カメラマン桑島智輝が語る、“妻・安達祐実を撮る”ということ「キレイな花があったからそれを摘む、くらいの感覚」

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2020年10月31日 10:01  リアルサウンド

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桑島智輝

「私はもう貴方の私だけど、私だけの私に戻ることもできる。そういう日々。」


 写真家・桑島智輝の最新作『我旅我行 GA RYO GA KO』(青幻舎)の帯文――。愛、だけではない。夫婦という関係の確かさ、不確かさを静かに表現している。書いたのは桑島の妻・安達祐実だ。


 2013年、約2年半の安達祐実を収めた写真集『私生活』(集英社)を発表。翌年、二人は結婚し、2019年、桑島は妻との生活を収めた写真集『我我』(青幻舎)を発表した。そのスピンオフとも言える今作のテーマは旅。夫婦二人旅の記録をメインに、『我我』発売後から現在のコロナ禍に至るまでの日常を撮影したスナップも収録している。


 毎日、呼吸をするように妻を撮り続ける桑島。彼にとって、“安達祐実を撮る”ということはなにを意味するのだろうか?(尾崎ムギ子)


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■『私生活』から7年


――前作『我我』の発売から、ちょうど一年後のリリースですね。


桑島智輝(以下、桑島):9月14日が安達さんの誕生日なので、今年も発行日をそれに合わせました。「安達祐実」という人の芸能感をなるべく感じさせないようにして、よりひとりの人間として感じられるようにしました。『我我』を褒めてくれた読者の人が若干ついてこれないかもと思ったりもしたんですけど、SNS上の感想とかを見るとリアクションがよくて、すごく嬉しかったですね。


――コロナ禍で仕事が制限される中、一緒にいる時間が増えたと思うのですが、そこでより安達さんに迫ることができた部分はありましたか?


桑島:コロナはあんまり関係なくて、単純に自分がずっと撮り続けている写真が変化していっている感じです。以前は、日々撮っているスナップはどちらかと言うと記録に近かったんですけど、いまは自分の前に立ち上がってくるイメージを「あ、いいな」と思った瞬間に拾っている。そこに意味性はないんですよ。例えば「今日は誕生日だからこういう写真を撮ったほうがいい」っていうのは、一切ない。たまたまハロウィンのときに買ったケーキがよかったからそれを撮った。でも誕生日のケーキは撮らない。そういうバランスの違いがあります。


 旅行の写真は少し古くて、2014年から2015年とか。自分と妻の写真の成長過程においては初期段階です。その揺れ動きが面白いですね。でも基本的にはコンパクトカメラでモノクロを撮って、一眼レフでカラー写真を撮るっていうのはずっと変わっていません。そこがベースにあるから、あんまりガチャガチャしてないとは思います。


――普段撮るとき、作品になることは意識していない?


桑島:自己顕示欲がすごく強いので、作品にはしたいって思うし、「これは作品になるな」とどこかでは思っているんですけど、どちらかというと身体的なもに近いです。「あっ!」って思ったときにシャッターを押すっていうのを、自分の体の動きの一部として捉えているような感覚があって、それをやらないとちょっと気持ち悪い。毎朝ラジオ体操をやるんですけど(笑)、そういうルーティーンのひとつというか。キレイな花があったからそれを摘む、くらいの感覚に近い状態ですね。


――毎日撮っていないと、そういう感覚にはならないですよね。


桑島:作者の意図が見え見えな写真って、つまらないですよね。商業写真において、そこは絶対大事なんですけど、こと「写真作家の作品」においては、奇をてらっているとか、こういうムードで撮っているっていうのが、わかりやすい状態って、本当につまらない。そうじゃない部分を撮ろうと思ったら、自分の無意識下なんです。「あっ!」って思ったときに撮るのが一番いいと思いますね。


――そういう考えは、昔からありましたか?


