『NARUTO』カカシ先生が教えてくれたことーー多くを失った人間の言葉の重み

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2021年01月24日 08:01  リアルサウンド

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『NARUTO』64巻

※本稿には物語のネタバレが含まれます。


 人生に大きな影響を与える存在は人それぞれ様々だろう。両親などの家族や友人、恋人などもあるだろうが、学校の先生からも多くのことを学ぶはずだ。先生とは多感な時期に多くの時間をともにする。その影響はなんだかんだ大きいだろう。だからこそ、人生の師と呼べるような先生に出会えることは幸運だ。


 ヒーロー漫画の主人公にもそんな良き先生がいることが多い。少年漫画の読者にとって「こんな素敵な先生に出会えたらいいだろうな」と思えるキャラクターは必然人気が高い。岸本斉史の『NARUTO』のはたけカカシもそんなキャラクターの一人だろう。


生徒との距離の近さを感じさせる「抜け感」
「イチャイチャパラダイス」を読むカカシ

 カカシ先生は、「写輪眼のカカシ」の異名で他国にも知られるほどの英雄だが、普段はどこか抜けている。初登場シーンは、ナルトの仕掛けたベタは黒板消しのトラップに引っかかるところだし、遅刻癖もある。そして、愛読書は「イチャイチャパラダイス」である。


 しかしこの「抜け感」は、カカシ先生の親しみやすさを生んでいるという点で重要だ。先生と生徒の関係というのは、ただでさえ権力関係、力関係、年齢も大きな差があるものだ。高圧的な態度では、その壁はどんどん厚くなる。カカシ先生のような抜け感はその壁を取り払った関係を築くことを容易にしている。そういう親しみやすい先生は、実際の学校でも生徒に人気があることが多いのではないか。


 また、顔の半分以上を隠しているミステリアスな雰囲気も魅力だ。アニメオリジナルのエピソードでは、ナルトたち第七班のメンバーがカカシの素顔を観ようと企む話があったが、読者もあのマスクの下はどうなっているのか気になっているだろう。しかし、最後まであのマスクの下の素顔は明かされなかった。顔を隠した白髪の飄々とした性格の先生というキャラクター像は、後の『呪術廻戦』の五条悟とも共通している。


多くのものを失ってきたからこそ教えられることがたくさんある

 カカシ先生は万能で優秀な忍だ。しかし、その優秀さを誇示して不必要に自分を大きく見せることはしない。周囲からの評価は非常に大きいが、彼自身はむしろ自分は力不足で足りないものばかりだと感じている。


 それは彼が、大切なものを守ることができなかった過去を多く抱えているからだ。忍の世界の本当の厳しさ、理不尽さを身をもって味わってきたからこそ、自分が優秀だなんて思えないのだろう。


 雨の降る墓の前でカカシ先生は「ただここに来ると・・昔のバカだった自分をいつまでもいましめたくなる」と言うシーンがある。彼はかつて大切な仲間だったオビトとリンを救えなかった。カカシ先生の心には常にその後悔とふがいなさが残っている。どれだけ強くなろうとも、驕るどころではないのだろう。ちなみに、この墓参りはカカシ先生の遅刻の理由でもあることが示唆されている。朝早くに墓を訪れても「バカだった頃の自分」を長い時間戒めてしまうのだろう。


 仲間を失っているからこそ、カカシ先生は仲間の大切さを誰よりも身に染みて知っている。元々、カカシ先生はルールや掟に厳格な人間で、仲間の命よりも任務を優先するタイプだった。それは任務よりも仲間の命を優先して裏切り者扱いされ自殺してしまった父を反面教師にしていたからだ。


 しかし、そんな彼はチームメイトだったオビトの言葉、「忍者の世界でルールや掟を破る奴はクズ呼ばわりされる・・・。けどな!仲間を大切にしないやつはそれ以上のクズだ」の言葉が彼を変えた。そしてこの言葉はそのまま、カカシ先生がナルト達に最初に教える大切な教訓となる。この言葉が響くのはそれが上辺だけのきれいごととして語られているのではなく、カカシ先生の実体験からくるものだからだ。


 後悔も絶望もたくさん味わってきたからこそ、カカシ先生はただの上司ではない「人生の師」と呼べるような存在なのだ。


どんな状況でも最後まで先生であり続けた

 ナルト達第七班は、サスケが木の葉の里から抜けたことによりバラバラになってしまう。サスケはその後、暁と呼ばれる犯罪組織へと堕ち、木の葉への復讐を企てるようになるが、そんな闇に堕ちた教え子に対してもカカシ先生は「先生」としての立場を崩さない。


 「どんなに落ちても、大蛇丸がかわいいと思えてたんだな。三代目火影様がどんな気持ちだったか・・・今になってわかるとはね」というカカシ先生は、自分の責任として復讐心に取り憑かれたサスケと対峙する。三代目火影がかつての教え子大蛇丸を止めようとしたように、カカシ先生もまた先生の責務としてサスケを止めようとしたのだ。


 そして、カカシ先生は最終決戦の最後の瞬間まで第七班の先生であり続けた。ナルトとサスケが世界の命運を握る力を得ても、最後の作戦を立てたのはカカシ先生だった。忍界大戦最終局面で、第七班の3人が力を合わせてカグヤを封印したシーン、カカシ先生は「うん、いい画だ。今のお前らは⋯⋯大好きだ。」と言って教え子たちを慈しむ。このシーンは読者もカカシ先生と同じ目線で3人の成長を頼もしく感じただろう。


 第七班結成から、最後の決戦までカカシ先生は見事にナルトたちを導く存在だった。自らも深く悩み、ふがいなさも自覚しながら進み続けるカカシ先生はナルトたちだけでなく、少年少女時代に本作を読んだ読者たちにとっても「人生の師」と呼べるような存在だったに違いない。


■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。


■書籍情報
『NARUTO』72巻完結
著者:岸本斉史
出版社:集英社
出版社公式サイト


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