入団前からの「ヤクルト愛」も? 山田哲人残留の“決め手”は何だったのか【燕軍戦記】

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2020年11月23日 16:00  AERA dot.

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写真FA権を行使せずヤクルト残留を選んだ山田哲人 (c)朝日新聞社
FA権を行使せずヤクルト残留を選んだ山田哲人 (c)朝日新聞社
 その時、ヤクルトの小川淳司監督(現GM)は、3度目の壇上で考えを巡らせていた。目の前に置かれた半透明の抽選箱に入れられた封筒は2つ。そのどちらかに「交渉権確定」と印字された“当たりくじ”が入っている。

 2010年10月28日、監督代行から昇格して臨む初めてのドラフト会議。その晴れの舞台で、1巡目に入札した早稲田大・斎藤佑樹(現日本ハム)、八戸大(現八戸学院大)・塩見貴洋(現楽天)を相次いで抽選で外し、外れ外れの入札でもオリックスと競合。最終的に「向かって左側の封筒を引こう」と決めたものの、先にくじを引いたオリックスの岡田彰布監督に、その封筒を取られてしまう。

 テレビ画面越しにこの様子を見つめていたのが、当事者である大阪・履正社高3年の山田哲人だった。地元・大阪の球団と、花の都・東京の球団。対外的には「12球団、どこに指名されてもOK」と公言しながらも、山田には意中の球団があった。

「僕はずっとヤクルトに行きたかったんです。口では『12球団どこでもOKです』って言ってましたけど、心の中では一番行きたい球団ってあるじゃないですか。それがヤクルトだったんです」

 見つめる画面の中では、小川監督が“3度目の正直”で当たりくじを引き、壇上でホッとしたような笑顔を浮かべている。もちろん当時の小川監督には、山田の思いなど知る由もない。偶然に偶然が重なり、運命に導かれるようにして山田とヤクルトは結ばれたのである。

 それから1カ月あまりが経って行われた、ヤクルトの新入団発表会。終了後の囲み取材で、山田について聞かれた小川監督が「落合(博満)さんみたいになってほしいなと思います」と話すと、囲んでいた記者からは笑いが起きた。

 それは山田が入団発表の席で、特技を聞かれて「ボウリング」と答えていたからだ。当時は中日の監督を務めていた落合は、一度はプロボウラーを目指したほどの腕前で知られている。それに引っかけた小川監督の発言だったからこそ笑いが起こったのだが、そこにはいくらなんでも三冠王3回の大打者のようにというのは……というニュアンスも込められていたと思う。

 ところが山田は、そこから大打者への道を歩んでいく。入団3年目の途中で二塁のレギュラーに定着すると、4年目の2014年はいずれもリーグ3位の打率.324、29本塁打と大ブレイク。シーズン終盤には「僕を(抽選で)引いてくれた監督ですからね。ホント、ヤクルトで良かったと思います」と、退任が決まった小川監督への思いを口にしたこともある。

 シーズンも残り2試合となった10月6日のDeNA戦(神宮)では、劇的な逆転満塁ホームランで日本人右打者としてはプロ野球史上最多のシーズン192安打を達成。その試合後、小川監督は「あくまで個人的なことなんだけど、初めてドラフトを経験して、くじを引いて外れて外れて(からの当たり)だったから、すごい思い入れがある」という山田について、しみじみと語った。

「スゴいのひと言ですよ。もう、それしか言いようがない。ここまで来るのは本人の努力が一番なんだけど、でもバッティングコーチとの出会いだったり、人との出会いによって今の彼の活躍っていうのがあると思う」

 小川監督のいう「バッティングコーチ」こそが、前年から二軍打撃コーチとしてヤクルトに復帰し、この年は一軍に昇格していた杉村繁打撃コーチである。それ以前にヤクルトのコーチをしていた時に青木宣親、横浜(現DeNA)コーチ時代には内川聖一(今季までソフトバンク)と、2人の首位打者を手掛けた名伯楽との二人三脚で、山田はさらに成長していく。

