ユカイな30年 離婚寸前の危機だったダイアモンド☆ユカイが行きついた「大切なもの」

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2020年11月27日 18:00  AERA dot.

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写真ダイアモンド☆ユカイ(撮影/掛祥葉子)
ダイアモンド☆ユカイ(撮影/掛祥葉子)
 音楽活動を中心に、タレント業など幅広い分野で活動を続けるダイアモンド☆ユカイ。ソロデビューから30周年を迎えた今年は「コロナ禍」という災厄に見舞われながらも、ポジティブに夢を追い続けている。ロックンローラーから最近ではタレントと呼ばれるようになったユカイの30年間を振り返りつつ、今後の展望についても聞いた。

【写真】30年前の貴重なショットはこちら

*  *  *
――ボーカルとして約4年間活動したロックバンド「RED WARRIORS」が突然の解散。30年前、ソロとしてデビューを迎えたときの心境を覚えていますか。

 気付いたら30年前だもんね。バンド時代は、自分たちのやりたいことを全部やり通した。4年間で4枚もアルバムを出して、日本武道館や西武球場でライブをやって、後はほとんどツアーをして。気が付いたらあっという間に夢が実現しちゃってさ。それがいけなかったんだよな。その時にもうちょっと苦労して実現すればよかった。急な階段を上って、下積み時代がほとんどない感じだったから、当時はもうイケイケで、つけ上がってた。

 アメリカ進出をめぐってメンバー間でもめて、突然バンドが解散しても、その時の自分はお山の大将気取りだった。「俺はボーカルだから、もっとうまいやつがバンドに入れば、もっといいものができるんじゃないか」って。でも、つけ上がっていた反面、どこかで不安な自分もいたのかもしれない。自分のソロは、そんな出発だったね。

――ソロとして30年間活動をする中でぶつかった、一番の壁は何でしたか?

 これがもう、最初から壁だったよ。アメリカへ行って、豪華なバンドメンバーをバックに加えてアルバムを作って、やりたい放題。日本に帰国して、完成したアルバムを鳴り物入りで出したんだけど、RED WARRIORSを好きだったファンの評価は見事に割れた。マイナーヒーロー路線のバンド時代に比べて、ソロで出した音楽はもっとメジャーロック王道路線だったから、嫌いな人もいたと思う。

 やりたい放題やったせいで製作費もすごくかかって、当時の事務所からもたたかれた。2枚目のアルバムを出そうとしたら、収支が合わないからできないって言われちゃった。それで、1枚目のアルバムを出してから丸1年くらい、表舞台に全然出られなくなったんだ。その1年間は、要するに干されていた。だからずーっと曲を作ってた。俺にとってはとってもつらい1年だったけど、新たな「ダイアモンド☆ユカイ」を見つけるための、大事な模索の時間だったね。

――確かに、アルバムのカラーは1枚ごとにまったく違いますよね。ある意味で、一貫していると感じました。

 ソロ時代を振り返ると、ずーっとカオスを繰り返していたような感じ。毎回アルバムを出すごとに変身して、「今の自分」を表現していたから、ファンはもうついて来れなかったんじゃないかな。「どこ行っちゃうの、こいつ」みたいな。その間に、自分でも悩んでたんだよね。評価されたかったのかもしれないし、こんなもんじゃねえだろって思うこともあった。いろいろ揺れ動く中で、バンドを再結成したりとか、模索をしてきた。ソロ活動ではずっと、「ダイアモンド☆ユカイ探し」を続けていたんだろうね。

 それでも幸せなことに、最初の10年ぐらいはビジネス的にはいいペースでやれてた。その次の10年ぐらいから、さらにカオス。「成り下がりの時代」って俺は呼んでるんだけど。芸人さんとかだったら、10年ぐらい下積みの時代があるでしょ。バンド時代は下積みがなかったから、ここで初めて、下積みに戻ったような感じ。活動にも広がりがなくて、どんどん小さいところに入って行っちゃった。

――そこから転機となる出来事があったんでしょうか?

「成り下がりの時代」に好き勝手にやっていたら、役者をやりませんかっていう仕事が入ったんだよ。それで行ってみたら、バラエティー番組の『踊る!さんま御殿!!』だった。見事にだまされちゃった。音楽しかやってなかったから一度も番組を見たことがなかったんだけど、右も左もわからないまま出演したんだよ。でも、俺があまりにも浮世離れしてたからさ、世間には面白く映ったんだろうね。それを機にタレント活動が始まって。そのへんから人生がまた面白い方向に転がったね。

 最初は取りあえずオファーあるから一年だけやって止めようと思っているうちに、自分も楽しくなってきちゃってさ。かつて「全米ナンバーワン」を思い描いていた自分がさ、気が付いたらタレントになっていた。人生って奇想天外だよね。それでも、音楽は回り道しながらずっと続けてきたんだよ。タレント活動をしたおかげで、自分のことを知らなかった人たちからも知ってもらうことができた。

 そうしているうちに、タレント活動を始めてもう14年くらい経つんだよ。あっという間に時が流れていくね。それで今年に入ったらさ、コロナが起きちゃったんだよ。この30年、ほんと激動だよ。

――この30年で、音楽業界にも大きな変化があったと思います。今や、定額聞き放題のストリーミングサービスが全盛の時代ですよね。

 すごく変わったよね。俺がデビューしたときはまだレコードが中心で、ちょうどCDが出始めた時期。俺はレコード派だったから、CDを「こんなおもちゃみたいなもの」って思ってたんだよ。それが、一気にCDがはやって、ついにはCDが売れなくなっちゃうんだよ。驚きだよね。

――そうした時代の変化がありながら、30年間活動を続けていくのは容易ではなかったと思います。活動を続けてこられた要因は何だったのでしょうか?

