警視庁の甲さん覚えてますか? ネット民に愛された「ツイッター警部のその後」

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2020年11月04日 12:11  おたくま経済新聞

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警視庁の甲さん覚えてますか? ネット民に愛された「ツイッター警部のその後」

 警視庁犯罪抑止対策本部が2012年に開設したTwitterアカウント(@MPD_yokushi)。その立ち上げから4年後の2016年まで、中心となって「中の人」を務めた「甲さん」。まだ覚えている方、知っている方はどれぐらいいるでしょうか?


【その他の画像・さらに詳しい元の記事はこちら】


 開設された2012年当時は、Twitterが日本に来て約5年。一般ユーザーの利用については最初の円熟期にさしかかっていましたが、企業アカウントや公官庁のアカウント(以下、公式アカウント)の運用はまだ「黎明期」といっていい時代でした。どの公式アカウントの「中の人」たちも手探りでの運用状態。だって前任者がいないのですから。


 とはいえ、この時期には公式アカウントの中から「有名中の人」がすでに登場しています。NHK広報局アカウントの「NHKさん・1号さん/2009年〜2016年」や、今でも活躍中のSHARPアカウント「シャープさん/2011年〜現在」です。


 しかし、その他多くの公式アカウントについては「中の人個人の個性をどこまで出して良いのかわからない状態」。正直、多くのアカウントがただ会社の情報を垂れ流す「BOT」と化していました。


 こんな状況の中に颯爽と現れたのが、2012年11月1日に立ち上げられた警視庁犯罪抑止対策本部(@MPD_yokushi)のアカウント。


 警察関係のアカウントはこの時すでにいくつか登場していましたが、公式アカウントの中でも群を抜いて「BOT化」が激しく、みな一応フォローはするもののほぼ見向きも・期待もされていない存在でした。


 それがいきなり「しゃべり出した」のですから、一般ユーザーは騒然としました。今のように企業や公官庁アカウントがある程度自由にしゃべる時代ではありませんでしたので、「警察がしゃべった……!」と言う感じの衝撃でした。


 その後はさらに驚きの連続。「おやつに食べたミカンの汁で服を汚した」「ボーカロイドを使って動画を作ってみた」などなど、“中の人の個人的なこと”から“趣味”のことまでペラペラペラペラ喋りだしたのです。しかも一般アカウントとも気さくに交流。アカウントの本分である「詐欺への注意喚起」なども平行しつつ、運用が行われていきました。


 その初代を担当したのが「甲さん」。上記のような運用が広く受け入れられ、しまいには「ツイッター警部」と呼ばれ広く愛される存在に。


 ところが2016年の移動を機に、Twitter担当者から外れることとなり約4年の「中の人生活」は終了へ。最終日にはネットニュースにも取り上げられるほど、盛大に見送られたのです。


 あれから4年。2020年になった今、甲さんは何をしているのだろう?


 実は今年9月に警視庁を退職され、新たな人生をスタートさせています。


 本稿では警察人生、そして今後の展望を「甲さん」こと中村健児さん(56)に語っていただきました。聞き手を務めるのは、甲さん時代から記事を担当している筆者こと宮崎美和子です。


※取材形式と写真について※
2020年10月のインタビュー時点、コロナ渦中ということもありオンラインチャットを通じて実施しました。写真は中村さんにお願いをして提供いただいたものですが、自撮りしたもの等を送ってこられたので、「お人柄そのままだな」と感じあえてそのまま見だし他に採用しています。


−−まずは自己紹介からお願いいたします。


【甲さん】
中村健児です。この9月まで警視庁に勤務していました。退職後、情報セキュリティ関連の企業に再就職するとともに、Twitterに特化したアカウント運用請負業「合同会社フォルクローレ」(@FOLCLORE_LLC)を設立して代表に就任しています。この程度の自己紹介でよかったですか?


−−かたいですね(笑)普段どおりで大丈夫ですよ。


【甲さん】
普段もこんなものじゃありませんか?(^^;


−−続けます(笑)。警視庁を退職され、再就職するとともに会社公認で自分の会社も興されたとのことなのですが、まず警察官時代の話から。高校卒業してすぐに警察に入られたのでしたっけ?


