瀬戸内寂聴「私はたぶん、今年、死ぬでしょう」数え100歳になり感じたこと

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2021年01月15日 17:00  AERA dot.

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写真瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)。
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日新書)。
 半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。

【横尾忠則さんの写真はこちら】

*  *  *
■横尾忠則「画家は頭空っぽにして宇宙とつながる」

 セトウチさん

 毎年、大晦日(おおみそか)も元旦もアトリエです。アトリエにいると無意識に絵とつながるので、何もしなくても絵を描いている気分になるのです。よっぽど絵が好きなんだろうと思われるかも知れませんが、何度も言うように、そんなに好きではないのです。絵は面倒臭い作業です。時々、何のために絵を描くのだろう?と考えます。小説なんかと違って、頼まれて描くわけじゃないんです。と言って、好きだから描くわけでもなし。まあ、クセというか、業なんでしょうね。描かんとしゃーないから描くんです。もし命令する者がいるとすると、神かな? と思うことはあります。その証拠に、キャンバスを恨めしそうにボンヤリ見ていると、身体のどこかでピカッと光って、インスピレーションが来るのです。これが来なきゃ、そのまま居眠りするところです。このピカッがどうも神らしいのです。ピカッは頭が空っぽになった時に来ます。あれこれアイデアを考えている時は来ません。

 子供が何かに三昧(さんまい)になっている時とか、お坊さんがお経を上げたり坐禅している時とか、アスリートが無心で走っている時にランニング・ハイとかになる瞬間に近い時にピカッが来るのです。頭空っぽで全身を脳に切りかえた瞬間は時間が止まるというか時間の外に出てしまうのです。老化は時間の中にいるから起こるのです。時間の外に出てしまうと、年は取りません。考えて考えて描く画家もいますが、巨匠はあんまり考えません。だから画家は長寿者が多いんです。考えないからストレスがまずないですよね。

 小説家は如何(いかが)ですか。頭の中、考えと言葉でギューギュー詰めじゃないでしょうか。でも女流作家は長寿者が多いですよね。それは女流作家は男性作家と違って頭で書くというより、○○で書くというじゃないですか、だから○○を使うけれど頭は使わない(アラ失礼!)。だから長寿者が多いんです。子供を産む所と作品を生む所が同じなんて、宇宙的で凄(すご)いじゃないですか。

 画家が頭空っぽになる瞬間は宇宙とつながっています。宇宙=神です。だけど頭空っぽというのはそう誰でもできません。現代美術の最先端を走るのはコンセプチュアルアート(観念芸術)です。頭をとことん使ったインテリ・アートです。僕はこのような知性派のアーティストではないので、逆に頭を空っぽにして、アホ状態になるのを待っているんです。頭で考えたり、努力したりするのは面倒臭いので、アホ待ちです。すると、あのピカッが来るのです。このピカッは核ではありませんよ。インスピレーションの源泉の宇宙だったり神だったりするのですが、中にはアホな神もいるので用心しなきゃ。僕のような横着人間は、アホな神でもいいから、彼等(かれら)からのインスピレーションを受けるためにいつも点滴の針を指先(さ)きに刺して、ピカッを待っているのです。ソラ来タ! と感じると指先きがピクピクと動きます。加齢と共に欲と名のつくものはどこかに消えてしまいます。滝に打たれたり、坐禅をしなくても、自然に欲が取れていくんじゃないでしょうか。だから下手でもOKです。買物には興味ないし、もともとグルメではないし、眠りたい欲ぐらいです。ではおやすみなさい。

■瀬戸内寂聴「オテンバのハアちゃん、数え百歳に!!」

 ヨコオさん

 あっという間に今年も六日になりました。年と共に、時間の過ぎるのが速くなり、うろうろしてしまいます。

 私はこの正月で、何と数え百歳になったのですよ。「百歳のおばあさん」です。まさかねえ、町内一オテンバのハアちゃんが、百まで生きるなんて、世の中には何がおこるかわかりませんね。

 私の生まれる前、うちには父の母、つまり私の祖母が、父を頼って来て、わが家族と一緒に住んでいたそうです。父の上に二人の兄がいたのですが、祖母は父がお気に入りで、上の二人の息子の家より一番貧乏な父の家が好きだったようです。

 父とはちがい、庄屋の娘として何不自由なく育った母が、早く生母に死なれ、亡母の妹の叔母の世話で、彼女の借家に棲(す)んでいた指物(さしもの)職人の父の嫁にさせられてしまったそうです。

 新婚のその家に転がり込んだ姑(しゅうとめ)の祖母を、母は心を尽くして面倒をみたようです。祖母はすでに生まれていた私の五歳上の姉を無性に可愛がり、寸時(すんじ)も放そうとしなかったそうです。生まれた時から体が弱くはしかをしくじり、おできだらけの幼児になって、年中かゆがって泣いている私を、明らかに嫌っていたようです。それでも昼間、町内にある大きな銭湯によく私を連れて入りに行きました。姉は学校へ行っているので、その時は、私ひとりがお供でした。その頃の銭湯はまだ客はいなくて、祖母と私の二人の外にどこかの老婆がひとりよく入っていました。祖母よりもずっと老人で、腰が曲がってよろよろしていました。私は二人の老婆と湯につかりながら、あのように醜い体には、ぜったいなりたくないと思っていました。色の白い肉の多い母の美しい、手ざわりのいい体にくらべて、老婆の裸は何と汚いのかと、子ども心に、しっかり目の底にやきつけてしまったのです。自分も年をとって、ああなるなら、その前に死んでしまいたいとさえ思いました。三、四歳の子供にもそんな印象は焼きついたら長じても消えないものなのです。

 少女時代には文学少女になり、自殺に憧れ、汚い老婆になる前に、さっさと自分で死んだ方がいいとさえ思い始めていました。

 ところが、思わぬ長生きをして、まさか百歳になるなんて……。この年まで生きると、ずいぶん多くの死人の顔を見送っています。私の見た限り、死人は生前より皆さん美しくなっています。死に化粧をした人もしない人も、それぞれ、さっぱりしたやさしい顔になるのは有難(ありがた)いことです。何人か、裸に死に衣装を着せられるところも見たことがありますが、死者の躰(からだ)を醜いと思ったことはありません。生きている心の汚さが、生きている肉体を汚く見せるのだと悟りました。今では漸(ようや)く、自分の死後について悩まなくなりました。私の心の汚さが死体にあらわれても、あきらめます。私はたぶん、今年、死ぬでしょう。百まで生きたと、人々はほめそやすでしょう。

 目を閉じた私は、それから、どの星へ移るのでしょうか。その旅は何が運ぶのでしょうか。その途中の経験を書いたエッセイを、この雑誌のこの頁(ページ)に、送れないのが、実に残念ですね。

 でも、ヨコオさんにだけは、この手紙で、きっと報告しますからね。ではお元気で。

※週刊朝日  2021年1月22日号

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  • ����ɹ「やっとしんでくれるのか」と不謹慎なことを言ってるヤツがいた。 そんな不謹慎なことを言ってはいけない。 偉い人に対して失礼だ。�������ߥĥХ�
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  • ���塼���å�(^q^)���塼���å�生臭糞坊主→無間地獄
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