是枝裕和にとって『真実』はどんな映画なのか? 書籍『こんな雨の日に』が示す、もう一つの物語

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2020年12月20日 09:01  リアルサウンド

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是枝裕和『こんな雨の日に 映画「真実」をめぐるいくつかのこと』(文藝春秋)

 是枝裕和監督の映画『真実』は、これまでの是枝作品のなかでも、ひときわ異彩を放つ一本となっている。というのも、本作の舞台となるのはフランス、パリ。主演は、フランスが誇る大女優カトリーヌ・ドヌーヴとジュリエット・ビノシュ。さらに、撮影監督を務めるのは、アルノー・デプレシャン監督なとの仕事で知られるエリック・ゴーティエーーつまり、パッと見た限りでは、完全にフランス映画なのだから。にもかかわらず、映画を観たあとには、「ああ、これは間違いなく、是枝監督の映画だ……」と感じることのできる不思議。これはいったい、どういうことなのか。そもそも、どのようにして、かくも大胆な企画が実現したのだろうか。映画の公開に先駆けて出版された『こんな雨の日に 映画「真実」をめぐるいくつかのこと』(文藝春秋)は、それらの疑問に、是枝監督自らが答えると同時に、映画作りの醍醐味と苦労、俳優たちの生身の姿、さらには日本とフランスの文化の違いをも垣間見ることのできる、非常に興味深い一冊となっている。


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 本書の表題にもなっている「こんな雨の日に」とは、是枝監督が今から約16年前に着想した“幻の戯曲”のタイトルであり、それが今回の映画の原型になっているという。キャリアの晩年を迎えた老女優が楽屋でつぶやく、「こんな雨の日にお芝居観にくる人なんているのかしら……」という台詞。そこからタイトルも舞台もキャストも大きく変更して、新たに生まれた映画『真実』。その企画が実現に向かって動き出したのは2011年、ジュリエット・ビノシュが来日時に監督に言った「何か作品をご一緒できないか」という言葉だった。その後、いくつかのアイデアのやりとりを重ねた2015年、監督は「老女優の自伝をめぐる物語」という、先述の「こんな雨の日に」の変奏とも言えるアイデアを思いつき、そこから一気に話が具体化していく。


 本書は、“撮影日誌”の体裁をとりながら、映画の準備段階から、その都度その都度起こった出来事はもちろん、そのときどきの監督の心境などが、写真や絵コンテ、さらにはキャストやスタッフに向けた手紙など貴重な資料と共に綴られている。そのいちばん古い記述は、今から約2年前の「2017/9/3」、映画『三度目の殺人』の出品に合わせて、ヴェネチア映画祭を訪れた頃まで遡る。パリで映画の舞台となる家を探したあと、映画の詳細を詰めるべくカトリーヌ・ドヌーヴと対面し、ヒアリングも兼ねたロングインタビューを敢行する是枝監督。そこで、監督とドヌーヴは、いったいどんな言葉を交わしたのだろうか。


 そこからほぼ時系列に沿って、映画製作の過程が淡々と綴られていく本書には、俳優やスタッフの労働時間、助成金の仕組みなど、映画製作をめぐる日仏間の違いや、それに対する驚きや苦労も率直に書かれている。そして、数々の準備を整えた2018 年10月、映画はいよいよクランクインする。日本語で脚本を執筆したのは是枝監督だが、役者たちが発するのはフランス語と英語。フランス語を話さない是枝監督は、どのように“言語の壁”を乗り越えながら、役者たちを演出していったのか。それらのやりとりから浮かび上がる、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジュリエット・ビノシュ、そしてイーサン・ホークなど、日本でもお馴染みの俳優たちの、それぞれの演技に対する向き合い方と、生身の魅力とは。彼女たち──さらにはスタッフたちとのやりとりを通じて柔軟に物語を調整していく様は、まさしく是枝監督ならではのやり方と言っていいだろう。そう、現場での具体的なやり取りや脚本の変更点、あるいはシーンの選別など、この映画が現在の形になっていく過程を、ありありと感じられるところが、本書の何よりの面白さなのだ。


 けれども、ここでひとつ注目したいのは、本書の少し変わった導入部である。先述したように、本書のなかの最も過去の記述は「2017/9/3」である。そこからほぼ時系列に沿って、日付を打った“撮影日誌”が綴られていくのだが、その冒頭には、なぜか時系列を飛び越えた「2018/8/23」のメモワールが置かれているのだ。


2018/8/23


入院中の希林さんの状態がよくないということで『真実』の制作準備を中断して、急遽帰国することにした。機内で書いた手紙をご自宅のポストに投函。一泊だけしてパリへとんぼ返り。


 その後、「2017/9/3」から、クランクアップの「2018/12/12」までは、ほぼ時系列に沿って書き記されているにもかかわらず、なぜ本書は、この場面からスタートしなくてはならなかったのか。その構成上の意図について、本文のなかでは特に説明されることは無いけれど、それらすべての“撮影日誌”を書き記したあと、「おわりに」と題された最後の文章のなかで、是枝監督は、次のように告白するのだった。


この物語の構想は16年前からあり、現在の母と娘の物語の形にリライトされたのもこの日誌に書いた通り、4年も前のことである。


 だから最初から抱いていた「読後感の爽やかなものに」という思いと、昨年この作品の準備中に亡くなられた樹木希林さんとは、直接的には何の関係もない。


 にもかかわらず、どうしてもこの映画を讃歌にしたいと強くこだわったのは、そうこだわることで自分が希林さんという映画作りのパートナーを失った喪失感に引っ張られないでいたいという、そんな気持ちからだったのだろうと、1年経った今気づいた。


 そう、もしかすると本書は、その製作過程を振り返ることによって、この『真実』という映画が監督自身にとって、どういう意味を持つ映画だったのか──それを監督自身が実感するような一冊ではなかったのか。その告白は、不意打ちのように、読む者の心を捉えて離さない。それにしても、映画とは、あるいは人生とは、かくもさまざまな出来事が、直接・間接的に繋がりながら編み上げられていくものなのだ。映画『真実』を準備し、作り上げていく最中に、周知の通り是枝監督は、映画『万引家族』でカンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドールを受賞し、その名声を世界の映画ファンに轟かせた。そして、同年の秋に、是枝作品の常連と言うよりも、もはや是枝監督の映画作りのパートナーであった女優・樹木希林を失った。


 その2つの出来事と、今回の『真実』という映画には、本人も明記しているように、直接的な因果関係は無いのだろう。しかし、それらの出来事が、この映画に何の影響も与えなかったかと言えば、決してそんなことは無いのだろう。このように、私たちが普段観ている映画の向こう側には、さまざまな人々の知られざる物語があり──映画とは、さまざまな人々や出来事のめぐり合わせの果てに生み落とされる、ひとつの“たまもの”なのだ。そのことを改めて感じさせてくれるような、とても読み応えのある一冊だった。(麦倉正樹)


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