桑島:撮っているうちに段々変化してきました。安達さんは芸能の人だし、そういう人を最初に撮るときっていうのは、写真家としての打算も強かった。安達祐実がこういうことをやったら面白いんじゃないかとか、ここでこういうポーズをしていたら面白いんじゃないかとか、そういう打算がすごくありました。いま振り返ればそれはそれで面白いんだけど、そういう写真って自分の中でも消費されやすい。「これ一体、なんだったんだろう?」っていうのがいいなあと思っています。


――撮られる側の安達さんも変化してきているかもしれないですよね。


桑島:それもありますね。元々は地に足のついていない感じもあった人でしたが(笑)、結婚していろいろなことがあって、地に足がついてきて、そういう変化もたぶんあると思います。『私生活』の撮影のときに安達さんの家に行ったとき、物がなにもなかったんですよ。ハウススタジオみたいな感じで、飾りが一切ない。綾波レイの家ってわかりますか? あんな感じです(笑)。人間離れ感がすごかったけど、最近はものすごく人間らしいです。


――『私生活』は7年前になります。いま振り返ってみて、いかがですか?


桑島:すごくいい写真集だなと思います。けど、あれは完全に安達さんの写真集なので、自分としては手を添えたという感覚ですね。あれからクレジットの入り方も変わってきました。『私生活』では安達祐実が大きくて、『我我』で同じ大きさになって、今回は安達祐実の名前がなくて、彼女の名前は帯に入っているだけです。


――ライムスター・宇多丸氏のラジオ番組『アフター6ジャンクション』で『私生活』について「あれはもうやりたくない」とおっしゃっていましたが、そんなに大変だったんですか?


桑島:スナップが溜まった状態で集英社に持ち込みをしたら、「スナップだけじゃ出せない。グラビア的要素がほしい」ということで、八丈島でロケをすることになったんです。やっぱり俳優だから、感情みたいなものを撮ったほうがいいんじゃないかという話になり、ネガティブな状態から始まって、段々持ち上げていって、最後に抜けていくっていうグラデーションが面白いんじゃないかということになったんです。


 当時は基本的にAKB48などの女性アイドルを中心に撮っていたし、明るめの写真集が多かったので、追い込むということが、キーワード的にはわかるけどやったことがなかったんですね。例えば映画監督の巨匠が俳優に140テイクくらいやらせて、141テイク目にめちゃくちゃいい画が撮れた、みたいな話があるじゃないですか(笑)。そこまでやったほうがいいのかなと思って、ラース・フォン・トリアーの映画とか観まくりました。自分も役作りしたんですね。結構きつい映画を観続けて、イメージを自分の中で醸成しながら、撮影で一気に爆発させるということをやりました。自分の感情が負の極致までいったとき、その感情ってトラウマになるんですよ。自分の感情が自分の中でトラウマになって、安達さんは安達さんですごく怖かったと思うんです。そういうことをやっちゃったもんだから、疲れたし、自分自身も怖かったし、彼女に対して申し訳ないことをしたという罪悪感もあるし、そういうので二度とやれないと思っていますし、絶対にやりたくないです。


■ガーリーフォトブームの影響


――あの傑作の裏側にそんなことがあったんですね。映画の話が出てきましたが、今回の作品にはルイス・ブニュエルの映画のようなカットもありました。やはり映画の影響はありますか?


桑島:直接どの作品に影響を受けたというわけではなくて、すごく好奇心旺盛な青年期を過ごしたんですよ。岡山の田舎だったので、情報がないじゃないですか。ルイス・ブニュエルっていう名前が出てきたときに、すげえ知りたくなるんですよ。そういうものにすごく飢えていたから、『STUDIO VOICE』とか『Quick Japan』も大好きだったし。『DicE』には牛が輪切りになった状態でホルマリン漬けになっているダミアン・ハーストの作品が入っていたりして(笑)。そういう気持ち悪いというか、ぶっ飛んだものを買って、高校の友だちに「すごいだろ」って見せるのが好きだったんですよ。「新しいイメージ」というものはずっと追い続けているかもしれない。


