『トレインスポッティング』から『パチンコ』までーー翻訳者・池田真紀子が語る、海外文学の豊かな視野

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2020年12月05日 12:01  リアルサウンド

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『パチンコ(上)(下)』

 アメリカ最大の文学賞・全米図書賞の最終候補作となった韓国系アメリカ人作家、ミン・ジン・リーの大作『パチンコ』。四世代にわたる在日コリアン一家の苦闘を描いたサーガは、女性の力強い生き様を描く物語として、社会のマイノリティとして暮らす移民の物語として、そして誰もが自分を重ねうる秀逸な人間ドラマとして、全世界で共感を呼んだ。


参考:在日コリアン4世代の激動の人生描く『パチンコ』 不寛容な社会で我々はどう生きるか?


 筆者のミン・ジン・リーが構想から30年かかったという本作の日本語訳を手掛けたのは、『トレインスポッティング』(1996年)や 『ファイト・クラブ』(1999年)をはじめとした数々の英米ミステリー/エンターテイメント小説を翻訳してきた池田真紀子氏。未だ多くの人々にとってセンシティブな在日コリアンの問題を題材にした『パチンコ』を翻訳するに当たって、池田氏はどんな点に心を注いだのか。そして本作が人々を魅了した理由とは何か。担当編集者・永嶋俊一郎氏の同席のもと、池田氏へのインタビューを通して、本書の魅力と翻訳という仕事の奥深さを探った。(編集部)


■物語として面白いことが最大の売り


ーー池田さんはこれまで『トレインスポッティング』や『ファイト・クラブ』 などエンターテインメント寄りの作品を手掛けてきました。まずは担当編集の永嶋俊一郎さんに、池田さんに翻訳を依頼した狙いを伺います。


永嶋:小説のジャンルは現在、「リーガルサスペンス」「ノンストップサスペンス」「ミステリー」や「SF」のようにすごく細分化されています。しかし、小説にはジャンルが枝分かれする前の、幹の部分の物語があったはずで、そういう「みんな忘れてしまっているけど面白かったよね」という作品をずっと探していました。そこでようやく出合った作品が『パチンコ』です。


 『パチンコ』はページターナー(早く続きを読みたくなるような本)な作品であると同時に、全米図書賞の最終候補作でもあるので、現代文学として価値のある作品でもある。そう考えた時、エンタメとしてのストーリーテリングも上手であり、『トレインスポッティング』やチャック・パラニューク作品も訳している池田さんはうってつけでした。前提として翻訳自体の巧みさは当然あるわけですが、ページターニングな語りをちゃんと日本語にできるという面で、1、2を争う翻訳家さんですから。


ーー『パチンコ』を翻訳するにあたり苦労したポイントを教えてください。


池田:翻訳の理想をいえば、原文を読んだネイティブの頭に浮かぶもの/聞こえるものと、日本語の翻訳を読んだ人の頭の中に再現されるものがイコールになることだと考えています。しかし『パチンコ』の舞台は日本と韓国であり、著者のミン・ジン・リーは韓国系アメリカ人ですので、著者自身や原文を読んだネイティブが想像するものより、日本語訳を読んだ人の想像の方が詳しかったり、正確だったりする可能性があると思いました。


 そのため、原文をどこまで削るべきか、逆にどこまで原文を補う必要があるのか、その加減が一番難しいポイントでした。例を挙げると、原文では「コンビニ」という単語がローマ字で「conbini」と表現されているので、日本語でも「コンビニ」と表記するしかない。ただこの場面の年代設定が70年代後半で、その当時「コンビニ」という言葉が一般的に使われていたのかという疑問が出てきます。結局、一部のライターさんが使用していた証拠を見つけて、事実確認はできたのですが、雑誌の記事などにまれに使われていただけだったようで、よけいに悩むことにはなりました。