 翌2015年は打率.329(リーグ2位)、38本塁打(同1位)、100打点(同2位)に加え、34盗塁(同1位)で初のトリプルスリーを達成。リーグ優勝に大きく貢献し、栄えあるMVPにも選ばれた。優勝争いの真っただ中で「自分が打たないとチームも勝てないと思う」と話すなど、打線の主軸としての自覚も感じさせるようになっていた。

 そんな山田を「天才ですよ。努力もしてると思いますけど」と評した上で、ヤクルトに指名されたこともプラスに働いたと指摘していたのが、この年は4番バッターとして打点王に輝いた畠山和洋(現ヤクルト二軍打撃コーチ)だ。

「環境もあると思いますよ。監督、コーチも含めて長所を伸ばしてあげようって考えていると思うんで、そういう方針とマッチしている選手じゃないですか。ほかのチームに行ったら、ここまでの選手になっていたかどうかは分からないですからね。球場もバッター有利だし、そういうものも含めていろんなものがプラスに働いて、素質がドンドン開花してると思います」

 そのオフ、山田は背番号をそれまでの「23」から、若松勉、池山隆寛(現ヤクルト2軍監督)、岩村明憲(現BCリーグ福島代表兼監督)、そして青木(当時マリナーズ)が背負うなど、「ミスター・スワローズ」の番号とされていた「1」に変更。「(ミスター・スワローズと)認めてもらえるように頑張りたいですね」と気を引き締めた。

 新たに背負ったミスター・スワローズの番号で、山田は2016、2018年にも打率3割・30本塁打、30盗塁をクリア。比較できるものではないが、落合の三冠王3回がNPB唯一なら、山田のトリプルスリー3回も日本ではただ1人である。

 2019年は打率3割こそ逃したものの、自身4度目の30本塁打&30盗塁をマークし、オフの契約更改では外国人選手を含めても球団史上最高の年俸5億円(推定)に到達。その際、球団からの複数年契約提示を見送り「FA宣言するかもしれないし、しないかもしれない。それは決めてはいない」と話したことから、今年になって初の国内FA権を取得した山田の去就は、大きな注目を浴びることになる。

 巨人など他球団への移籍の可能性も、メディアでは頻繁に取りざたされた。しかし、FA選手公示から2日後の11月19日、ヤクルトは山田との契約合意を発表。併せて「正直に今までで一番悩みましたが、FA権を行使せずに残留することにしました。さらに活躍できるように努力したいと思います」という本人のコメントも発表された。

 契約年数は公表されなかったが、報道によると7年。山田は現在28歳であり、契約が満了する頃には35歳のベテランになっている。言ってみれば「生涯ヤクルト」を宣言したようなものだ。

 現在は直接、取材をする機会がないため、想像することしかできないのだが、山田が残留を選んだ背景には、間違いなくドラフト前から「行きたかった」というチームに対する愛着があったはずだ。もしかすると、監督として自らを「引いてくれた」小川現GMに対して恩義を感じていたかもしれないし、「ミスター・スワローズ」としての自覚もあったのかもしれない。

 今シーズンは上半身のコンディション不良もあって7年ぶりに出場数が100試合を割り、打率.254、12本塁打、8盗塁と、目標に掲げていたトリプルスリーからもほど遠い成績に終わった。

 やはり打率3割・30本塁打・30盗塁を1つもクリアできず、チームも歴史的な大敗で最下位に沈んだ2017年は、最終戦が終わってクラブハウスに引き揚げる際に涙を流したこともある。だが、前述のとおりその翌年は、見事に3度目のトリプルスリーを達成してみせた。ヤクルトとの相思相愛で残留が決まった今、不死鳥のようによみがえる山田の姿を、多くのファンが待ち望んでいる。(文中敬称略)

(文・菊田康彦)

●プロフィール
菊田康彦
1966年生まれ。静岡県出身。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身。2004〜08年『スカパーMLBライブ』、16〜17年『スポナビライブMLB』出演。プロ野球は10年からヤクルトの取材を続けている。








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