【甲さん】
そうです、高校卒業と同時に警視庁に入庁しました。勉強をしたくなかったので。


−−といいつつ、後に通信教育で4年生大学を5年で卒業されたことを読者向けに私から補足しておきます(笑)。話を戻します、先に警視庁に合格していて地元の県警は落ちた。という話を以前きいたことがあるのですが、あのエピソードは笑いました。これをご覧の読者の方はご存じないので、語っていただけると助かります。


【甲さん】
純粋な高校生だったんです。今でも純粋ですけど。
私としては地元の茨城県警に就職したかったんです。でも、それより先に警視庁の合格をもらっていて、その状態で茨城県警の採用試験に臨みました。
そこにトラップが仕掛けられていました。大人の世界の「建前」というトラップです。


一次試験は難なく通過して二次試験の面接に進みました。そこで面接官から「君は警視庁に合格しているようだけど、もしうち(茨城県警)を落ちたらどうするんだい?」と質問されました。
大人の世界にもまれていなかった純粋な少年は、当たり前のことを答えます。「そうなったら警視庁に行くしかないでしょうね」と。その結果が“不採用”です。


あとで昇任試験の面接訓練を受けて分かったことですが、あの質問は実際どうなのかを聞きたいわけではなく「どうしても茨城県警に入りたいんです!」という強い気持ちがあるかどうかを試していたようなのです。大人の世界は汚いと思いましたね。


その経験があったので私は人の気持ちを試すようなことはできるだけやらないようにしてきました。


−−そこから警察人生が始まるわけですが、2012年に今回の話の主軸となるツイッター警部になるまでには、どんな仕事を経験されたのですか?


【甲さん】
まずスタートは三鷹警察署です。そこで交番勤務と白バイに乗りました。
巡査部長に昇任して八王子警察署。そこでも交番とパトカー勤務、そのあと白バイに乗りました。


八王子署で白バイに乗っていたのはおそらく3か月間くらいです。白バイ乗務を命ぜられたときは、すでに警部補昇任試験の二次まで合格している状況でした。このまま合格してしまうと、ほとんど白バイに乗ることなく転勤してしまうことになります。
当時の交通課長にそれを言ったところ「いいんだよ、交通課の実績になるから」と涼しい顔で笑い飛ばされました。


予想通り警部補に合格してあっという間に八王子署から北沢署に転勤しました。北沢署では地域課の係長を1年やり、そこから第七機動隊に転勤になりました。第七機動隊には11か月しか在籍しませんでした。警護課に転勤になったからです。


警護課は、いわゆるSPです。総理大臣などの身辺警護を担当しました。そのあと本所警察署に転勤になっています。そこでは主に生活経済課係の係長をやっていました。始めは部下のいない1人だけの係でした。


生活経済課係というのは、闇金や知的財産権侵害事犯、金融犯罪などの取締りを担当しています。その当時は、サイバー犯罪捜査の黎明期で、なぜかサイバー犯罪は生活安全部の所管とされていました。刑事事件でも、です。


そういうこともあって、ヤフーオークション詐欺を全国で初めて検挙しました。犯人が少年で逮捕しなかったこともあり、あまり大きな話題にはなりませんでした。
他にもいろいろ面白い事件をやりましたし、できたばかりの不正アクセス禁止法違反もずいぶん検挙しました。その実績が本部の目に留まったのか、ハイテク犯罪対策総合センター(今のサイバー犯罪対策課)に転勤となりました。


ハイテク犯罪対策総合センターでは主に不正アクセス事件や詐欺事件を捜査しながら各署の指導に当たりました。そこで警部に昇任させてもらい、葛飾警察署に転勤しました。


そのあと東京都に2年間派遣となり、警視庁に帰任して犯罪抑止対策本部に配属されています。ここでの活動はご存じの通りかと思いますので割愛します。
その後、向島警察署に転勤になり、今年の9月末日に退職です。


−−「ヤフーオークション詐欺」を初めて検挙したの甲さんだったんですか


【甲さん】
そうなんですよ。新聞記事にはなっていますよ。小さく。あまり知られていませんけど。
その当時から飛ばし口座と私設私書箱を使うという知能犯でした。


−−今とあんまり変わらないんですね。詐欺の手口って。


【甲さん】
そのあとに検挙した大人の方が素朴な手口でした。


−−あと、デスクワーク的な仕事が多かったのかとおもいきや、わりと体張る部署も経験されてたんですね。SPだったのは意外です。


【甲さん】
そうですね。私も意外です。


−−白バイ、SP、サイバー犯罪捜査と経験して、「ツイッター警部」と呼ばれるようになった犯罪抑止対策本部に配属されたわけですが、犯罪抑止対策本部のアカウントは2012年の立ち上げから担当されたのですか?


