瀬戸内寂聴「仕事のはかどりが、のろくなって唖然」 退院後を語る

3

2020年12月03日 11:35  AERA dot.

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

AERA dot.

写真瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)。
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)。
 半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。

【横尾忠則さんの写真はこちら】

*  *  *
■横尾忠則「三島さん『君の絵は無礼だけどそれでいい』」

 セトウチさん

 僕が物心ついた頃、両親はすでに老人でした。実の両親を知らないまま老人の養父母に育てられました。二人共、尋常小学校しか出ていない無学の徒ですが、面白い言葉をよく知っていました。いわゆる故事・ことわざの類です。そんな言葉が日常の慣用句として、ポンポン出るのです。僕は一人っ子で人と話す機会がなかったので自然に両親の語ることわざを真似(まね)ていました。一日中、絵ばかり描いているので、本を読むことなどは十代にはほとんどなかったために、小学校を卒業する時、先生は親に、「中学に進学するというのに幼児語が抜けないのが心配」と伝えた。そういえば中学に入っても親には「ターちゃん」と自分のことを三人称で呼んでいましたね。

 だけど、友達に対しては面白がって、「聞いて極楽見て地獄」とか「蛙(かえる)の子は蛙」とか「鬼の目にも涙」とか「短気は損気」とか「万事休す」とか、こんな古臭い言葉や、自作のオノマトペを使っていました。

 今でも僕は絵の主題に困った時は、ことわざを形象化したり、画面にオノマトペを書き込んだりしています。そんな僕の言語感覚や視覚言語を面白がってくれる三島(由紀夫)さんは、「君の絵は実にエチケットのない、無礼な絵だけれど、それでいい。俺と君の共通点は、ブラックユーモアだなあ、日本人は真面目過ぎて、この良さが判(わか)んないんだよな」。

 三島さんのこうした考えの背景にある愚に徹した生き方を自らの浪漫主義と主張して、この意識は魂に忠実に従うことで全てが許されるとしていました。つまり、生きるのにいちいち理屈は必要ない。真理を求める心こそが愚であるとしています。思わず「知者は惑わず」なんてことわざがふと浮かんできました。

 芸術の核のひとつに、何(な)んでもチャカしてやろうという精神があります。マルセル・デュシャンが画廊に便器を持ち込み、ダダやシュルレアリストは本来の言葉や事物の意味を転倒させ、慣例や常識を根底から崩してしまいます。ことわざにもそれに似た力があります。僕がことわざが好きなのは、すでに手垢(てあか)のついた民衆の中から生まれた言葉だからです。小説家の創作する言葉ではない、レディメイドのありふれたどこにでもある言葉です。その言葉を効果的に使うことで、日本語が生々と、血の通った豊かな言葉に変(かわ)ります。ポップアートの魅力にも共通していたり、鶴見俊輔さんの「限界芸術」にも通底するものがことわざにもあります。

 僕は将来画家になるなんて考えたこともなかったです。だから絵は最初から遊びです。今もその延長上で描いています。でも飽きっぽい上に、この年になると描くのが面倒で、どうでもよく、嫌(い)や嫌や描いています。感性だけで描いているので職業というより趣味です。人に感動を与えようなんて、考えたこともないです。サッサッと未完のままで仕上げて、あとは無為な時間を遊んでいます。

 絵は芸術の枠をはずすことで長く存続します。文学は思想云々(うんぬん)言いますが、絵は死想です。理屈を超えて死と向き合う芸術です。その一方で「四角な座敷を丸く掃く」手抜きのいいかげんな横着さも芸術に必要です。ナンチャッテ!

■瀬戸内寂聴「自決から五十年 三島さんの声聞こえる」

 ヨコオさん

 人間は生きている限り、自分では思いもよらない日を迎えるものですね。

 私は、この間、寂庵の廊下ですべって転んで、頭から倒れて入院騒ぎをしたばかりです。運が強いのか、しぶといのか、今は寂庵に戻って、平然と過ごしています。頭を余程打ちつけて、相当阿呆(あほう)になったらしく、仕事のはかどりが、のろくなって唖然(あぜん)としています。この調子では、もう商売も店終(みせじま)いをするほかないのかなと思案しています。でもそんなとり越し苦労をしないでも、そのうち、余命がつきて、けろりと死んでくれるかもしれません。

 でも、死んでしまったら、本が読めなくなるのが一番淋(さび)しいですね。どんな大けがをしても、目が見えることが有難(ありがた)いと思います。

 私はこの数日、朝から晩まで、夢の中までも三島さんの本ばかり読みふけっています。衝撃のあの自決の日から五十年の節目のこの年になって、なぜか、あの世からの三島さんの声が夜な夜な聞こえてくるのです。私はヨコオさんのように、生きていた三島さんから可愛がられた仲でもありません。三島さんが小説家になり始めた頃から、ファンレターを出し、それに全く予期していなかった返事がすぐ来て、びっくり仰天しながら文通が始まったのです。

「自分はファンレターに一切返事を書かない主義だが、あなたの手紙はあんまりのんきで面白いので、返事を書く気になりました。」

 という文面で、返事が来たのです。それ以来、私たちはお互いの顔も声も知らないまま、手紙のやりとりが続く間柄になったのでした。

 私が小説を書き始めたとき、最初にそれを読んだ三島さんから、

「あなたの手紙は、あんなに面白いのに、小説は何とまあつまらないのだろう」

 という手紙が来たことをはっきり覚えています。それでも私が少女小説を書き始めた時、三谷晴美というペンネームをつけてくれ、その小説が活字になり生まれてはじめて原稿料というものを貰(もら)ったとき、

「こういう時は名付け親にお礼に何か贈るのが礼儀ですよ」

 と言ってきたので、私はあわてて、煙草が好きそうな三島さんに、ピースの缶入りを三個送ったのをとても喜んでくれ、

「でも、このことは世間には内緒ですよ」

 と折り返し手紙が来たのを覚えています。

 ヨコオさんは、三島さんから、世間との付き合いの礼儀作法などを教えられたそうですが、あの人はそういうことを教えたがるおせっかいな面があったのかもしれませんね。でも自分より若い者、弱い者、おろかな者に対しては、ほんとにやさしい人だったですね。私と三島さんの間柄が、ある時からぐっとちぢまったのは、彼の「英霊の声」が雑誌「文芸」に載った時からでした。この話は長くなるから、今日の手紙はここまでにしましょう。

 昨夜、徹夜で、佐藤秀明氏の『三島由紀夫 悲劇への欲動』という岩波新書を読んだので、興奮が冷めず、まだ少しも眠くありません。でも今日はここまでにしますね。

 おやすみなさい。 寂聴

※週刊朝日  2020年12月11日号

このニュースに関するつぶやき

  • だいぶ前から仕事になってないもんな。ただの反日。 https://mixi.at/ajpvglg
    • イイネ!7
    • コメント 0件
  • ��(^q^)��生臭糞坊主
    • イイネ!11
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(2件)

前日のランキングへ

ニュース設定