 そのほか細かいところで言うと、原文では鉄道駅も路面電車の停車場も全部「station」と表記されていますが、「駅」「停車場」と書き分ける必要があります。また、「ポルトガル風の焼き菓子」という表現が出てきたので、カステラのことだろうなとは思いつつ、一旦は「ポルトガル風の甘いケーキ」のように訳したのですが、永嶋さんも「これカステラかな?」と同じことを仰ったので、「やっぱりそうだよね」と、最終的にカステラにしたりとか。英語から日本語に単純に訳すことができない難しさがありました。どこまで「翻訳調」を残し、どこまで日本語として自然な文体に寄せるのかは、翻訳作業における難問です。


ーー本書の内容にはどんな印象を持ちましたか。『パチンコ』を一読した際の感想を教えてください。


池田:在日コリアンの話としか知らないで読んだので、単純に面白かったです。この作品は物語としてまず面白いことが最大の売りだと思います。普段、爆弾やら殺人やらと激しくて忙しい小説ばかりを訳している立場からすると、背景に激動の歴史があるとはいえ、ほかと比較すれば「日常の延長」のような淡々とした物語を原書で500ページ、一気に読ませてしまうこのパワーは一体なんだろうと驚きました。


 在日コリアンついては正直、知らないことばかりで、関連する本を読んだり、たくさんの調べ物をしたりしました。本書を読んだ人が、私と同じようにほかの本を読んだり、調べたりして考えるきっかけになればいいなと思います。この本をアメリカ人が書いたということについては、少し複雑な気持ちです。ただ、日本人と韓国人のどちらか一方の観点から書かれていたのであれば、ストレートに伝わらなかった可能性もある物語だとも思います。アメリカ人の第三者的な視点から書いてあるからこそ、受け入れやすいのかもしれません。


ーーミン・ジン・リー氏があとがきで、韓国人と日本人の双方から教えられたことがたくさんあり、一方的にならないように心を砕いたと書いていたのが印象的でした。さらに、アメリカの読者からすると「移民の物語」として読めることも、大きなポイントだと思います。


池田:アメリカの方には、在日コリアンの問題というより、もう少し大きく移民の物語という観点から、登場人物たちの苦労話が受け入れられたのかもしれません。移民の問題は、現代であればどの国の人でも無関心ではいられないものだと思います。


ーー多くの人にとって実は身近な問題であり、なおかつ物語としても強度がある作品である、と。


池田:構成も人物配置も、古い物語の王道に即しているところがあると思います。チャック・パラニュークの『ファイト・クラブ』のように常識を全部ぶっ飛ばしている本も楽しいけれど、人はやはりどこかで安心して読める作品を求めているところがあるように思います。その意味で『パチンコ』は骨格をしっかり計算して書かれているなと思いました。


永嶋:『パチンコ』には著者も愛読するジョージ・エリオットやディケンズのような、19世紀の物語と文学がまだ未分化だった頃の、古き良き雰囲気があります。


池田:『パチンコ』は構想から出版まで30年かかったと言われていますが、10年前にこの本が出版されていたら時代的に少し早かったのではないかと思います。その頃はまだ人種、民族、国といった事柄についての関心が今ほどなかったのではないかと。現在はコロナ禍で国家間の往来が制限されていますが、少し前までは外国人の住民が増えていましたし、グローバルな問題に対する関心も高まっていたと思います。偶然にも、そういった事柄について人々が敏感になっているタイミングで出版できたのは良かったと思います。


ーー印象深かったキャラクターや、翻訳が難しかったキャラクターはいますか?


池田:どのキャラクターも好きなのですが、訳すのにとくに気を遣ったのは主人公の一人であるキム・ソンジャと一緒に日本へと渡るイサクです。イサクはとてもいい人なんですが、文字で人の善良さを表現するのは難しく、訳すのも難しい。イサクは読者に好かれなくてはならないキャラクター、嫌われてはいけないキャラクターなので、訳語の選択を誤ってはいけないプレッシャーがありました。


 個人的に可愛いのは第四世代のソロモン。頼りなさげなキャラクターだったソロモンが、物語が進んでいくにつれてグローバルな視点を得て、最終的には登場する男性のなかでもっとも現代的で広い視野を持つ人に成長する。旧来的な価値観に囚われていたお父さんに対して、敬意を抱きながらも「もう周囲の目を気にすることはないんだよ」と諭すシーンは感激しました。


 訳しながらもらい泣きしそうになったのは、ソロモンの初恋の人で日本人のハナですね。破滅的な行動を繰り返してしまう、ハナの弱さが好きです。でも最後にソロモンにお説教のようにあれこれ言って聞かせているところを読んで、良い意味で「ああ、女だな」と思いました。人間味があってとてもいいキャラです。


ーーご自身の感情が翻訳に影響することはありますか?


