現役のオシムチルドレン、水本裕貴。35歳の今も忘れない名将の声

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2021年01月24日 11:12  webスポルティーバ

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「オシムの教え」を受け継ぐ者たち(6) 第5回を読む>>
水本裕貴

 今から18年前、ジェフユナイテッド市原(現千葉)の監督に、大柄なボスニア人指揮官が着任した。彼の名は、イビチャ・オシム――。1990年イタリアW杯でユーゴスラビア代表をベスト8へと導いた知将だった。

 鋭いプレッシングと、後方から選手が次々と飛び出していくアタッキングサッカーで旋風を巻き起こした"オシム・ジェフ"は、瞬く間に強豪チームへと変貌を遂げる。のちに日本代表監督も務めた指揮官は、ジェフの何を変えたのか。その教えは、ともに戦った男たちの人生にどんな影響を与えたのか。「日本人らしいサッカー」を掲げた名将の薫陶を受けた"オシムチルドレン"やスタッフたちに、2022年カタールW杯前年のいま、あらためて話を聞いた。

 第6回に登場するのは、ジェフのルーキー時代からオシムに起用され、日本代表でもプレーした水本裕貴。35歳にして現役を続ける原動力になった、名将のもとでサッカーを学んだ日々を振り返った。




***

 ジェフユナイテッド市原(現千葉)の坂本將貴が必死の形相でピッチを駆け回り、ベンチの望月重良が試合内容に興奮しながら出場機会を伺っていた2003年7月20日のジュビロ磐田戦――。

 1stステージの覇権の行方を左右し、のちに名勝負と呼ばれるこの大一番を、手に汗握って観戦していた高校3年生がいた。

 当時、三重高校に通っていた水本裕貴である。

 全国区の選手というわけではなかったものの、U−18日本代表にも選出されていた将来有望なセンターバックは、いくつかのJクラブの練習に参加していた。そのうちのひとつであるジェフユナイテッド市原(現千葉)の試合が三重から近い磐田で行なわれたため、観戦に訪れたのだった。

「ジュビロは前年のチャンピオンでしたし、三重に住んでいたので、ジュビロの強さはよくわかっていました。そんな相手と互角に戦っていて凄いなと。それに、忘れもしない崔龍洙(チェ・ヨンス)さんの......」

 0−1で迎えた50分、ジェフがPKを獲得する。同点に追いつく千載一遇のチャンス。この場面でPKキッカーとして登場したエースストライカーの崔龍洙が選択したのは、まさかのチップキック――。

「あらためて振り返ると、あの場面で、よくあんな恐ろしいことができたなって(笑)」




 結果は2−2の引き分けに終わったが、この試合に心を揺さぶられた高校3年生は、もともと練習参加した際に好感触を得ていたこともあって、ジェフと契約することに決める。

「選手のレベルはもちろん高かったんですけど、練習内容も、タッチ制限があったりしてレベルが高く、高校とは全然違った。こんな練習を毎日こなせば成長できるんじゃないかと思いました」

 2004年シーズンから晴れてジェフの一員となった水本の、指揮官に対する第一印象は「とにかく大きい人だな」というものだった。さらにイビチャ・オシムのもとでトレーニングを重ねていくうちに、「よく見ている人」という印象が足されることになる。

「そこまで多くを語る人じゃないんですけど、いろんなことを見ているというか、見られている感じがありました。選手の言動や様子、プレーの細部までじっくり観察していて。ちゃんと見てくれているから、練習でいいプレーをすれば、試合に使ってもらえる。そういうことは1年目から感じていましたね」

 最初は練習についていくのが精一杯だったルーキーにデビューの瞬間が訪れたのは6月20日、アウェーの大分トリニータ戦だ。

「コーチの小倉(勉)さんから、試合に向かうバスの中で『もしかしたら、途中から(出場が)あるかもしれない』と言われたんです。そうしたら試合中、巻(誠一郎)さんがケガをして、急きょ出場することになった。最初はボランチに入り、サイドハーフに移って、最後はまたボランチを務めた覚えがありますね」

 シーズン終盤は出場機会が急増し、10月15日のガンバ大阪戦から4試合連続してスタメン出場を飾った。ピッチに立つ時間が長くなるにつれ、水本はあらためてオシムの凄さを感じずにはいられなかった。

「オシムさんの練習は試合と同じ90分なんです。だから10時から始まったら11時半には終わる。その間、100%の力を出し切るように設定されていた。しかも、練習でやったシチュエーションが、試合で次々と起こるんです。あ、これ、練習でやったなって」

