阪神・淡路大震災から26年 オリックス・湊通夫球団社長ら約60人が黙とう

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2021年01月17日 17:34  ベースボールキング

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神戸市に向け黙とうするオリックスの湊球団社長(中央左)、福良GMら[代表撮影]
◆ 語り継がれる「がんばろうKOBE」

 約6400人が犠牲となった阪神大震災から17日で26年。震災発生時、神戸市に本拠地を置いていたオリックスは正午から、大阪市内のオセアンバファローズスタジアム舞洲で、湊通夫球団社長や福良淳一ゼネラルマネジャー(GM)ら約60人が1分間の黙とうを行った。新人合同自主トレに参加している選手を含めた関係者が、マスクをつけ互いに距離を取って本塁から三塁にかけて整列。神戸市方面に向けて、犠牲者の冥福を祈った。

 1995年、1月17日午前5時46分に発生した地震は、当時のオリックス・ブルーウェーブが本拠地としていた神戸市などに壊滅的な打撃を与えた。キャンプインを前に選手らも被災したが、チームは「がんばろう神戸」を合言葉に復旧・復興をはかる神戸のシンボル的存在として、ユニホームの右袖に「がんばろうKOBE」のワッペンをつけて戦い、その年にリーグ優勝を果たした。

 愛媛・宇和島東高からドラフト1位で入団。当時2年目で15勝5敗27セーブ、防御率2.32で優勝に貢献し、「最高勝率」「最優秀救援投手」「新人王」に輝いた平井正史育成コーチは同市内の合宿所で被災。「経験をしたことのない揺れと、その後の復興への過程は忘れることが出来ない」と振り返る。

 シーズン当初は「自分のことで精いっぱいで、正直にいってお客さんのことまで頭になかったが、勝ち進んでいくにつれ神戸が盛り上がり勇気をもらった。(優勝で)喜んでもらえ、野球をやっていてよかった」と、ファンとの一体感が優勝につながったことを強調した。「一人では何ともできないことがある。周りをしっかり見て助け合っていくことが大切」と今回のコロナ禍と震災を重ね合わせていた。

 新人12選手のうち、震災前に生まれているのは1992年生まれのドラフト6位・阿部翔太投手(日本生命)と1994年生まれの育成6位・古長拓内野手(福島レッドホープス)の2人だけ。大阪市出身で当時2歳だった阿部は「テレビの映像でしか被害は知らない。オリックスはがんばろうKOBEを合言葉に優勝したが、誰かのためにとか、勇気を与えるために戦うと、強いなと思った。技術も向上するし、そういう思いは大切」と、先輩たちの活躍に思いをはせていた。

 また、神戸市出身で2002年生まれのドラフト3位・来田涼斗外野手(明石商)は「母が(被害の大きかった神戸市)長田区の生まれで、悲惨な状況だったが、いろんな人の支えがあり、神戸の街が復興したと聞かされて育った。この世の中は(人々が)協力しあって成り立っている。僕も人を助けられる人間に成長したい。どんどん練習して、感動を与えることが出来る選手になりたい」と、プロ野球選手としての決意を新たにしていた。

 なお、中嶋聡監督はコロナ禍での移動リスクを考慮し、東京都内の自宅で犠牲者を追悼した。


文=北野正樹(きたの・まさき)

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