ディエゴ・マラドーナ、波乱万丈の歴史を年表で振り返る

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2020年11月26日 19:58  サッカーキング

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サッカーキング

写真[写真]=Getty Images
[写真]=Getty Images
 サッカー史に名前を残すアルゼンチンの英雄ディエゴ・マラドーナが、2020年11月25日に60歳でこの世を去った。唯一無二の存在であり、神とも呼ばれる一方、世を騒がせるトラブルメーカーでもあったレジェンドの歴史を年表で振り返る。

※カッコ内は当時の年齢

1960年
(10月30日)アルゼンチン・ブエノスアイレス州ラヌースにて8人兄弟の5番目として誕生。

1969年
(6月)アルヘンティノス・ジュニオルスの入団テストに合格(9歳)

1974年
アルヘンティノス・ジュニオルスの9軍に昇格し、プロ選手として登録される(14歳)

1976年
(10月20日)アルヘンティノス・ジュニオルスでトップチームデビュー(15歳)
(11月4日)サン・ロレンソ戦でトップチーム初ゴール(16歳)



1977年
(2月27日)アルゼンチン代表デビュー(vsハンガリー)当時のサッカー界で史上最年少出場記録。(16歳)

1978年
メトロポリタン・リーグ(ブエノスアイレス中心に開催していたリーグ)で自身初の得点王(17歳)

1979年
(6月2日)スコットランド戦でA代表初ゴール(18歳)
(9月)日本で開催されたFIFAワールドユースで優勝。大会最優秀選手選出
メトロポリタンリーグで22得点を挙げて得点王(19歳)
記者選出アルゼンチン年間最優秀選手受賞
南米年間最優秀選手賞受賞

1980年
メトロポリタンリーグで25得点を挙げて得点王(20歳)
2年連続で記者選出アルゼンチン年間最優秀選手受賞
2年連続で南米年間最優秀選手賞受賞

1981年
(2月20日)ボカ・ジュニアーズへ移籍(20歳)
(2月22日)ボカ移籍後初ゴール
3年連続で記者選出アルゼンチン年間最優秀選手受賞



1982年
(6月)W杯初出場。スペイン大会で5試合出場2得点も、ブラジル戦で退場処分に(21歳)
(8月)バルセロナへ移籍
(12月15日)肝炎を発病(22歳)

1983年
(6月4日)コパ・デル・レイ優勝(22歳)
(9月24日)アスレティック・ビルバオ戦で足を骨折して3カ月離脱

1984年
(7月5日)ナポリへ移籍(23歳)
(9月16日)ヴェローナ戦でセリエAデビュー

1986年
(6月)メキシコW杯出場で優勝、大会最優秀選手賞受賞(25歳)
(9月)恋人クリスティアーナ・シナグラとの隠し子が発覚
世界最優秀選手賞受賞
アルゼンチン記者による年間最優秀スポーツ選手賞受賞



1987年
(4月2日)長女ダルマが誕生(26歳)
86−87シーズンのスクデットを獲得。15ゴールを挙げてセリエA得点王に
コッパ・イタリア優勝。同大会でも6ゴールを挙げて得点王に

1989年
(5月16日)次女ジャンニーナ誕生(28歳)
(5月17日)UEFAカップ優勝
(11月7日)ダルマとジャンニーナの母であるクラウディア・ビジャファーネと結婚(29歳)
南米年間最優秀選手賞受賞



1990年
89−90シーズンのスクデット獲得(29歳)
イタリアW杯で7試合出場無得点、決勝で西ドイツに敗れて準優勝
南米年間最優秀選手賞受賞



1991年
(2月14日)ナポリ検察庁が薬物疑惑と売春行為の疑いがあると発表。売春行為は認めたが薬物疑惑は否定する。しかし、再検査の結果コカインの陽性反応が検出されたため、イタリアサッカー協会から15カ月の出場停止処分を受ける。(30歳)
(4月26日)ブエノスアイレスで麻薬所持容疑で逮捕

1992年
(9月28日)リーガ・エスパニョーラのセビージャに移籍(31歳)
南米年間最優秀選手賞受賞

1993年
(9月13日)ニューウェルズ・オールド・ボーイズに移籍(32歳)

1994年
(2月3日)ブエノスアイレス郊外の別荘へ、所属クラブとの契約解除問題を取材にきた報道陣へエアガンを発砲。4人が負傷し、執行猶予付き禁固2年の実刑判決(33歳)
(6月25日)アメリカW杯で2試合に出場し、1得点。しかしナイジェリア戦後のドーピング検査でコカインの陽性反応が検出されたために大会を追放される
(10月3日)アルゼンチンのマンディージュ・デ・コリエンテスの監督に就任
(12月6日)同クラブ監督を辞任。戦績は12試合で1勝5敗6分(34歳)



1995年
(1月)ラシンの監督に就任(34歳)
(5月6日)ラシンの監督辞任。11試合で2勝3敗6分
(8月)ボカ・ジュニアーズに移籍
(9月30日)出場停止処分が明け、韓国代表戦で復帰

1996年
(4月4日)世界フライ級王者のハシアーが15度目の防衛を達成したことを記念して、ボクシングの試合を行う(35歳)
『フランス・フットボール』誌から功績をたたえられ、サッカー功労賞を受賞

1997年
(10月25日)最後の公式戦となったボカ・ジュニアーズvsリーベル・プレートの試合に出場(36歳)

1999年
アルゼンチン・スポーツ記者より20世紀最優秀スポーツマンに選出(38歳)

