【対談連載】みほ歯科医院 元院長 日本ALS協会広島県支部長 三保浩一郎

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2020年10月30日 08:02  BCN+R

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【広島⇔東京発】ALS発症直後は絶望の淵に立たされた三保さんだったが、やがて柔道で鍛えた心と、オートバイのレースで培われた強靭な精神で前を向き、家族や仲間と日常を営み続けている。現在、自在に動かせるのは眼球とまぶただけ。それでも三保さんは原稿を書き、講師を務め、組織の役職をこなす。実に多忙な日々を過ごしておられる。素晴らしく充実した人生ではないか、、。また一人、千通りの生き方をする新たな「人」に出会えた。
(本紙主幹・奥田喜久男)

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●生きるとは仕事をすること

生きる証は考えること

 三保さんの現在の仕事を教えていただけますか。

 広島市歯科医師会の広報部副委員長、日本ALS協会広島県支部の支部長です。ほかにもいくつかの大学や専門学校の医療部門の非常勤講師を務めています。昨年は「中国新聞」でALS患者という立場からコラムを連載していました。

 三保さんにとって、仕事とはどういう位置づけにあるものですか。

 私にとっては「生きること」です。仕事はそれぞれが置かれている立場でたくさんあります。専業主婦であれば生活の知恵やお袋の味を伝えるのも仕事でしょうし、子どもを持つ親であれば父親業も仕事だと思います。

 親としての役割も仕事だと。

 そうです。私が考える「仕事」とは、金銭的対価を得ることではなく、自分以外の他人のために汗を流すこと、一生懸命に取り組むことだと思っています。

 では、「生きる」ために備えておかなければならない機能は何でしょうか。

 人によっては心臓の機能だったり、呼吸をすることだったり答えが分かれるところだと思いますが、私はあえて「考える」ことだと言いたいですね。

 生きるための機能は考えることであると。では、二つ質問させてください。いつからそう思われているのか、なぜそう思われるのか。

 いつからかについては、病気によって身体が動かなくなってからです。なぜ思うかは、ALSを発症して以来、いたるところで知恵まで遅れているような扱いを受けてきたことにあると思います。

 具体的に教えていただけますか。

 ALSの特徴は、運動をつかさどる神経が侵されることにあります。知覚や思考能力は発症前と変わらない。にもかかわらず、車椅子を使っている上にしゃべれないことでとたんに不当な差別を受けてしまう。ALSだけでなく、筋ジストロフィーや脳性麻痺の患者さんも同じですね。

 見た目で感覚的にそう判断されてしまう。

 ですから、身体が動かない分、より一層、頭脳に特化して「考えて」きたように感じます。こんな私が考えることまで放棄してしまったら、生きていく価値を見いだせなくなってしまいますから(笑)。

 生きる証でもあるのですね。では、考えることに必要な機能、あるいは要素はなんでしょうか。

 特にこれだという機能や要素はないと思いますが、強いてあげれば「身体は病気に侵されようとも、心までは侵されないこと」でしょうか。

 そう言い切られるには、よほどの努力、気持ちの整理、決意、そして覚悟が必要だと思いますが、実際はいかがでしたか。

 最初は、一生車椅子と人工呼吸器を装着しなければならないということに絶望しました。原因不明、治療法なし、人工呼吸器を装着しなければ3〜5年で死ぬと言われて。たとえて言うと、瀬戸内海なら島が見えるので落水しても何とかなりそうなのに対して、太平洋航路のど真ん中で落水し、泳げど泳げど何も見えずに「このまま死ぬのか……」という感じでした。

 うかがっているだけでも苦しくなります。

 ALSについて知れば知るほど、歯が立つ相手ではないことに気づき、すぐに目標を立てました。一つめは開院していた診療所の後片付け、二つめが病気の進行を全力で止めること、そして三つめが『広島モーターサイクルレース全史』の取材と執筆でした。

●病気を受け入れ

今できることにベストを尽くす

 目標の二つめ、病気の進行を全力で止めることについては、どのような策を取られたのでしょうか。

 ずいぶん先回りをして、いろいろ準備をしました。胃ろうは体重がまだ80kgあった時にチューブを入れました。気管切開も人工呼吸器を装着する2年前に手術して備えました。視線入力パソコンもマウス操作ができるうちに導入したので、慣れるのが早かったですね。

 うーん。三保さんはさらりとお話しされていますが、相当心が鍛えられていないとできないことのように思います。何か鍛えることをしておられたのですか。

 私の場合は柔道でしょうか。中学生の時に始めてALSを発症するまで続けていました。練習からしてケガや命にかかわる危険な技を駆使する柔道は、まず相手を敬うことから始まります。弱者をかばうことも柔道から学びましたし、心も鍛えられたと思います。

