1試合6盗塁で大逆転も! 球史に残る「仁義なき盗塁王争い」3番勝負

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2020年11月24日 07:24  ベースボールキング

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写真パ・リーグ盗塁王に輝いた周東佑京 (C) Kyodo News
パ・リーグ盗塁王に輝いた周東佑京 (C) Kyodo News
◆ 来年のパ盗塁王争いは超ハイレベル!?

 例年よりも3カ月遅れてスタートしたプロ野球の2020年シーズンも、ついに最後の大一番・日本シリーズに突入。ソフトバンクのキーマンとして注目を集めているのが、今季「1番」に定着した周東佑京だ。

 ちょうど1年前の今頃、『プレミア12』に挑んだ侍ジャパンのメンバーに抜擢されると、持ち前の快足でチームの勝利に貢献。チームを世界一に導く原動力となり、一躍その名を日本中に轟かせた。


 そんなこともあって、今季は例年以上に期待と注目が集まる中ではじまったシーズン。開幕当初は前年と同じく“代走の切り札”という役割がメインだったものの、シーズン途中から徐々にスタメン出場の機会を増やし、9月の半ばには「1番」に定着していく。

 規定打席には届かなかったが、最終的には103試合の出場で打率.270をマーク。120試合制の短縮シーズンながら年間50盗塁を記録して、自身初のタイトルも手中に収めている。

 シーズン中には、盗塁王争いの常連である日本ハム・西川遥輝との熾烈な争いも話題になったが、10月に入って「13試合連続盗塁」の記録を作るなど、周東が一気にペースアップ。

 さらに今年は、ロッテに昨年の周東を彷彿とさせるような育成出身の韋駄天・和田康士朗という選手が台頭してきており、来年には日本ハムに「サニブラウンに勝った男」として知名度を上げた中央大・五十幡亮汰も入団してくる。若い才能、スピードスター候補が集まるパ・リーグの盗塁王争いが、今から楽しみだ。


 そこで今回は、過去のプロ野球の歴史のなかから、ファンの記憶に残る「盗塁王争い」をピックアップ。ここでは3つの名勝負を紹介したい。


◆ 1981年の名勝負「青木実と青い稲妻」

 1970年代から80年代にかけて、近鉄・藤瀬史朗とともに“足のスペシャリスト”として活躍。ワンチャンスをモノにして盗塁王を獲得したのが、ヤクルトの青木実だ。

 一軍初出場の1976年から、5年続けて打率は1割台以下。打力が弱かったため、代走や守備固めでの出番が多く、盗塁も1978年の「15」というのが最多だったが、1981年に大きなチャンスが巡ってくる。


 シーズン開幕直後から外野手のジョン・スコット、若松勉が相次いで故障で離脱。このチームのピンチを受けて、青木は5月末から「1番・センター」に定着。8月下旬まで打率3割台をキープし、盗塁数もキャリアハイを更新していく。

 10月2日の大洋戦では続けざまに二盗、三盗を決め、自身初の「30」に到達。ついに巨人の“青い稲妻”松本匡史と並んだ。


 10月3日からは巨人との直接対決3連戦。いずれも代走で出場した青木は3盗塁を決めて「33」とし、1盗塁に終わった松本に2差をつけた。両チームともに残り2試合、ほぼ勝負あったかに思われた。

 「ここまで来たら、何が何でも獲りたいですよ。プロ入り6年目、初めてのチャンスですから」と逃げ切りを図った青木だったが、敵もさるもの、松本は10月7日の大洋戦で2盗塁を決め、一気に追いついてみせる。

 そして、シーズン最終戦となった14日の広島戦、2回に釘谷肇の代走として一塁ベースに立った青木は、北別府学–水沼四郎バッテリーから執念の二盗。「34」で単独盗塁王に輝いた。

 「やりました!最高の気分です」と大喜びの青木に対し、わずか1差に泣いた松本は「ウーン、残念だけど、また来年、タイトル獲りに挑戦です」と雪辱を誓う。

 その言葉どおり、松本は翌年に61盗塁で初タイトルを手にしたが、青木は翌年以降出番が減少。まさに“最初で最後のチャンス”を掴んだという格好になった。


◆ 正田耕三は「1試合6盗塁」で大逆転!