【甲さん】
はい。私が提案してアカウントを立ち上げました。下から発信の企画が通るのは珍しいことです。


−−これが懐かしの初ツイートですね。


「【ご挨拶】皆様おはようございます。警視庁犯罪抑止対策本部です。本日から公式アカウントにより振り込め詐欺に関する防犯情報などをお届けいたします。よろしくお願いいたします。なお、当アカウントは発信専用となります。原則として@に対する返信は行いませんのでご了承ください」
<2012年11月1日投稿/警視庁犯罪抑止対策本部・@MPD_yokushiより引用>



【甲さん】
なんて初々しいというか白々しいツイートなんでしょう。


−−最初のツイートはまだすごく大人しいですよね(当たり前)。お返事できかねますとか言いつつ、徐々に一般フォロワーさんとも交流が増えていくわけですが、初期の頃に印象に残っていることってありますか?


【甲さん】
正直に言って、交流し始めた頃の印象はあまり記憶にないです。
ものすごく反応がよくて驚いたことくらいです。いいタイミングだったのかもしれません。


−−一般人からしても、警察アカウントが返事をしたので驚きました。お互い同じ心境だったんですね。それまでの警察アカウントはただ犯罪がどこで起きた、ひったくりが〜。というのを流すだけのBOTみたいな存在だったので、いきなりしゃべり出してビックリしました。恐らく当時みていた人の多くは同じ感想だったと思います。ロボットがいきなり人格もった!みたいな感じに近かったです。


【甲さん】
実際botだったので正しい認識だと思います。


−−甲さんが「甲」を名乗った最初の投稿もみつけました。2013年3月8日の投稿ですね。この辺から投稿に(甲)とつき始めたのですよね?


「ちなみに、これからは複数担当制となります。本職甲や本職乙などがつぶやく可能性があります…」
<2013年3月8日投稿/警視庁犯罪抑止対策本部・@MPD_yokushiより引用>



【甲さん】
はい。複数担当制にする上で担当者を識別できた方がいいだろうと思い、甲、乙と名乗るようにしました。


−−甲さんといえば、17時頃の定時になると「定時ほー」を当時毎日投稿されていましたが、初「定時ほー」も見つけました。


「(明日は、定時に合わせて「定時ほー」(定時の時報で定時ほー)をつぶやいてみたいです…)」
<2013年3月11日投稿/警視庁犯罪抑止対策本部・@MPD_yokushiより引用>



【甲さん】
掘りますね(^^;


−−定時ほー、ってなんで始めたんですか?


【甲さん】
定時で仕事が終わり、ほっとしている様と定時の時報を掛け合わせたものなんですが、なぜそれをやろうと思ったのかは今もって不明です。


−−甲さんらしいですね(笑)こうして甲さん流の運用が行われたわけですが、運用していくうえで、周囲の方の反応はいかがでした?私の記憶だと、上記の通り周囲の警察アカウントはBOT状態。コミュニケーションを取るというより、一方的な情報配信ツールとしてしか使っていなかったので、日常の出来事をつぶやくだけでもハードルが高かったように感じていました。お答えできる範囲でかまいません。教えてください。


【甲さん】
担当者の発言を混ぜることに所属としてはそれほど揉めませんでした。ですが、やはり他の部署から「なに勝手なことやらせてるんだ」といったお叱りを受けることは「割としばしば」ありました。


今でこそ中の人の発言が当たり前になりましたが、当時はあまり一般的ではありませんでした。その逆風に言い返せるルールを私たちが作っていなかったので、一旦中の人の発言を止めました。


そして、運用ポリシーに担当者の発言を加えて根拠をもたせました。内部だけでなく外にもそういった運用をよく思わない方がいらっしゃました。警視庁本部に苦情が届いたり、公安委員会にまでありもしないタレコミをされました。