2000年
(1月4日)ウルグアイで休暇中に心臓発作を起こす。コカインが原因で心臓組織の38%しか機能していないことが判明(39歳)
(1月25日)キューバでコカイン中毒の治療中、マスコミの車の窓ガラスを叩き割り、ケガを負わせる

2001年
(11月10日)ボカ・ジュニアーズの本拠地ボンボネーラで引退記念試合(41歳)



2002年
(6月29日)日韓W杯観戦のために来日するも、過去のコカイン吸引などの犯罪歴から入国を拒否される。その後、政府高官大使として例外的に入国を許可される(41歳)

2003年
(3月7日)裁判所にクラウディア夫人から離婚協議書が提出される(42歳)
(3月29日)クラウディア夫人と正式に離婚

2004年
(4月18日)コカイン中毒により、ブエノスアイレス市内の病院に緊急入院(43歳)

2005年
(3月)コロンビアにて肥満解消のための手術を受け、数カ月で50キロの減量に成功(44歳)
(8月1日)ボカ・ジュニアーズのクラブ幹部就任
(8月15日)自身がホストを務めるTV番組『10番の夜』スタート
(11月)ベネズエラのチャベス大統領応援に駆け付け、反ブッシュ米大統領を表明(45歳)



2006年
(8月26日)ボカ・ジュニアーズのクラブ幹部を辞任。アルフィオ・バシーレ監督がボカからアルゼンチン代表指揮官になる交渉の際にAFAと揉める(45歳)

2007年
(3月29日)肝炎とアルコール依存症の治療のためブエノスアイレスの病院に入院(46歳)

2008年
(10月28日)バシーレ監督の辞任を受け、アルゼンチン代表監督に就任(48歳)
(11月19日)スコットランド戦で代表監督初采配。1−0で勝利(49歳)

2009年
(2月)次女ジャンニーナとセルヒオ・アグエロの間に第1子が誕生。初孫を授かる
(3月28日)W杯南米予選、ホームのベネズエラ戦で公式戦初采配。4−0で勝利(49歳)
(4月1日)W杯南米予選、アウェーのボリビア戦で1−6の記録的大敗を喫する
(10月14日)W杯南米予選のウルグアイ戦、アウェーながら1−0で勝利し、4位を確保して本大会出場権を獲得
(11月15日)記者会見で報道陣に対して暴力的な発言をしたため、FIFAから2カ月間サッカーに関するすべての活動を禁止される(50歳)

2010年
(6月)南アフリカW杯でアルゼンチン代表を指揮。グループリーグをナイジェリア、韓国、ギリシャ相手に3戦全勝で突破。決勝トーナメント1回戦ではメキシコに勝利したが、準々決勝でドイツに敗れて敗退(50歳)
(7月27日)契約満了に伴い、アルゼンチン代表監督を退任。協会は契約延長を打診したが、コーチ陣の交代を求めたために衝突。同条件を出せば契約延長を拒否すると協会側が判断したとも



2011年
(5月)UAEのアル・ワスル監督に就任。2年契約で年俸は推定900万ドル(51歳)
(11月19日)母ダルマが81歳で逝去(52歳)

2012年
(7月10日)リーグ戦で12チーム中8位に終わり、1シーズンで監督解任(52歳)

2013年
(2月3日)ヴェロニカ・オヘダとの間にディエゴ・フェルナンドが誕生。マラドーナにとって5人目の子ども(53歳)

2014年
(9月1日)イタリアで親善試合に参加。ロベルト・バッジョらとプレー(54歳)
(9月2日)ローマ法王と面会



2015年
(6月25日)父ドン・ディエゴが87歳で逝去(55歳)

2016年
(10月12日)ローマで親善試合に出場。ハーフタイムでベロンと激しい口論に

2017年
(5月7日)UAE2部リーグのアル・フジャイラ監督に就任(57歳)
(7月)ロシア人女性ジャーナリストへのセクハラで提訴される
(7月5日)ナポリの名誉市民に

2018年
(4月27日)アル・フジャイラ監督を辞任(58歳)
(5月15日)ベラルーシのディナモ・ブレスト会長に就任
(9月6日)メキシコ2部のドラドス・シナロア監督に就任



2019年
(1月4日)胃の内出血で入院(59歳)
(6月13日)健康面の不安を理由にドラドス・シナロア監督を辞任
(9月5日)アルゼンチン1部のヒムナシア・ラ・プラタ監督に就任
(11月19日)ヒムナシア・ラ・プラタ監督を辞任するも、2日後に再就任(59歳)

2020年
(11月2日)「精神的な問題」を理由に検査入院。硬膜下血腫が見つかり、摘出手術を実施(60歳)
(11月11日)術後、アルコールを絶ったことによる禁断症状を発症し、入院期間が予定より長引くも退院。自宅療養へ
(11月25日)ブエノスアイレス郊外の自宅で死去


このニュースに関するつぶやき

  • 選手として凄かった。人として破天荒だった。 他の強豪国との兼ね合いでアルゼンチン代表を応援してるが彼が中心選手だった時以来W杯優勝できてないね。 客席にいる時が面白かった記憶ある。 映画やドラマにしたら面白そうな人生。合掌。
    • イイネ!1
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  • このWikipediaの抜粋コピペみたいな記事はナニよ?ライターの端くれなら故人を偲ぶ書き方があるんじゃね?こんなもんおれだって作れるわ。ご冥福をお祈り申し上げます。
    • イイネ!18
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