“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
「『突然大声を上げて怒り出す』要介護4の父と生活保護の兄……30代女性が背負った“家族”と“介護”の現実」で紹介した中村万里江さん(仮名・35歳)は、高次脳機能障害を負って有料老人ホームにいる父親(68)がホームでトラブルを起こして、ホームから「ボーっとさせるクスリ」を使うか、それができなければ退去してほしいと言われた。突然迫られた”究極の選択“に、クスリを使うことを認めたものの、ホームへの不信感が募っている。
父を廃人にした「クスリ」を少しずつ減らしていった
中村さんの話を聞いた筆者は、似たような話を思い出した。Hさんは、前にいたA介護施設で介護拒否や暴力があったために向精神薬を多量に投与され、一気に廃人になった。B介護施設のスタッフ、緒方由紀恵さん(仮名・45)はHさんの娘さんから「父を助けてほしい」と懇願されA施設を訪ねたところ、その施設長から「私はHさんが嫌いです」「Hさんのような人は、一番重度の要介護5になって、特養に入るのが一番いい」と言われ愕然とした。
(前回はこちら)
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緒方さんはあまりの衝撃に、Hさんを自分たちの施設で介護することを決心したという。
「協力医療機関の医師や看護師とともに、様子を見ながらクスリを少しずつ減らしていきました。そして、Hさんが暴力を振るったり暴言を吐いたりするのがどんなときか、24時間観察したんです」
すると、着替えや入浴など、Hさんの身体介助の際に暴力や暴言が出現することがわかってきた。
「認知症のHさんは、知らない人が急に自分の体を触ったり、衣服を脱がしたりするのが不安で怖かったんです。このことがわかってからは、私たちもHさんの介助をするときには『今から着替えますね』などと、何をするのか伝えてから介助するようにしました」
緒方さんたちスタッフは、認知症について勉強しなおし、効果があるといわれる認知症介護メソッドを実行しては検証し、効果のあったやり方を根気よく続けた。すると、次第にHさんに笑顔が見られるようになったという。
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「認知症ですから完全に元のHさんに戻ることはできませんが、それでも昼は起きて、リビングで過ごし、夜は寝るという当たり前の生活ができるようになりました。レクレーションに参加して歌を歌われることもあります。娘さんがいらっしゃって、Hさんと一緒に食事をされて『父とご飯を食べることのできる日が来るとは思わなかった』と涙を流されて、私たちも本当にうれしかったです」
娘さんの喜びは想像に難くない。そして恐ろしいのは、Hさんをクスリ漬けにしたA施設に今も多くの入居者がいるということだ。
「ほかに預かってくれるところはないから」「家ではもう看られないから」仕方ないと、あきらめている家族もいるはずだ。確かにそれはそうなのだが……。
その一方で一筋の光明があるとすれば、緒方さんのいるB施設のような心ある施設もあるということだ。そんな施設に巡り会えたHさんや家族はまだ幸運だった。いや、“運”で済ませてはいけないのだが。
そして頭をよぎるのは、中村さんの父親のことだ。ボーっとさせるクスリを使うか、退去するか、という選択を迫るホームに父親を安心して任せることができるだろうか。
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中村さんの父親はまだ60代だ。「仕方ない」ではすませられないと中村さんは思う。
「完璧な施設はないというのもよくわかっているつもりです。それでも、父にとってよりよい場所を見つけたいというのはわがままなのでしょうか?」
父親の人生を自分が決めてしまうことに対する責任の大きさを痛感している、中村さんは言う。クスリに頼ることなく、父親を受け入れてくれる施設はないのか、ホーム紹介会社や以前のケアマネジャーに相談した結果、三度(みたび)施設探しをはじめることを決心した。
ところが、そんな矢先にまた中村さんの気持ちがくじける出来事があった。
「紹介会社から新しいホームを紹介されたので、見学に行くことになりました。そのホームから、父を精神科に受診させて、診療情報提供書をもらって来てほしいと言われたので、ホームの担当医に紹介状をお願いしたんです。担当医からは精神科の受診はお勧めできないと渋られたのですが、なんとか紹介状を書いてもらえるよう電話でお願いしました。すると電話を切ってまもなく、その先生から電話がかかってきたんです」
その電話がどうもおかしい。受信履歴から間違って中村さんに発信してしまったようだった。
「先生は私に電話をかけているとは思っていないようで、奥さんらしい人との会話が聞こえてきたんです。その内容が、私と父のことのようでした。『介護が必要な人は60代後半の大柄な男性で、要介護2はホームから一番嫌がられるパターンだ。ほかの施設では受け入れてもらえないだろうし、受け入れてもらえても、施設ショッピングになってしまう。娘は父親が嫌がられていることも、施設ショッピングをしていることもわかっていない。今のホームの対応もどうかとは思うが、娘も施設を信用していない』と……。はあ、何? この状況!? ですよね。もし先生が意図して私に電話をかけて、この会話を聞かせていたとしたら、それはそれでびっくりですけどね」
まったく。安物のドラマを見ているような展開だ。しばらくこの会話を聞いたあと、中村さんは徒労感に襲われて電話を切った。
あるホームの入居相談員がこうこぼしているのを聞いたことがある。「100点の施設などないのに、気に入らないとまるで服を買い替えるように施設を変える人がいる」と。
そのときは、お金を持っている高齢者の贅沢な話だと思ったが、中村さんや緒方さんの話を聞いたあとでは一概に施設を移ることが悪とは言えないと思える。誰も好き好んで施設を移りたくはないのだから。
中村さんと父親の安住の場所が見つかることを心から願う。