111年の歴史を誇る京都「嵐電」 46年前の太秦に古都を美しく魅せる路面電車

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2021年01月16日 07:00  AERA dot.

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写真混雑する三条通りの併用軌道を通過して、市中に出る乗客が待つ太秦駅に到着した四条大宮行きの嵐電。洛西の秋空に広隆寺楼門の伽藍が浮かび上がる。(撮影/諸河久 1975年11月22日)
混雑する三条通りの併用軌道を通過して、市中に出る乗客が待つ太秦駅に到着した四条大宮行きの嵐電。洛西の秋空に広隆寺楼門の伽藍が浮かび上がる。(撮影/諸河久 1975年11月22日)
 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回も新春特集として、「古都京都」を走る京福電気鉄道嵐山線の路面電車を紹介しよう。

【京都の美しさがわかる、かつての嵐電と街並みの貴重な写真はこちら】

*  *  *
 嵐電の愛称で親しまれる「嵐山線」。京都の人には当たり前でも、観光客を含めて京都以外に住んでいる人には「嵐電」の読みがわからない人もいるだろう。

 答えは、らんでん。

 京福電鉄嵐山線は市内の交通の要衝である四条大宮から嵐山を結ぶ通勤・観光路線で、嵐山線は前述の四条大宮〜嵐山の嵐山本線7200mと北野白梅町〜帷子ノ辻(かたびらのつじ)を結ぶ北野線3800mの二路線を持ち、通称「嵐電」と呼ばれている。京の風情を感じられる、美しい路線だ。

■嵐電からトロリーポール集電が消える

 冒頭の写真は1975年、秋晴れに恵まれた一日を洛西にロケした一コマだ。

 国宝「阿弥陀如来坐像」を擁する広隆寺の南大門の伽藍を背景に太秦駅に到着した四条大宮行きの嵐電。緑色と淡いカーキ色の車体で、屋根に鉛丹色を施した古都に相応しい色彩の外観だった。車体正面のオデコの部分には、電光をデザインした菱形のマークが輝いている。これは嵐山電車軌道を吸収合併した京都電燈以来のもので、京福電鉄の社紋である。

 このロケには、鮮明な画像と秀逸な粒状性を誇る外式現像処理の「コダック・コダクロームII」カラーリバーサルフィルムを携行した。コダクロームIIのフィルム感度はISO25と低感度のため、光量が豊富な撮影条件でないと使いこなすが難しい感材だった。撮影機材はニコンFとニッコール85mmF1.8を主体にしたレンズワークだった。

 京福電鉄の前身である嵐山電車軌道が1910年に嵐山本線を開業。今年で111年の歴史を誇る洛西の路面電車だ。軌間は1435mm、電車線電圧は600Vで、現在も路面電車と近郊電車をミックスしたような車両が活躍している。

 嵐電は創業以来トロリーホイール式のポール集電を堅持した路面電車として有名だった。ポール集電の電車が全国的に知られたのは、1963年公開の東宝映画「天国と地獄」(黒澤明監督・三船敏郎主演)だった。作品中、犯人からの電話の中に漏れ聞こえるトロリーホイールの音で、発信先を江ノ電の沿線と推定するくだりがあり、架線を震わすトロリーホイールの擦過音を一般人が認識することになった。

 長年親しんだ嵐電のポール集電だったが「1975年12月からZパンタグラフ集電に変更する」という知らせが舞い込んできたのは1975年の初秋。同じ京福電鉄の叡山線もポール集電であったが、こちらは集電容量の大きいスライダーシュー式を採用しており、日本の鉄道営業線からトロリーホイール式のポール集電が消え去る時がやって来た。掲載の写真は、嵐電からそのトロリーポールが消える最後の秋に写した作品だ。

 次のカットは三条通りに敷設された嵐山本線を四条大宮に向かう嵐電。トロリーポールを繋ぐトロリーコードが、窓下に設置されたトロリーキャッチャーに巻き込まれている。トロリーキャッチャーは不用意に架線からポールが外れた際、即座にトロリーコードを巻き上げてトロリーポールを下降させる装置で、戦前に輸入された米国製品だった。

 三条通りの歩道から、ニコンFにニッコール200mmF4レンズを装填してフレーミング。コダクロームIIは低感度なので絞り値を開放にして対応したが、アウトフォーカスになった背景の街並みの中に、去り行く嵐電のフォルムが浮かび上がった。山ノ内駅は後年、京都市電や京阪京津線の安全地帯が廃止されたために、京都府内で唯一の安全地帯仕様の停留所となった。

■走行中のトロリーポールを流し撮りで描写

「走行中のトロリーポールをビジュアルでいかに表現するか」も嵐電撮影行の課題だった。

 その結論として、引きの取れる撮影地でポール部位を含めた車体の動きに合わせ、スローシャッターを用いた「流し撮り」をすることとなった。終点嵐山を発車してすぐの短い橋梁を渡る地点で、嵐電を狙うことにした。シャッター速度を1/30秒に設定。カメラをスイングして流し撮りをしたのが次のカットだ。被写体となったのは、1932年に田中車輌で製造されたモボ111型だった。車齢は40年を超えているが、手入れの行き届いた車体は年輪を感じさせない神々しさがあった。振り上げたポールの先端で回転するトロリーホイールをしっかり捉えており、納得のゆく流し撮りとなった。

■嵐山駅の構内がゆったりしている訳は

 最後のカットが嵐山駅を発車する四条大宮行きの嵐電モボ121型。学生時代の1968年に訪ねた嵐山駅本屋は寺院風の瀟洒な建物だった。現在は商業施設「嵐山駅はんなり・ほっこりスクエア」になって、駅の周囲は大変貌を遂げている。

 写真のように終点嵐山駅構内がゆったりと広いのは、嵐山駅から明智光秀の連歌の会でお馴染みの愛宕神社への参詣客を運ぶ「愛宕山鉄道」が出ていたことに起因する。かつての愛宕山鉄道は、画面右端のホームを起点にして手前に折返すように発車し、大きく北側に左折して清滝駅に向かっていた。

 嵐電と同じ京都電燈傘下の愛宕山鉄道は、1929年に嵐山〜清滝3400mを開業。同時期に清滝駅から接続する愛宕山ケーブル2000mも開業した。1944年に「不要不急路線」に指定され、国策によって廃止された路線だ。戦後も復旧することなく、現在も途中の清滝トンネルを始めとする線路跡を残している。

 こうして写真で振り返るだけでも、京都・洛西の美しさが随所にあらわれている。

■撮影:1975年11月22日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの軽便鉄道」(イカロス出版)など。2020年5月に「京阪電車の記録」をフォト・パブリッシングから上梓した。

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