最果タヒと銀色夏生、2人の詩人の共通点と違いは? それぞれが描く「私」と「君」の世界

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2021年01月21日 10:01  リアルサウンド

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『夜景座生まれ』

 「夜景座」という星座があったとしたら、どういう星座なのだろうと思う。きっと、夜景のひとつひとつの明かりを星とした、壮大な星座になるのではないかと想像する。


 『夜景座生まれ』が8つ目の詩集となる最果タヒは、1986年生まれの詩人だ。詩やエッセイ、小説を発表するほか、詩を撃つゲーム「詩ューティング」を作り出したり、横浜や渋谷PARCOなどで詩のインスタレーション作品を展示するなど、詩を拡張するとも言える活動をしている。


 詩というのは、長い歴史を持っているわりに、難解というイメージからか手に取られる機会が少ない文学だ。そのイメージを変えたとも言えるのが、銀色夏生ではないかと思う。1980年代から詩集を出版。その中身は、詩と共に、銀色夏生によって撮られた写真が掲載されているものが多い。詩の新しいスタイルを提示してきた、銀色夏生と最果タヒ。その2人の詩の世界を見比べてみたいと思う。


 2人の詩に共通しているのは、「私」と「君」のことを中心として書いたものが多いという点と、どこか仄暗いところがあるという点である。


 まず銀色夏生の作品を見ていくと、『散リユク夕ベ』に収録されている詩には、



僕は君を守るつもりですが
いいですか




僕たちは弱いけど
今は力はないけれど
いつかきっと
すごくしあわせになれるよ
いつかきっとね
だから
僕の手を強くにぎっていて



 といったものがある。この2作品には仄暗さは感じられないが、



苦しさを伝えようとしても
夜は暗く
夜は深く
夜は静かで
あなたは遠い



 という詩を読むと、幸せな「私」と「君」の世界だけが展開されているわけではないということが分かる。


 『葉っぱ』という詩集に収録されている「夢」という作品では、「夢」や「恋」という文字が入った場所に行こうと2人で地図を見ているのに、「僕」は「死骨崎」という、「夢」や「恋」とは反対にあるような地名の場所に行きたいと密かに願っている。幸福な詩かと思いきや、どこかに死の匂いすら感じさせる詩を書いているのだ。



「夢」
夢という文字が
どこかにはいった場所に行こう
夢路海岸がいい
次は恋ね
二人で地図とにらめっこ
僕は死骨崎へ
行きたい



 銀色夏生の作品は、「私」と「君」が作り出す小さな世界でどのように生きるかというところに視点を置いたものが多い。それが幸せだろうが、影が見えようが、とは言え「私」と「君」の見える範囲の世界が描かれている。一方で、最果タヒの作品を読んでいくと、「私」と「君」の世界はメキメキと拡大していく。



すこしでも触れられたら裂けてしまいそうな傷口が、
ぼくそのものだと気づいている?
(略)
誰よりもぼくを深く傷つける人、
きみの手はあたたかいと、ぼくは早くきみに言いたい。
ーー「傷痕」




(略)
夕立の中できみが言った言葉は、どこにも記録せず、
私が生きるかぎり存在する結晶にするんだ。
いまきみと手をつなぐ、きみの体温が私の血に、心臓に届く。
ーー「氷の詩」




(略)ここに、ぼくがいて、きみのことを今から知る、
なにひとつきみの過去を覚えていない人間が、
これから、ここで生きることが、無性に美しくみえるなら、
きみも、きみのことを忘れていける、
100年後も、1000年後も。
ーー「墓標」



 「私」と「君」の関係性からできあがる世界は、一筋縄ではいかなくなる。どこか必死で、切実で、緊迫感に溢れている。「傷口」や「心臓」という単語は、ひどく生々しい身体感覚を覚えさせるし、「覚えていない」「忘れていける」というワードは、よそよそしさがある。身体の内部から、歴史の流れまで、「私」と「君」が生きる世界は包容する。



ぼくを好きでないくせに、
あなたの心臓にも鼓動がある。あなたにも孤独がある。
擦ると火がつくであろう、夜の暗さ、部屋の暗さ、
扉を閉める音がして、けれど誰の声も聞こえない。
(略)
ーー「マッチの詩」



 最果タヒの詩は、暗さは増すけれど、その代わり境目がはっきりとしている。それは、人間の惰性の情のようなものが介入していないからではないかと思う。



死と生の境界ではなく、光速と高速の境界に川が流れ始めるこの時代にわたしたちは何を恐れるべきだろうか、きっとコンビニやファストフード、インターネットは自殺の一種なのだ、もう何も知らないから、大丈夫です、知らないから、知らないなら自殺は自殺じゃなくなるんですよ、知らないから死は死でしかなくなるんですよ、どうであろうが。
ーー「超愛」



 「死は死でしかな」い。そこに情が入る余白はなく、しっかりと封をされた暗さを手渡された気分になる。


 最果タヒの書く詩の「私」と「君」は、様々なものがプロジェクションマッピングのように投影される、まっさらな物体なのではないだろうか。投影されている間は、コロコロと世界を変え、血が流れていて鼓動もあるけれど、投影が終わると、「私」と「君」は概念になる。銀色夏生と最果タヒがそれぞれ詩で書く「私」と「君」の世界は、接点を持ちつつも別ベクトルに進み続けている小宇宙のようだ。


■ねむみえり
1992年生まれのフリーライター。本のほかに、演劇やお笑い、ラジオが好き。
Twitter:@noserabbit_e


■書籍情報
『夜景座生まれ』
著者:最果タヒ
出版社:新潮社
出版社サイト


『散リユク夕ベ』(角川文庫)


『散リユク夕ベ』


著者:銀色夏生
出版社サイト


『葉っぱ』(幻冬舎文庫)


『葉っぱ』


著者:銀色夏生
出版社サイト


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  • 銀色夏生 一時集めてたな(笑) スゴい量あったな 本屋に行ったら見てみようかな
    • イイネ!1
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