学校に息子を“殺された”被害者遺族を非難する親たち《指導死》に見る悲惨な現実

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2021年01月14日 17:00  週刊女性PRIME

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※画像はイメージです

 子どもを守ってくれるはずの「学校」での出来事をきっかけに、命を絶つ子どもたちがいる。子どもが“指導死”したあと、遺族を非難したのは他の生徒の保護者たちだったーー。なぜ、保護者たちは学校をかばい、被害者側を非難することになったのか。(取材・文/ノンフィクションライター・大塚玲子)

 学校で起きるいじめや、教員による「指導」を機に、命を絶つ子どもたちがいます。多くの対策がとられてきましたが、残念ながらなかなか根絶せず、私たちはまだときどき、悲しいニュースを耳にします。

 驚く人もいるでしょうが、このような事件が起きたとき、他の保護者や地域住民が学校をかばい、遺族である保護者を非難することがあります。似たところで先日、いじめを受けた子どもの保護者が、他の保護者(PTA役員)から転校を促された話を耳にしましたが、こういったことは昔からあるようです。

「被害者側が周囲からバッシングを受けるのは、決して珍しいことではありません」

 そう話すのは、「指導死親の会」共同代表の大貫隆志さん(一般社団法人「ここから未来」代表)です。

 大貫さんは20年ほど前、学校での「指導」を機に、当時中学2年生だった息子を失いました。以来、同じようなことが再び起きないよう「指導死」という言葉を作って世に広め活動してきました。2013年には『指導死 〜追い詰められ、死を選んだ七人の子どもたち。』という書籍も出版しています。

 なぜ、他の保護者が被害者側を責めるようなことをしてしまうのか。ご自身の経験や、これまで関わってきたさまざまな事例から、大貫さんが考えるところを聞かせてもらいました。

マスコミに事実を伝えた遺族を
糾弾した保護者たち

 大貫さんの次男が命を落としたのは、2000年9月のことでした。大貫さんは当時離婚して子どもたちと離れて暮らしており、子どもの母親(元妻)からの電話で息子の死を知りました。

 学校で一体何が起きたのか? 問い合わせてもなかなか回答はありませんでした。ようやく教員たちと面談できたのは、事故から約1か月後。その後のやりとりも含め、わかったのは以下のような事実でした。

 息子は自死の前日、友達からお菓子をもらって食べたことで学年の教員らに呼び出され、1時間半ほど立ったままで指導を受けていました(ほかにも20人の生徒が同様の呼び出しを受けた)。翌日息子は、以前から予約を入れていた病院の検査に行くため学校を欠席したところ、夜になって突然担任から母親に電話が入り、指導を受けたことなどを告げられたのです。

 母親によると、息子はこのとき事実を認めて謝ったということです。沈んだ様子だったのでそっとしておいたところ、その約40分後、息子はマンション高層階の自室から身を投げたのでした。突然母親に知られたことがショックだったのでしょう。部屋の床には、乱れた字で書かれた遺書が残っていました。

 大貫さんは学校で息子に行われた指導について詳しく知りたかったのですが、当時はまだ事故調査の仕組みもできておらず、学校の対応は非常に消極的なものでした。結局「指導と自殺との因果関係はわからない」ということで話は打ち切られてしまいます。

 このとき、数名の保護者が応援団を結成して大貫さんらを支援してくれましたが、そんな保護者ばかりではありませんでした。他の保護者のなかには、事件が市議会で取り上げられたり、マスコミ(テレビ等)で報じられたりするのを不快に感じる人もいたのです。

 同年暮れに行われた、PTA役員と学校管理職の定例会では、事件に関するマスコミ報道や、マスコミに事実を伝えた大貫さんらに対するバッシングが続いたそう。定例会に出席した母親は、それからしばらくうつ状態に陥ったということです。

 大貫さんは、こう振り返ります。

「それまでも複数の新聞社に取り上げられていましたが、このころテレビのニュースで大きく報じられたので、『学校の名誉を貶める』ということで立腹された方々がいたんです。そういう報道があると、他の地域の方から『あの学校のお子さんでしょ』と言われたり、進学に影響したりするんじゃないかということで、よろしくないと思ったのでしょう

 なるほど、その気持ちも理解はできます。出身校は本人に生涯ついてまわるので、アイデンティティの一部のように感じる人もいます。保護者らは、わが子のそれに悪評がつくことを避けたかったのでしょうか。

 とはいえ、現実に命を落とした子どもがいるのです。もしそれが自分の子どもだったら、どう感じるのか? 真実を明らかにしたいと思うのは当然のことですし、学校が対応してくれないのであれば、訴訟を起こすかマスコミに報じてもらうくらいしか対抗手段はありません。しかし、この保護者らはそういった想像をできなかったのでしょうか。自分の子どものことだけを考えるなら、学校をかばったほうが間違いなく有利です。

 大貫さんによると「PTAがこれほど露骨に学校に加担するケースはそう多くない」とのこと。ただし、PTA会長が弔問に訪れた際に「訴訟の意思の有無」をそれとなく確認して学校(校長)に報告する、といった話はときどき聞くといいます。校長から頼まれればPTA会長は断りづらいでしょうが、こんなことがあれば、遺族がPTAを警戒するようになるのは当然です。

「常に学校が正しい」という幻想

 取材の少し後、大貫さんは一冊の本を紹介してくれました。ノンフィクション作家の藤井誠二さんが書いた『暴力の学校 倒錯の街』(1998年、雲母書房)です。

 今から25年ほど前にある私立高校で、先生の体罰によって女子生徒が殺された事件を追った書籍です。それ自体も酷い事件なのですが、悲しいことに殺害された生徒はその後、悪質なデマで中傷されて「二度殺される」目に遭っています。

 著者の追究で、デマは殺人犯の教員をかばう嘆願署名とともに広がったことがわかります。署名の発起人は犯人の同僚の教員と、犯人が顧問をしていた部活動のOG代表。卒業生や保護者らは、根も葉もない被害者中傷を添えて、この署名を集めてまわったのでした。

 当時の人々には「常に教師や学校が正しい」という幻想があり、そこにデマが入り込んで浸透したのではないか――。著者はそんなふうに分析しています。「殺したのが生徒で、殺されたのが先生だったら、嘆願署名運動は絶対に起きないと思う」とも。

 その後、全国の学校で対策が進み、今はもう体罰はだいぶなくなってきました。しかし、我々保護者や地域住民の意識はどうでしょうか。変わることはできたのでしょうか。同じようなことが起きないと言いきれるのか。

 筆者は断言できないように思います。地域によっては、学校やPTAはまだまだ「触れてはいけない絶対的な秩序」とみなされており、そこに触れた保護者が周囲の制裁を受けることは、今もそう珍しいことではありません。

 私たちはまだ「学校」というものを、それほど客観視できていないのではないでしょうか。

大塚玲子(おおつか・れいこ)
「いろんな家族の形」や「PTA」などの保護者組織を多く取材・執筆。出版社、編集プロダクションを経て、現在はノンフィクションライターとして活動。そのほか、講演、TV・ラジオ等メディア出演も。多様な家族の形を見つめる著書『ルポ 定形外家族 わたしの家は「ふつう」じゃない』(SB新書)、『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』(ともに太郎次郎社エディタス)など多数出版。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。

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