「ベンチの声出し」で契約延長? 控えなのに長い現役を全うした“球界の名脇役”たち

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2020年12月05日 16:00  AERA dot.

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写真プレー以外の面でも高く評価された元中日の小田幸平 (c)朝日新聞社
プレー以外の面でも高く評価された元中日の小田幸平 (c)朝日新聞社
 プロ野球界には、代打の切り札以外にも、控え選手ながら、10数年間の長きにわたって現役を続けたバイプレイヤーが多い。

【写真】控え選手にも温かい眼差しを向けた名監督はこの人

 そんな異色の経歴を持つ男たちの中でも、ファンの記憶に残る一人が、巨人、中日で第2、第3の捕手として17年間プレーした小田幸平だ。

 三菱重工神戸時代に3年連続都市対抗に出場し、1997年の日本選手権で優秀選手賞を受賞。メガネをかけた捕手にちなんで“古田2世”と呼ばれ、同年のドラフトで巨人に4位指名された。

 だが、セールスポイントの守備はともかく、打力が弱く、重量打線が売りの巨人では、正捕手・阿部慎之助、2番手・村田善則に次ぐ第3の捕手だった。

 当時の小田は、先輩の清原和博に“カンチョー”被害にあったり、プロレス技をかけられたり、いじられキャラで有名になったが、その一方で、内角を厳しく攻めさせる強気のリードや体を張った守備には定評があった。

 05年オフ、中日の左腕・野口茂樹が巨人にFA移籍した際に人的補償として中日に移籍したことが転機となる。

 小田の守備を高く評価していた落合博満監督は「正直言って小田が(プロテクトから)外れていると思わなかったよ。大儲けと言っていいんじゃないのかな」と喜んだ。

 落合監督の下、小田は、谷繁元信に次ぐ第2の捕手として、出場機会を増やしていく。

 故障の谷繁に代わって先発出場した10年7月19日の横浜戦では、決勝の3点タイムリー二塁打を放って初のお立ち台に上り、「やりました〜っ!」と絶叫。このパフォーマンスが人気を呼び、「やりました〜っ!Tシャツ」が発売されるなど、ファンの間で流行語にもなった。

 投手陣の信頼厚いリードに加え、チームを明るくするムードメーカーとしても、必要不可欠な戦力であり、そんな“陰の部分”での大きな貢献も、37歳まで現役を続けられた要因と言えるだろう。

 小田以外の第2の捕手も、実働18年の野口寿浩(ヤクルト−日本ハム−阪神−横浜)、実働16年の山崎勝己(ソフトバンク−オリックス)、実働15年の山中潔(広島−ダイエー−中日−日本ハム−ロッテ)ら、複数の球団で重宝され、長く現役を続けた選手が多い。

 どのポジションも起用にこなせるユーティリティープレーヤーとして実働15年の現役生活をまっとうしたのが、“守備のクローザー”の異名をとった日本ハムの飯山裕志だ。

 内野を全ポジションこなし、外野も守れるうえに、2軍時代に捕手も経験。入団4年目の01年に1軍初昇格をはたし、07年にキャリアハイの105試合に出場したが、守備固めや代走起用が多く、打席に立ったのは55回。以後、09年まで3年連続でリーグ最多の守備固め出場を記録している。

 そんな“守備のクローザー”が、打撃で一世一代の主役になったのが、12年の巨人との日本シリーズ第4戦。0対0の延長12回1死一、二塁のチャンスで、次打者は陽岱綱とあって、「(送り)バントを考えた」飯山だったが、栗山英樹監督のサインは「打て!」。

「自分で勝負してくれるんだ」と指揮官の信頼に胸を熱くした飯山は、西村健太朗から左越えに劇的なサヨナラ二塁打を放った。

 脇役の執念のひと振りで2勝2敗のタイとした栗山監督は「裕志は本当に苦労してきた。最後までグラウンドに残ってノックを受けて、バットを振ってきた。どれだけ練習してきたかがわかるヒットだった」と最大の賛辞を贈っている。

 このほか、実働18年の上田浩明(西武)、実働12年の英智(中日)と秀太(阪神)も、飯山同様、息の長いスーパーサブとして知られている。

 ベンチの“ヤジ将軍”という変わった役どころながら、南海時代の野村克也監督に重用されたのが、外野手の大塚徹だ。

 絶妙のタイミングで痛快なヤジを飛ばし、ベンチのムードを明るくするのが、“仕事”だった。

 ある試合で、打線が相手投手を打ちあぐんでいるときに、大塚は言った。「(チームで1番の)高給取りの監督でも打てないんだから、お前らが打てなくて当たり前だろう。シーンとすな!」。もちろん、ベンチは大爆笑。4番を打つ野村監督も苦笑するしかなかった。

 だが、たまに出る代打で、打率も1割台とあって、球団が整理リストに入れてしまう。慌てた野村監督は「彼はベンチにいるだけで、チームに貢献しているんです」と説得して、撤回してもらったという。

 ヤクルト時代の71年5月26日の巨人戦では、1死満塁のチャンスに代打で登場。一度もバットを振ることなく、1球ごとにベンチを見て素振りをするハッタリの演技でサヨナラ押し出し四球を選んでいる。実働12年で75年に引退。サヨナラ押し出し四球4度はNPB最多記録だ。

 近鉄時代の仰木彬監督も、整理リスト入りした控えの内野手を救済したことがある。「もう1年在籍すれば、ちょうど10年になって、選手年金(12年3月に破綻)が貰えるから」が理由だった。

 その選手は「仰木さんは何も言わなかったけど、ベンチで声を出しつづけ、ムードを盛り上げていたのを、ちゃんと見てくれていたのでは?」と回想している。

 阿波野秀幸や野茂英雄のように黙っていても結果を出す主力には伸び伸びとやらせ、それ以外の選手には、冷淡な一面も見せたといわれる仰木監督だが、プレー以外でもチームに貢献したと認められる選手には、このような温情を示すこともあった。

 ベンチ要員でも、心がけひとつで重要な戦力として評価されるのが、野球の妙味である。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。








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