動の中軸に成長を遂げた。

 永久欠番という名誉を手にする選手の出現は待ち遠しい。それと同じくらい、新時代のスターが往年の名選手の番号を背に躍動する姿にも、ファンは胸を躍らせるのだ。

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