――10代の頃の影響は大きいですよね。


桑島:大きいですね。その頃にいろんなものが形成された感覚があります。高校のときにテクノにハマったんですよ、90年代中盤だと思うんですけど。テクノって、アーティストが表に出てこないことも多かったじゃないですか。そういう「表に出ないけど、めちゃくちゃクールでカッコいいものを作って出す」みたいなことへの憧れがありました。電気グルーヴのコピーバンドで、「中国人」というバンドをやったり(笑)。


――それはイタい(笑)。当時はいわゆるガーリーフォトブームだったと思うのですが。


桑島:テクノにハマる前にそういうのが出てきて、『シャッター&ラブ』という写真集が飯沢耕太郎さんの編集で出たんですよ。蜷川実花さんの初期の写真とか、HIROMIXさんや長島有里枝さんとか。半径数メートルのところでコンパクトカメラで撮ってて、「こんなにオシャレな生活が撮れるんだ!」って思って写真を始めたんですけど、でも自分の周りって田んぼとかしかないから撮れる風景がまったく違って、「こんなはずじゃなかった」感がすごくあるんだけど(笑)。ただ、写真を撮ることは面白かった。そのときからオブジェとか風景とか、気持ち悪いものを撮るのが好きだったから、それで段々写真にハマっていった感じなので、影響はすごくあります。


――とくにどの方の影響を受けましたか?


桑島:特にだれというよりは、当時はグロテスクな写真とかが好きだったから、先ほども言った『DicE』のビジュアルが気持ち悪い感じとは好きでしたね。あとカメラマンではないですけどキクチヒロノリさんとか、根本敬さんの漫画の気持ち悪さとか、露悪的な感じが好きでした。あの当時って、スカムブーム、悪趣味ブームがあったじゃないですか。その辺に結構やられていたかもしれないです。


自分は高校生だし社会に対抗できないんだけど、でもやっぱりムカついてるし、そういうのが強かったから反発として露悪が出るという。それが自分の自己表現みたいな感じになっていて、ヘンテコな高校生でしたよ。90年代特有かもしれませんね。2000年を目の前にして、不安定というか、終末思想的な感覚はすごくあったなと思います。


――90年代サブカルの影響そのままですね(笑)。次の作品の構想はすでにありますか?


桑島:安達祐実という俳優を撮っている以上、「芸能との戦い」みたいなものがある。それはもう仕方がないし、それによって売れている部分も往々にしてあるし、助かっている部分もたくさんあります。でも「そうじゃないところでの勝負」にすごく興味があります。『我旅我行』の奥付のクレジットは英語表記もあるんですよ。ステイトメントも、プロフィールも全部英語です。しかも最後、安達祐実が日本でどういう活動をしているかが英語で説明してあります。


 次作があるとしたら海外に向けて作りたい。写真集を出すと、虚脱感というか虚無感みたいなのが襲ってきて、そこでまた自分の写真が変わっていくんですよ。『我旅我行』が出たあとも、普段撮っている写真が変わってきて、いまテストしながら別のものに変化している状態なんです。それがそれでまとまったらいいなと思っていますね。


――まだ『我旅我行』を見ていない人に、どこに注目してほしいですか?


桑島:過去4回(フランス、ポーランド/ドイツ、沖縄、スペイン)、自分たち夫婦が旅行をした写真と、コロナ禍の日常の写真を行ったり来たりする往復の写真集なんですけど、自由に動けたときと、そんなに動けないいまの往復なんです。前回の写真集は順番に見ないとよくわからない写真集だったけど、今回の写真集はどこから開いても面白い感じになっているので、イメージを見に行くくらいの感じで見てもらえたらいいと思います。仕掛けがあったりもして、とくに沖縄の写真とかわかりづらいと思うんですけど、よくよく見ると段々わかってくるので、そういうのを解読してもらったりしていただけると嬉しいです。


(写真=鷲尾太郎)


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