池田:基本的には書いてあることを書いてある通りに冷静に翻訳します。でも、ないとは言い切れないですね。すごく好きなキャラクターの会話だと、抑えきれずに感情が出てしまうこともあります。翻訳の理想をいうなら、つまらない文章ならそのままつまらない訳文にしなくてはいけません。つまり原文より訳文が面白くてはいけないわけですが、言語の違いと文脈の組み合わせから翻訳の表現のほうが微妙に面白いことになってしまう時はたまにあります。原文の意図ととんでもなくかけ離れてしまっているのでなければ、それはそれで「まあいっか」と。


ーー『パチンコ』の中でそういった箇所はありますか?


池田:ハナはほんの少しキャラ付けしたかも。逆に、語り手的な登場人物は、土台として一本頑丈な筋が通っていなくてはならないので、たとえばソンジャはあまり色を付けていません。訳語の選び方で微妙な遊びを演出したくなるのは、重要な人物ではあるけれど、そこまで登場回数が多くないキャラクターであることが多いかもしれません。


永嶋:少し補足すると、日本語では敬語を使って登場人物の関係性を表したりすることもできるのですが、英語ではそれができないので、普通に訳すと台詞が全部フラットになってしまいます。そのため、台詞にある程度の演技をつけるわけです。その台詞の演技の付け方が、池田さんはずば抜けてうまいんです。


■転機になったのは『トレインスポッティング』


ーー池田さんの翻訳者としてのキャリアも聞かせてください。


池田:もともと普通の会社員だったのですが、会社を辞めようと思った時に偶然友達から出版社の人を紹介され、翻訳してみたのが最初です。バブルの終わり頃だったので、今よりはそういったチャンスが多くて、まずはチャレンジしてみようと。洋書を読んだ経験もあまりなく、翻訳についての勉強もなくいきなり翻訳者としてスタートしてしまったので、仕事を続けながら勉強していった感じです。


 転機になったのは『トレインスポッティング』の翻訳だったかもしれません。その時はまだ「今ならやめてほかの仕事にもいけるな」と思っていたのですが、『トレインスポッティング』で「あら、もうやめられないかも」と気づき、そうこうしているうちに『ファイト・クラブ』『ボーン・コレクター』で、世間的にも自分的にもいよいよやめられない状況に(笑)。


 今思うと『トレインスポッティング』の翻訳は本当に難しかった。ローカルかつその時代限定のスラングが多用されていて、英国大使館のエディンバラ(スコットランドの首都)出身の人でさえわからないような原文だったので大変でした。ただその頃は、翻訳の難易度の基準がまだわからず、そういうものだと思って普通にがんばってしまいました。今だったらそもそも引き受けないかも(笑)。


ーー『トレインスポッティング』はドラッグカルチャーを扱っていますが、ヘロイン体験の描写とか、普通の人が感覚的にわからない部分はどうしたのですか。


池田:『トレインスポッティング』の場合は映画がとても参考になりました。あとはドラッグ経験者が書いた本を読んだり。今はネットで大概のことは推測がつくので、当時ほど本を買い集めることはなくなりましたが、その頃は本が頼りでした。でも、わからなかったことを突き止めた時の「これだ!」という瞬間は、今でも一番楽しいですね。先ほどお話しした、「コンビニ」翻訳問題もそうでした。


永嶋:『パチンコ』にウルトラマンの漫画本が出てきますが、ウルトラマンはテレビが先で漫画が流行ったのは70年代の半ばから後半の頃でした。ミン・ジン・リーさんはウルトラマンに漫画原作があると思っている可能性もありましたから、ある漫画マニアにウルトラマンの漫画がそのころに存在していたのか聞いてみたところ、ちゃんと主に貸本用として存在していたことが判明しました。個人が買うかどうかは微妙ですが、存在しているなら原文通りで、というのもありましたね。


池田:そういう調べ物が結構楽しかったりします。


ーー翻訳は大変な時間がかかる仕事だと感じますが、池田さんの仕事量は驚異的です。普段どんなペースで仕事をしているんですか?