−−やはり……。甲さんからは聞いていませんでしたが、別の取材で警察の方とお話しているとき、「周りの目はちょっとシビアな感じ」というのは小耳にはさんでいたので心配していました。そうなんですよね、警察アカウントどころか企業アカウントですら、あまり自由に発言していなかった時代ですもの。私も会社のアカウントをずっと担当していますが、当時はまだ手探りでどこまでだせばいいのか……と悩んでいた頃、先陣切って警察アカウントが目の前を走っていったので驚くどころの話じゃなかったです(笑)。


【甲さん】
先陣を切るのが好きなもので…


−−とはいえ、やはりああして自由に発言することでフォロワーさん増えていきましたよね。ともない、フォロワーさんたちが詐欺についても目を向けるようになったと記憶しています。


【甲さん】
特殊詐欺への意識の芽生えという意味で手応えがあったかというと、あまりなかったかもしれません。ただ、私がやっていた啓発は病巣に直接働きかける西洋医学(対症療法)ではなく、体質を改善することで病気を防ごうという漢方の思想でした。
だから、建前として言っていた「若者が高齢者を支えるとか親子のコミュニケーション」のようなことはあまり期待してなくて、私と遊んでくれていた若い人たちが年齢を重ねていったとき、詐欺の被害にあわないような物事の考え方を身に着けて欲しいという気持ちでした。なので長期戦です。


−−そこまで先を見据えてらしたのですね。甲さんから折角いただいたメッセージ、私自身これから生かさないとなぁ、と感じます。


【甲さん】
最初からそういう戦略だったわけではありません。フォロワーさんとの交流を重ねるうちに「これは、長期的に効いてくるんじゃない?」と思い始めたんです。


−−きっかけとかありますか?「長期的に効いてくるんじゃない?」と思い始めた。


【甲さん】
フォロワーさんの年齢構成(正確に分かりませんが)が分かってきたことと、高齢者に訴求しても防犯効果に限界があると感じてきたからです。


−−なるほど。少し話はかわりますが、甲さん発案で誕生した警視庁犯罪抑止対策本部の“萌えキャラクター”「テワタサナイーヌ嬢」。「警視庁のケモノ娘」「警視庁の非公式」ともよばれていましたが、そのうち広く愛されるようになり、2014年にはクリエイティブ・コモンズ適用(非営利、継承を条件に自由に配布・翻訳が可能となる)まで発表。ファンアートが続々作られるようになりました。彼女もTwitterとは切ってもきれないキャラクターですが、誕生のいきさつを改めておしえてください。



【甲さん】
テワさんは、私が葛飾署にいたときに考案した「フリコマン」というキャラクターの部下である「本田あやめ巡査」の相棒にする予定で考えたものです。でも、実現する前に葛飾署から転勤して東京都に派遣になってしまったので、しばらく寝かせていた企画でした。


考案した当時は、高齢者に直接訴求することしか考えていなくて「知らない人にお金を手渡さない」と「犬のお巡りさん」をかけあわせて「テワタサナイーヌ」という名前にしました。今となっては時代遅れの名前ですよね。


−−名前はともかくとして、ビジュアルが「子供が泣くレベル」と当時いわれたほど強烈だったので(人がヘッドだけかぶるキャラクター。顔は萌え顔の犬、体は警察官)、まず見た目で驚いた記憶があります。今はもうみなれたので可愛いとおもってますけど。


【甲さん】
ありがとうございます。もう少し一般ウケするようにしてもよかったと反省はしていますが後悔はありません。


−−ちょっと強烈すぎましたね(笑)で、当時テワタサナイーヌは手弁当でつくったとうかがっていたのですが、割と活動の幅は広かったですよね。



【甲さん】
なんでもやらせちゃいましたね。


−−あと行動が規格外だったというか。着ぐるみの頭だけの写真を公開してみたり、着ぐるみ界隈ではありえない赤裸々すぎる実態だしてましたよね。「夢ぶち壊し」と言われていたのを覚えています(笑)



【甲さん】
キャラクター運用のおきて破りでしたね。


−−お約束はことごとく破っていきましたからね。「中の人はいない」が着ぐるみやキャラクターの合い言葉なのに「中に人間はいってまーす」、みたいな。あと、かなり偉い方にもお会いしていますよね。テワタサナイーヌ嬢。