 日本タイの「1試合6盗塁」を記録し、大逆転で盗塁王を獲得したのが、1989年の広島・正田耕三だ。

 同年のセ・リーグ盗塁王争いは、10月14日の時点でヤクルトのルーキー・笘篠賢治が「32」でトップ。2位・正田に4差をつけていた。残り試合はヤクルトが1に対し、広島が3…。ふつうに考えれば正田の逆転は難しく、プロ野球史上初の「新人盗塁王」誕生が濃厚とみられていた。


 ところが、翌15日の中日戦。正田はあっと驚く大逆転劇を演じる。

 初回に一ゴロが相手の失策を誘って出塁すると、2番・野村謙二郎の初球に二盗。内野安打で出塁した2回にも二盗、三盗と相次いで成功させ、一気に「1」差まで詰める。

 さらに5回にも右前安打で無死一塁としたあと、野村の初球に二盗、カウント1-1からの3球目に三盗を決め、ついに笘篠を逆転した。

 そして、捕手が山崎武司から中村武志に代わった7回も、一死から中前安打を放ち、野村の2球目にこの日6個目の盗塁に成功。1952年の山崎善平(名古屋)以来、実に37年ぶりという日本タイ記録だった。

 「5個目のあと、広報から記録のことを聞きました。7回は捕手も(強肩の中村に)代わっていたし、アウトになってもいいやという気持ちで走った。結果オーライですよ。ほんと今日はよう走ったなあ」と話した正田。直後には三盗も試みているが、これはタッチアウトとなり、残念ながら日本新は達成ならなかった。


 一方、「34」の正田を2差で追う立場になった笘篠は、10月17日の最終戦・中日戦の3回に二盗失敗。この時点で笘篠に並んでいた大洋・高木豊も、残り2試合で盗塁を記録できず、正田の初の盗塁王が確定する。

 余談だが、1試合5盗塁を許した山崎は、“捕手失格”の烙印を押され、一塁手に転向。このコンバートが、後の「両リーグ本塁打王」を生み出すことになる。


◆ 盗塁封じにわざとボーク…ファン不在の“泥仕合”

 盗塁王をめぐり、ファン不在の泥仕合が繰り広げられたのが、1998年10月12日のロッテ−西武戦だ。

 両チームともに、この日が泣いても笑ってもシーズン最終戦。盗塁王争いは、「43」のロッテ・小坂誠を西武・松井稼頭央が1差で追っていた。

 まず、松井が3回に三盗を試みて失敗。小坂も4回に三盗失敗と、前半から2人は激しい火花を散らす。


 ところが、7回一死、小坂が左前安打で出塁すると、様子がおかしくなる。

 マウンドの芝崎和広が故意か偶然なのか、一塁けん制を悪送球。当然ながら二進すべき場面だが、なんと、小坂は一塁コーチに制止され、一塁にとどまった。すると、芝崎は「悪送球でも進塁しないのなら」とばかりにボークを犯し、小坂は嫌でも進塁せざるを得なくなった。

 小坂が二塁に進むと、今度はショートの松井が三遊間をがら空きにし、二塁ベース上に立った。「盗塁さえ阻止すれば、タイムリーを打たれてもいい」というベンチの指示のようだ。厳重な包囲網のなか、小坂は三盗を試みたが、アウトになった。


 一方、松井もその裏、二死一塁から中前安打で出塁したが、「先ほどのお返し!」とばかりにショート・松本尚樹が二塁ベース上に立ち、二塁走者・和田一浩をけん制。和田を封じることによって、松井を動けなくする作戦だった。

 しかし、そんな警戒網をものともせず、2人は重盗に成功。この結果、松井は土壇場で小坂と盗塁王を分け合うことができたが、ファンとしては、本塁打王や首位打者阻止の四球攻め同様、こんなタイトル争いは二度と見たくないだろう。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)

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  • ファンからしたらそんなタイトル取らせる為のグダグダした試合は見たくないだろうが、選手からしたらタイトルの有無でその後が大きく変わるわけだから必死なんだと思うよ。 https://mixi.at/ai8V0i1
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