写真 ダイアモンド☆ユカイ (撮影/写真部・掛祥葉子) |
中学2年生のときにビートルズの音楽に出会い、「歌を歌うことを職業にしたい」と強く思ったダイアモンド☆ユカイさん。でも、20歳を過ぎるまで、ユカイさんの人生は落胆の連続だった。
【写真】事務所近くのオフィス街で撮影した ダイアモンド☆ユカイさんはこちら「両親は公務員で、年をとってからできた一人っ子だったので、親は当然、息子は将来、安定した職業に就くものだと思っていた。周りを見渡しても、『ロックがやりたい』なんて言おうものなら、『そんなことやって何になるの?』と全否定されるし、大学に入れば、同級生から、『夢を見るのもいいけど、ミュージシャンになるなんて、ギャンブルみたいなもんじゃない?』と白い目で見られたりして……。『好きなことをやりたいけどどうすりゃいいんだ?』と悩んでいたときに、一冊の本に出会うんです」
謝世輝(しゃせいき)の『信念の魔術』という自己啓発本だった。
「そこに、“自分の好きなことをやる人生と、好きなことを諦めた人生。どっちが後悔しないか?”というようなことが書いてあって、『俺は、好きなことを諦めて後悔はしたくない』と。ちょうど、長かった“安定への呪い”から解き放たれたときに、バンド仲間に出会って」
1986年、RED WARRIORSのボーカルとしてメジャーデビューを果たす。バンドは熱狂をもって受け入れられたが、その活動は3年で終止符が打たれた。
「ソロになってからはまた悩みの連続でした。思いどおりにいかないことだらけで、私生活も滅茶苦茶。でも、どんなに落ち込んでも、どん底になるとその言葉を思い出す。『好きなことして生きてるんだろ? だったらそれを誇れ!』って」
バンドが続かなかった理由を訊くと、「まぁ、みんな自分勝手だったからなぁ」とぽつり呟く。
「俺なんか一人っ子の典型。メンバー全員が不良でデタラメだったので(笑)。今考えるとよくまとまってたと感心する。奇跡だね(笑)。ただ、みんな自分勝手でも、音楽によって一つになれるっていうのがロックの醍醐味なんじゃない?」
今は、当時の彼らの曲をYouTubeなどで聴くこともできる時代。伝説のバンドと呼ばれるだけあって、そのサウンドがまったく古くならないことに驚かされる。
「ビートルズのルーツにまで遡って、50’sの曲やリズム&ブルースを浴びるように聴いていたからね。自分たちなりの“ロックはこうでなきゃ”みたいなこだわりが生まれたものの、最初は洋楽のまねですよ。でもボブ・ディランも言ってるじゃない? 『すべての創造はまず模倣から始まる』って。俺たちはその模倣も下手だったからさ、曲を作って、演奏して、歌っているとそこに“自分たち”が出ちゃうんだよ(笑)」
30年以上前のロックが、今聴いても鮮烈で普遍的な何かを感じさせるのは、音楽へのこだわりとオリジナリティーが融合した結果、ということなのだろうが、ユカイさんは、そこにもう一つ「日本語」という要素を付け加えた。
「不思議なんだけど、どんなに洋楽っぽいサウンドを作っても、日本語で歌うと、日本のものになっちゃう。25年前、ディズニーさんからお話をいただいて、ランディ・ニューマンの『君はともだち』(映画『トイ・ストーリー』の主題歌)を日本語で歌っていくうちに、『これは、ランディの歌う曲とは別のものだな』って思うようになった。英語バージョンで歌うのもかっこいいんだけど、日本語バージョンだと、言葉がグッと胸に迫る。これはこれで日本語オリジナルなんじゃないって」
(菊地陽子 構成/長沢明)
ダイアモンド☆ユカイ/1962年生まれ。東京都出身。ロック・ボーカリスト。86年、RED WARRIORSのボーカリストとしてデビュー。89年にバンド解散。90年、「DIRTY HERO」でソロデビュー。96年には、「トイ・ストーリー」の日本語版主題歌「君はともだち」を歌い幅広い層から注目を集める。映画、舞台などで役者としても活躍。自著に自身の不妊治療についてユーモラスに綴ったエッセイ『タネナシ。』などがある。
>>【後編/性愛から慈愛へ コロナ離婚よぎったダイアモンド☆ユカイの変化】へ続く
※週刊朝日 2020年12月4日号より抜粋