 心を鍛えることと身体を鍛えることは同じでしょうか。別物でしょうか。

 以前は「健康な身体にしか健康な心は宿らない」と考えていましたが、現在は別物だと考えています。

 落ち込んだりされることはないのですか。

 落ち込んだり泣いたりすることで事態は好転しますか? 好転するならいくらでも泣けばいいと思いますが、そういうことはないと判断しただけです。私は強いのではなく、現実主義者なのだと思います。

 強いのではなく、現実的である。

 はい。ALSを遮二無二に乗り越えようとしたわけではないのです。早い時期から病気を受け入れ、時の流れに身をゆだね、今できるベストを尽くしたことで活路を見い出したように思います。そして、それを支えてくれた妻や娘の存在も大きかったですね。

 三保さんが病気になられたことに対して、奥様や娘さんはどうだったのでしょう。

 以前と変わらず接してくれました。妻は『広島モーターサイクルレース全史』の取材にも同行してくれ、本が完成するまで一緒に頑張ってくれました。人工呼吸器を装着する際も、背中を押してくれたのは妻でした。

 大きな支えですね。

 娘のほうは私の母校、広島大学歯学部に通っています。ですので、学校の先輩として、歯医者の先輩として、父として、くたばるわけにはいかないのです(笑)。

 先輩業も父親業も三保さんの仕事ということですね。ところで、現在はどのように生活をしておられるのですか。サポートの体制は。

 妻と娘、6人の公的ヘルパー、訪問医、訪問リハビリ、訪問看護師に囲まれて暮らしています。

 最後に三保さんの未来についてお聞かせください。

 ALSが私の命のあるうちに治療可能な病気になるものと信じて、元気になったら何をしようかと考えているだけで幸せです(笑)。

 貴重なお話をありがとうございました。忙しい最中に、何度もやり取りさせていただき、重ねてお礼を申し上げます。

●こぼれ話

 三保浩一郎先生の取材で、広島に出向いたのは6月10日。小雨であった。駅前からタクシーに乗り込み、ホテルに入る。玄関をくぐった瞬間、何となく東京とは異なるコロナ感染を避けようという緊張感に気づく。その瞬間、ALS患者である三保先生の状態を頭に思い浮かべた。プロの介護士がサポートするのが常態のALS患者の元に、それも東京で生活している者が面談することの重大さに考えが行きつく。今回は出直そう。お断りの連絡を、ライターの浅井美江さんが三保先生の奥さまに入れた。

 三保先生と出会うきっかけは、3月3日の皇學館大学教育学部・大杉成喜先生に取材したときにあった。『千人回峰』の取材中に、大杉先生は目視入力装置の重要性を訴えたいという話題になり、その話の中で三保先生の著作『広島モーターサイクルレース全史』と出会うことになった。実物を見てページをめくる。「すごいな。大作ですね」。私は元来が歴史書籍マニアなので、本に吸い寄せられた。オートバイのレースにこれだけの歴史があるとは驚いた。それも広島県だけなのだ。

 「おくださん、この本をまとめたのはALSの方なんですよ」と大杉先生。実は、全身の筋肉が萎縮して動かせなくなるといわれるALSの知識は、はなはだ心許ない。先生の解説を聞いて、「目視入力でこれだけの原稿を書かれたのですか。大杉先生、この三保さんにお会いすることは可能でしょうか」。東京に帰って、すぐに話がまとまった。

 ところが、取材予定の6月までの間に世の中はコロナ禍の色をさらに濃くしてきた。『千人回峰』は、実際にお会いして言葉を交わしながら、その人の顔というか目というか、しぐさというか、言葉とともに全身から発信される感情波を受け止めながら、その人の生き方に寄り添って質問を選ぶ。それができない状況になってきた。

 面談取材を断念し、かといって会話主体のオンライン取材も難しい。逡巡するうちに、ALSの女性の事件が起きた。取材をすべきかどうか、幾度も自問するうちに、三保先生にしか答えられない“解”があるはずだという結論に至った。考え抜いた末、初の試みであるQ&Aのアンケート形式で進めた。もちろん、一回だけで済むはずがない。回を重ねるごとに、ためらいながらも、ぶしつけな立ち入った質問を投げた。整然とした心の内が返ってきた。このやりとりは浅井さんと奥さまの間で、3か月にも及んだ。幾度も幾度もやりとりを繰り返すうちに、三保先生のオーラが奥さまから浅井さんに伝わってきた。今回の原稿には、このお二人の感性がぎっしり詰まっている。

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

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