池田:依頼された作品は基本的にお引き受けする主義ですが、最近は断ることも増えました。というのも、翻訳という仕事を27年続けてきて、ようやく自分の中の基準が確立したというか、自分に向いた作品を見分けるセンサーが正確になってきたというか。以前は、断らない主義だからこそいい作品に巡り合えるという考え方だったのですが、最近はいろいろな作品を依頼していただけるようになって、逆に選択肢が増えました。もっと自分で選んでみようと思い始めたのはここ2、3年です。


ーー訳してきたなかで特に難しかった作品や、印象に残っている作品はありますか?


池田:先ほどの『トレインスポッティング』も難しかったですが、色々気を遣うところが多く、どう日本語にするかという意味で難しかったのは今回の『パチンコ』です。あとは、ケイトリン・ドーティの『煙が目にしみる 火葬場が教えてくれたこと』。これは人の死を扱った本なのですが、死を茶化すようなブラックユーモアがたくさん出てきて、日本人的な感覚だと笑っていいのか分からないポイントがたくさんありました。でもそこをユーモアにできるところがケイトリン・ドーティという書き手の魅力なんです。だからどう翻訳すればその魅力を活かせるかと、悩みながら訳しました。


ーー海外文学にも流行り廃りがあると思いますが、近年はどのような傾向がありますか。


永嶋:エンタメの分野では一時期、デヴィッド・フィンチャーが映画化した『ゴーン・ガール』のような、普通の主婦や働く女性がドメスティックなトラブルに巻き込まれ、さらに「信頼できない語り手」みたいなトリックが入る作品が流行していました。ここ2年ほどでそういう作品が減ってきて、現在はエンタメ小説の在り方が模索されている段階にある気がします。


池田:9.11のテロの後は、海外文学の世界が大きく変わったことを実感しました。アメリカ人がアメリカを見る目とか、外国人を見る目とかが変わったことが、文学作品にも反映されていたと思います。


永嶋:最近の潮流でいうと、非英語圏の人が書いた小説が明らかに増えました。一例を挙げればインド系の作家の書いたインドを舞台にしたミステリーがいくつも出てきたりとか。昔のインドはイギリスと縁が深かったので、文学系の大作家は過去にもいましたが、エンタメ系でも増えています。英語への翻訳ということでもスウェーデンやフィンランドといった北欧諸国や韓国の小説、日本でも横山秀夫さんの『64』や、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』が欧米で広く読まれています。先日も柳美里さんが全米図書賞を受賞されたことがニュースになりましたね。英語圏の読者が、より非英語圏に目を向け始めたというのは確かで、『パチンコ』もそういう流れに連なる作品かもしれません。


池田:中国語で書かれた作品が英語に翻訳されてヒットしたりもしていますね。それと女性作家も増えました。また、たとえばジェフリー・ディーヴァーの初期作品には基本的に白人しか出てこなくて、そこに黒人がまじる程度だったのですが、今はさまざまな人種がふつうに登場するようになりました。白人の方が逆に少ないぐらい。ディーヴァーを追っているだけでも、登場人物の多様化を感じます。それはここ20年ぐらいでものすごく変わったポイントかと思います。海外の小説は読むだけで楽しいものですが、世界の情勢やムードに触れることができて、豊かな視野が養われるのも魅力だと感じています。私は翻訳をできればそれだけで幸せな人間です。これからも様々な作品を日本の読者に届けていきたいです。(取材=松田広宣/構成=小林潤)


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