 好きで始めた事だから続けていくことは苦じゃなかった。不器用だしこれしかできないからね。俺の場合は、一生懸命必死で前向きに生きていたら、どんどん新しいことに出会えた。かつての自分はロックンローラーだったから、まさか男性不妊の本を出したり、バラエティー番組で笑われたりするなんて、30年前には想像もしていなかった。でも、なんでも面白がってやったね。これはこれで、自分の生きるすべなのかもね。

――この間に「3人のお子さんの誕生」という大きな出来事があったと思います。ご自身の音楽性や、楽曲で伝えたいものは変わりましたか。

 変わったね。昔の自分は、「俺が俺が」っていう、「オレオレ音楽」。「俺は悲しいんだ」、「俺は恋してるんだ」、「俺は失恋したんだ」みたいな。俺が中心で、俺のために音楽を作ってたんだよ。だけど男性不妊で子どもを授かったことによって、「俺のため」だったのがさ、「子どものため」「誰かのため」に何かをすることの喜びのようなものを感じるようになったんだよ。かつての自分は、「俺が俺が」って言って、取れないものは奪っちゃえみたいなTAKERだったけど、与えることGIVEのほうが喜びが大きいんだなって。心の底からじわーっとした喜びが湧いてきて。そういう歌を歌いたいな、って思うようになってきてさ。シンプルで、深く心に染み入っていくような音楽のほうが好きになっちゃったんだよね。

――コロナ禍の今年は異例の年だったと思いますが、どんな生活を送ってきましたか?

 ソロデビュー30周年ということでいろんな計画を立てていたんだけど、みんな飛んじゃってさ。今まで忙しかったから、家にいることがあんまりなかったんだけど、コロナ禍で家族全員、家に勢ぞろいする時間がたくさんできちゃった。

 一番苦しかったのは、妻と面と向かうっていうこと。これまで何十年も、仕事を理由に、妻とうまく目をそらして生きてきたわけだよ。それが、逃げられなくなっちゃった。子どものことも含めていろんなことを話し合うじゃない。世の中的に、コロナで離婚した人が一杯いるっていうけど、俺も寸前まで追い込まれたよ(笑)。ケンカになって、意地を張って「家を出ていく!」と言ったりしたけど、最終的には俺が悪かったんだなって。俺にとって、コロナは最悪だったけど最高だった。ギリギリまで追い詰められて、本当に大切なものは妻と子供たち、そして歌う事なんだなってことを分からせてくれた。大切なものが見つかった分、要らないものを断捨離したよ。東京の仕事部屋のマンションも引き払っちゃった。

――ステイホーム生活を送る中で、ご自身の音楽性に変化はありましたか?

 最初は「ふざけんなよコロナ」って思って、「消費税下げろ」とか、そういう曲ばかり浮かんできた。でも、だんだん心が浄化されてきて、自分の汚れた部分を省みる歌や、ピュアな愛の歌、子どものころ見た夢の歌、いろんな曲がぼんぼん浮かんできてさ。

 音楽とも向き合おうと思って、朝5時に起きて、誰もいない起きてない時間に曲を作るようになった。結局俺って、忙しさにかまけて歌とも向き合ってなかったんだなと、家族とも妻とも向き合ってなかったんだなって気づいた。一番大切なものとは、きちんと向き合っていかなきゃいけないなって。ピンチはチャンスで、俺にとっては貴重な時間になったね。

――今後、新たにチャレンジしたいことはありますか?

 できるんだったら、映画と音楽を融合させた「映画音楽」を作りたいね。

 夢は尽きないんだよね。バンドでプロデビューの夢を描いていた22歳の時、それがかなうかどうかは夢のまた夢だった。気が付いたらその夢をかなえて、ビートルズのように武道館に立ちたいっていう夢もかなえて。ミスサイゴンのミュージカルを見て、ミュージカルの舞台の経験がない俺だけど、どうしてもこの舞台で『アメリカンドリーム』を歌いたいなって思って猛特訓してオーディションを受けたら、帝国劇場の真ん中に立つという夢もかなえた。

 これで終わりなのかなって思ってたら、今度はオーチャードホールでオーケストラをバックに、『ムクロジの木』(男性不妊で子どもを授かった時の喜びを歌った曲)を歌いたいっていう夢ができちゃってさ。還暦のコンサートで歌うために、もうオーチャードホールの予約もしたんだよ。満杯じゃないと意味がないから、埋めるために頑張ろうと思ってる。コロナで壁もできたけど、乗り越えていくつもりだ。

 まだまだいくつになっても、夢はかなえるものだからね。苦しくても、夢に向かっていく自分が一番楽しいと思うんだ。いくつになっても夢は尽きないよ。夢があるって幸せだね!

(構成=AERA dot.編集部・飯塚大和)

◎ダイアモンド☆ユカイ
1962年生まれ。86年、RED WARRIORSのボーカリストとしてメジャーデビュー。89年にバンド解散。90年、「DIRTY HERO」でソロデビュー。その後は音楽活動を中心に、映画・舞台バラエティー番組の出演など幅広い分野で活動。自著に自身の不妊治療についてつづったエッセー『タネナシ。』などがある。

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