【甲さん】
警視総監にまで絡みました。
そのあと都知事に突撃する話になっていたんですが、スキャンダルで…。


−−あ……察し。


【甲さん】
知事に突撃したいとツイートしたのを知事が見ていたらしく、そのあと知事室から私宛に電話がありました。
「あ、終わったな…」と思ったものです。


−−そんなエピソードが(笑)ところで、テワタサナイーヌ嬢は「部署に置いていく」という話で、中の人を引退されていますが、今は甲さんのもとに戻ってきていますよね。(現在、テワタサナイーヌのキャラクターは甲さんのもとで非営利かつ個人活動として特殊詐欺の啓蒙をつづけている)


【甲さん】
いえ、置いてきたテワさんは(警視庁の)倉庫で眠っています。予算を取って作った頭が2つ、警視庁にアンチじゃなかった安置されています。


−−あ、ヘッドはまだ警視庁にあるんですね(笑)でもキャラクター運用面では、甲さんが現在も行っていますよね?イラストだしたり、テワタサナイーヌのTwitterアカウントをつくっていたり。



【甲さん】
警視庁が使用を放棄したみたいなので私が運用しています。


−−クリエイティブ・コモンズだからもし何かあっても非営利であれば問題ないですしね。なるほど。


【甲さん】
いま活動しているテワさんのヘッドは私が自腹で作ったテワさんなので「これは持っていきます」と宣言して持ち帰ってきました。


−−私の記憶が確かならお手元にある分は、初代のヘッドですよね。


【甲さん】
実は初代と二代目のふたつが私の手元にあります。つまり、合計4個の頭があります。テワさんは。


−−Twitter担当をおやめになった後に、1度だけ初代をかぶらせてもらった事があるじゃないですか※。外見より内側が狭くて、息することすら苦しかった記憶があります。「シュコー」ってダースベイダーみたいな息しかできませんでした。最初の頃の中の人たちは警察の方だったと思うので、やはり警察官の身体能力ってすごいんだなーと感じました。


 ※さらっと告白:甲さん個人で行っている特殊詐欺の注意を呼びかける活動の中で、あるイベントに参加する時に“中の人がスケジュール上いない”という危機的状況があり、身長があうという理由だけで実は筆者がボランティアで1度だけ入っています。


【甲さん】
被るために鍛えているわけではありませんが、役には立っているかもしれませんね。


−−ですね。で、話をかえますが、Twitter担当を離れたのは移動が理由だったのですよね。去る時って、当時ネットニュースにもなったりしましたが、当事者的にはあの盛り上がりどうご覧になっていました?


【甲さん】
翌日の午前0時が来なければいいのにという気持ちでした。来ましたけどね。普通に。


−−皆さん惜しんでいましたよね。別れを。最後フォロワーは何万人ぐらいいったのですか?


【甲さん】
異動時に15万くらいだったと記憶しています。


−−当時、公式アカウントのなかでは頭一つ出ている数ですよね。他は10万以下がほとんどだった記憶です。運用4年の中で、フォロワーさんから結構辛辣な声がとどいたのも目にしていました。例えば「税金つかってSNSであそんでんじゃねー」みたいなのもチョイチョイみかけた記憶です。中にいる間、辛くはなかったですか?


【甲さん】
遊んでいるように振舞っていたので「そうだよねえ、ごめんね。でも効果があるからやめないよ」という感じで眺めていました。


−−それ言っても大丈夫なんですか(笑)


【甲さん】
実際やめなかったのでいいです。楽しかったのも事実です。


−−嫌な思い出だけじゃなくて良かったです。去った後って、やはり寂しかったですか?


【甲さん】
しばらくは抜け殻でしたね。甲さんロスでした。


−−寂しそうでしたもんね。


【甲さん】
愛着がありましたからね。


−−中の人をおやめになったのが2016年9月9日。そこから今年2020年の9月末日で退職されるまで約4年の期間があったわけですが、私の勘だと割と早い時期から転職か独立を考えていませんでしたか?離れて2年ほどたった頃、色々なことに活動の幅を広げられていたので(趣味方面で)、何かふっきれたのだろうなって、感じていました。


【甲さん】
転職活動を始めたのは去年の11月ころからです。


−−聞いた記憶があります。突然メールが来て「やはりね」って思った覚えが。


【甲さん】
やはりでした。きっかけは妻との会話だったんです。


−−奥様からはなんと?


