【今週はこれを読め! エンタメ編】それぞれ味わいの異なるイヤミス短編集〜芦沢央『汚れた手をそこで拭かない』

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2020年12月09日 20:42  BOOK STAND

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写真『汚れた手をそこで拭かない』芦沢 央 文藝春秋
『汚れた手をそこで拭かない』芦沢 央 文藝春秋
 ちょっと、みなさんご存じかしら? 独立短編集ってなかなか売れないんですって。独立短編集っていうのはほら、連作短編集みたいにそれぞれにつながりがあるものじゃなくって、完全に独立した作品が収められたもののこと。芦沢央先生ほどの人気作家でも、独立短編集はそうそう出せないっておっしゃるのよ。先日トークショーにうかがったとき、芦沢先生が「独立短編集が大好き」っておっしゃってたの。私もまったく同感だったものだから、その後のサイン会で「独立短編集いいですよね」って申し上げたら、「この『汚れた手をそこで拭かない』が売れないと、次の独立短編集が出せないんですよ」ですって! もう、「世の中の主流な意見ってそうなの!?」ってびっくりしちゃったわよ。これは私も『汚れた手を〜』をプッシュしないといけないなと思って、今週このコーナーでご紹介したわけ。そしたら、年末恒例の「週刊文春ミステリーベスト10」で5位よ、5位! わかる人はわかってるってことよね。推薦コメントにも、有名作家や書店員のみなさんのお名前が並んでたわ。え? だったらこんな零細ライターがレビューするまでもなかったですって? よけいなお世話だわよ、枯れ木も山の賑わいっていうでしょ...。

 ...と、謎の奥様口調になるくらい動転してしまったのが、独立短編集は売れないという事実。ええ〜、短編好きの自分には考えられない(いや、もちろん連作短編も長編も好きなんですけど)。芦沢作品といえば、やはり独立短編集の『許されようとは思いません』もお見事で、キレのある一編一編を楽しませていただいたのを思い出す。本書についてもいずれの短編も完成度が高くて唸らされるが、小学校教師が誤ってプールの水を抜いてしまったというミスをなんとか隠そうと画策する「埋め合わせ」や料理研究家が昔の不倫相手に弱みを握られてどんどん追い詰められていく「ミモザ」が、ネットなどを見ると特に高評価であるようだ。私は最近NHKBSプレミアム「刑事コロンボ」の再放送にハマっていることもあり、シリーズ屈指の人気作品を少しばかり連想させる「忘却」が印象的だった(ネタばらしにはならないと思いますが、どのコロンボ作品かは念のため内緒)。隣人が亡くなったのは、自分の家の郵便受けに誤配達された電気料金の督促状を渡しそびれていたことが原因ではないかと気が気ではない老人が主人公。静かなショックが何段階にも襲ってくる、余韻のある作品だ。収録の5編はいわゆるイヤミスにカテゴライズされると思うが、「イヤ」もこんなにいくつものヴァリエーションで描けるものなのだなと改めて感服させられた。このように味わいの異なる作品を読めるのが、独立短編集の醍醐味といえよう。人間の心情を丁寧に追っていくと、往々にして「イヤ」につながるというのも興味深い。

 どの作品にもだいたい共通するのは、「最初から正直に話しておけばよかったのに」という感想だ。これは一般的な多くの小説に当てはまるし、そもそも実際の人生においてもしばしばいえることだ。下手に隠し事をしたりせずに認めていれば大ごとにはならなかった問題というものは、私の人生においてもかなりあった気がする。戒めのように読むイヤミスは、「架空のできごとでよかった...」とある意味ほっとさせてもくれるものなのであった。

 精力的に執筆されている芦沢さんはこの秋続けて2冊の著作を刊行されていて、『汚れた手〜』の前に『僕の神さま』(中央公論新社)が発売されている。Twitterでは「#芦沢央どっちが面白い」のタグが、2冊の人気投票的に盛り上がっていた。『僕の神さま』は連作短編集で、小学生の「僕」が聡明な友だちの「水谷くん」とさまざまな謎を解いていく。芦沢さんがTwitterで語られたところによると、「新しい挑戦をしたのが『僕の神さま』、自分の得意な球を全力で投げたのが『汚れた手をそこで拭かない』です」とのこと。「このミステリーがすごい!」2021年版の「私の隠し玉」コーナーによれば、来年以降も多彩な新作および進行中の作品が目白押しであるようで楽しみ(とりわけ将棋小説に関しては、印刷所まで直接買いに行きたいほど待ち遠しい。しかも、うち1冊は独立短編集ですってよ)! 

(松井ゆかり)


『汚れた手をそこで拭かない』
著者:芦沢 央
出版社:文藝春秋
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