筒美京平はいつも最先端だった サリー久保田が振り返る、作曲家としての姿勢

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2020年12月19日 11:02  リアルサウンド

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『筒美京平の世界』

 1998年に出た書籍『筒美京平の世界』の増補新訂版(2011年)は京平作品の全シングルがコンプリートに紹介されているデータブック。特筆すべきは、全シングルが発売年月日順に並んでいることです。1969年の「ブルー・ライト・ヨコハマ」、1971年の「また逢う日まで」の大ヒットから増量する仕事ぶりが、ひと目でわかります。10枚以上発売されている月もあり、改めてヒットメーカー筒美京平のスゴさを証明しています。2008年まで載っていますので、ぜひヒット曲の数々をその目で実感してください。


 ここで京平さんとの思い出話をしたいと思います。


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■「2008年にヒットしなくてはいけない」


 ’80年代にネオGSと呼ばれたバンド、ザ・ファントムギフトをやっていたご縁で、2008年公開の映画『GSワンダーランド』(監督:本田隆一)の音楽を担当し、その劇中歌「海岸線のホテル」はなんと筒美京平の書き下ろしで、僕がアレンジすることになりました。


 1960年生まれの僕みたいな洋楽ロック好きでも、京平さんの歌謡曲は昔っから別格でした。常に洋楽の香りがして、カッコ良かった。そんな京平さんが曲の提供を快諾してくれたのは、この映画の音楽プロデューサーの手腕によるものです。しかし、憧れの京平さんからデモテープが来た時はとてもビックリしました。


  この映画は’60年代のGS(グループ・サウンズ)ブームを描いた青春映画だったので、音楽プロデューサーの発注もGSっぽい曲のはずでした。僕もてっきり’60年代に京平さんがオックス(当時のGSバンド)に書いたような曲がくるのかなと思っていました。ところが見本のデモアレンジを聴くと、その当時のCOLDPLAYみたいなミディアム・テンポのUKギターポップ風で、日本のバンドで言えば、BUMP OF CHICKENやMr.Childrenのようなサウンドだったのです。


 メロディはもちろん素晴らしいのですが、音楽プロデューサーに「このアレンジ、どうしましょうか?」と相談したら「大きな意味合いで言えばBUMP OF CHICKENもMr.ChildrenもGSだからな」と言われ、「えっえ〜、マジですか」となりました(笑)。でも笑いごとではなかった。


 今にして思えば、京平さんは映画の内容よりも、「2008年にヒットしなくてはいけない」という気持ちで曲を書いていて、そこに職業作家のポリシーを見せつけられた思いでした。そうなんです、ヒットメーカー筒美京平としては’60年代の自身の作品は過去のもので、今、ヒットさせなければならない。ナツメロはいらない。


 結局、後ろ髪引かれる思いでアレンジを変え、テンポも大分あげ、シェイクなリズムのGSサウンドに仕上げました。


 京平さんはとてもストイックで、曲を作って渡したら、それ以降はなにもおっしゃらない方でしたので、どのような感想を持たれたかはわかりません。その1年後ぐらいに別の仕事でお会いして、その話になっても終始、笑顔だったことをここに記しておきます。僕にとっては京平さんの曲のアレンジをやらせていただいただけで一生分の思い出でしたが。


 京平サウンドは常に時代の最先端の洋楽を取り入れ、それを国民的ヒット曲にして日本の風土に根付かせるために、カッコ良い洋楽と京平さんが見抜いた和魂を一体化していく。その見極めは天才にしかできないものです。歴史的にみても歌謡曲はブギ、ブルース、ジャズ、マンボなどを取り入れて洋楽化を試みてきましたが、京平さんの作品は逆からの視点を感じさせます。歌謡曲に興味のない人が、洋楽をどう歌謡曲にするかに長けていて、そこが、はっぴいえんど以降の当時のロックな若者たちをもうならせたんだと思います。


 前述の劇中歌「海岸線のホテル」は京平さん作曲のオックス「ダンシング・セブンティーン」(1968年)風にアレンジしましたが、これぞ’60年代モータウンやスタックス風味のR&B歌謡。この洋楽フレーバーは1972年「男の子女の子」でデビューした郷ひろみに受け継がれて黄金のポップス歌謡に昇華します。


  ベースやドラムなどのリズム隊や、時には上もののブラスやストリングも一体となってビートを強調し、歌と同化させるのも京平サウンドの魅力のひとつです。1971年の大ヒット曲、平山三紀の「真夏の出来事」なんかが良い例じゃないでしょうか。


 一方、細野晴臣が当時TVで観て、次の日にレコード屋さんに買いに行ったという西田佐知子の「くれないホテル」(1969年)は、エンゲルベルト・フンパーディンクの「ラスト・ワルツ」がベースになっているものの、メジャーセブンスを多用したポップスが日本の風土に則して変化したお洒落な演歌でもあります。とにかく全てが革新的でした。


 その後も、’70年代は流行のフィラデルフィア・サウンドを、半ばからはディスコ・サウンドを歌謡曲に取り入れて岩崎宏美、浅野ゆう子などをヒットさせ、’80年代はユーロビートやAORで少年隊や中山美穂と、ヒットを連発させていきます。日本の音楽産業に京平さんが与えた影響、業績は計り知れないものです。


 本書『筒美京平の世界』には、そのすべてが掲載されています。


 最後に、ビートルズは小学生の時で実体験があまりなかったけれど、筒美京平サウンドとは半世紀以上リアルタイムに体験できたことを今後、若い世代の音楽家たちに自慢しようと思います。


■サリー久保田
アートディレクター、グラフィックデザイナー、ミュージシャン。ミュージシャンとしてはザ・ファントムギフト(1987年・ミディ)、les 5-4-3-2-1(1992年・コロムビア)、SOLEIL(2018年・ビクター)でデビュー。今年、自身の還暦を記念して7インチ・シングルを2ヶ月連続でリリース!参加アーティストは平山みき、RYUTist、野宮真貴、MANON。11月、12月にVIVID AOUNDより発売。それとサリー久保田が監修・選曲した渋谷系サウンド第三世代を一挙収録したコンピレーションアルバム『MAGICAL CONNECTION 2020』がビクターより発売中。


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