【甲さん】
きっかけは、妻と東京ディズニーランドに遊びに行っているときのことです。ふたりともディズニーランドが好きでしたので「定年したらキャストのバイトしよう」と話をしていました。でも、どうせならもっとがっちり関わりたいと思い、オリエンタルランドの中途採用という手があるなと思ったんです。
求人があるかどうか探したらうまい具合に総合職の採用がありました。そこで、それに申し込みました。当然ですがお祈りという結果に。


一旦、転職という気持ちになってしまうと、いまの職に対するモチベーションが著しく低下してしまいます。夜勤が眠くて嫌になっていたことも7割くらいありますが。
ということで本格的に転職活動に入りました。


妻は「冗談でやっているんだろう」と思っていたらしいです。内定をもらって転職してもいいかを訊いたとき、少し驚いていました。


「ま、私が稼ぐからいいよ」と言って許してくれた男前です。


−−素敵な奥様ですね。羨ましいです!


【甲さん】
そうなんです。めっちゃ素敵なんです!


−−で、起業の話へとそろそろ入りたいと思います(笑)もともと、特殊詐欺に関する啓蒙団体というかNPOを作るって、2年ぐらい前に甲さんからほんのり聞いた記憶があるのですが、蓋をあけたら起業だったので私個人としては驚きました。しかもTwitterに特化したアカウント運用「請負」業。会社にしようと思った理由を教えてください。


【甲さん】
そちらのNPOもまだ考えています。会社にしようと考えたのは、中の人が正当な評価を受けていないという思いがずっとあって、自分が儲けなくてもいいから中の人にもっといい待遇を提供したいと考えたからです。


−−中の人たちの待遇ですか……。確かに、会社の中でも浮いた立場というか、厳しい状況に置かれている公式中の人って割りと多いんですよね。皆さん表は明るいけど、裏では凄く苦労されているというか。色々聞いています。


【甲さん】
中の人は、ひとつの職能だと考えています。ですから、それ相当の待遇を提供すべきだと。ただの広報担当とは求められるスキルの質が違います。


−−BtoCですからね。普通の広報さんとは少しちがいますよね。サポート的要素もあるというか。会社の窓口であり、顔でもあるというか。


【甲さん】
サポセンであり広報であり危機管理センターであり…ほぼ一人で会社を背負っているようなものです。


−−何かあったときの即応部隊ですしね。


【甲さん】
中の人しか火消しができません。燃やすことは他の人にもできますが。


−−そういえば会社の登記はつい最近ですか?


【甲さん】
10月27日に登記されました。



−−おめでとうございます。できたてほやほやですね。事業内容はTwitter運用の代行業とのことですが、既にもうお仕事ははじまっていますか?


【甲さん】
業務は開始しています。お問い合わせを一日千秋の思いでお待ちしているところです。と言いながら、実はすでに大手アカウントをひとつお預かりすることになっています。公に出ないお約束なのでアカウント名は明かせません。


−−既にお仕事が入っているようで安心しました。今後、甲さんの会社にお願いしたい、というところも出てくるかもしれません。その場合は、まず窓口からお問い合わせを?という感じでしょうか。


【甲さん】
はい、ウェブサイトに問い合わせフォームを作ってありますからそちらからお問い合わせをいただくか、直接メールでも結構です。メールアドレスは info@folclore.jp です。Twitter(@FOLCLORE_LLC)のDMでも大丈夫です。


−−今日は長い時間ありがとうございました。実は甲さんが警視庁の中の人をおやめになるとき「いつかちゃんとインタビューをしてから書く」と決めて、最後の記事を書かなかったのです。4年越しでやっと甲さんのインタビューとれました。本当にありがとうございました。


<取材協力>
合同会社フォルクローレ(Twitter:@FOLCLORE_LLC/WEB:https://folclore.jp/)
中村健児さん


(宮崎美和子)


このニュースに関するつぶやき

  • 元記事には《公式アカウントの運用は職人技です》というツイートが載っている。アツギは例の騒動で株価急落したそうで、企業イメージを下げずに親しみやすさを出す中の人業って実際職人技なんだろうな。と思った。
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