 ルーキーイヤーをリーグ戦5試合、カップ戦2試合の出場で終えた水本に2005年シーズン、大きなチャンスが巡ってくる。

 当時のジェフの守備の要で日本代表DFである茶野隆行のジュビロ移籍が決まったのである。

「代表に選ばれていた同じポジションの選手が抜けたんですから、これはチャンスだと思いました」

 2005年シーズンの開幕スタメンの座を射止め、3試合連続フル出場。プロ2年目は順風満帆かと思われた。しかし......。

 水本にとって忘れられないのは4節、4月9日のトリニータ戦である。2分と5分に連続失点すると、ピッチサイドに自身と同じポジションの結城耕造が現れた。隣に立つ第4の審判が掲げたボードには、水本の背番号である27の数字が光っていた――。

「開始10分で代えられてしまったんです。2失点目には自分も絡んでいて。ショックでしたね。そのあと、チームが逆転してくれたので、少しは救われましたけど......」

 衝撃の交代劇もさることながら、4日後にはさらなるサプライズが待っていた。

「試合翌日から4日後のジュビロ戦まで、監督から声を掛けられることは一切なかった。でも、一生懸命やるしかないなって、ショックを引きずらないようにして練習に取り組んでいた。そうしたら、ジュビロ戦のスタメンに指名してくれて。試合にも勝てたので、すごく嬉しかったのを覚えています」

 オシムはその3日間、水本の振る舞いを観察していたのだろう。水本が落ち込んだままだったり、ふて腐れていたとしたら、起用しなかったはずだ。奮起する水本の姿があったからこそ、汚名返上のチャンスを与えたに違いない。

 オシム体制3年目となるこの年、待望の初タイトル獲得のチャンスが巡ってくる。ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝に進出したのだ。クラブとしては1998年以来、2度目の機会だった。

 浦和レッズとの準決勝第2戦は先発フル出場を飾った水本だったが、ガンバとの国立決戦ではベンチを温めることになり、最後まで声が掛かることはなかった。

「もちろん、試合に出たい気持ちはありましたけど、クラブの初タイトルが懸かっていましたし、なんとしてでも勝ちたいっていう気持ちが強かった。ベンチスタートになったのも、自分が力不足だったから。3人が交代して出番がなくなってからも、ピッチの外で、チームのためにできることをやろうと思っていました。タイトルが獲れたときは、純粋に嬉しかったです」

 プロ3年目の2006年シーズンを迎えると、水本は最終ラインの一角をがっちり掴んだ。

 だが、シーズンの半ばで指揮官との別れがやってくる。オシムの日本代表監督への就任が決まったのである。

「指導してもらえなくなる寂しさはありましたけど、代表に選ばれるために、さらに努力していこうという気持ちのほうが強かったですね」

 その誓いどおり、恩師と再会する日はすぐにやってきた。オシムジャパンの初陣から1カ月半後の10月1日、日本代表に初選出されるのだ。それどころか、3日後に横浜国際総合競技場で行なわれたガーナ戦で、3バックの右としてスタメンに抜擢された。

 その後半のことである。逆サイドにある日本のベンチから「ミズ! ミズ!」と叫ぶオシムの声が、水本にははっきりと聞こえた。

「あれだけたくさんの観客が入っていたのに、確かに聞こえたんです、ジェフのときと同じようなオシムさんの声が。それで奮い立つことができた。よし、やるぞ、もっとやらなきゃいけないって。それはすごく印象に残っています」

 その後、水本は何度もブルーのジャージーに身を包み、2008年には北京五輪の舞台にも立った。ガンバ、京都サンガF.C.、サンフレッチェ広島、松本山雅FC、FC町田ゼルビアと渡り歩き、35歳となった今なお現役として情熱をたぎらせている。

「プロになって最初の監督がオシムさんだったことは、自分にとって本当によかったですね。オシムさんじゃなかったら、サッカーについて深く考えられなかったと思うし、もしかしたら、もう現役でプレーしていなかったかもしれない。ここまでキャリアを築けたのは、オシムさんのおかげ。感謝しています」

 水本が2020年シーズンにプレーしたゼルビアを率いるランコ・ポポヴィッチは現役時代、オーストリアのシュトルム・グラーツでオシムの指導を仰いでいる。水本にとっては"オシムチルドレン"の先輩にあたるわけだ。

「選手にたくさんの選択肢やアイデアを提示してくれるところ、前向きなトライや意図の見えるミスに対して全然怒らないところは、オシムさんに似ていますね。ポポさんも『どんどんリスクを冒してチャレンジしろ』と言ってくれる。オシムさんの話もしました。『俺たちが現役の頃は、もっと練習がキツかったんだぞ』と言ってましたね(笑)」

 振り返れば、サンフレッチェ時代にも水本は、オシムの薫陶を受けたミハイロ・ペトロヴィッチ監督(オシムがグラーツ監督時代に同クラブのコーチ)の指導を受けている。これも何かの縁なのだろうか。

「オシムさんも、ミシャさんもいいプレーに対して『ブラボー!』と言うんですけど、ポポさんも言うんですよ。それが懐かしいというか。いつまで経っても『ブラボー!』は欲しいですね」
 
 オシムから学んだ哲学、生き方を水本は今も大事にしている。

 野心を持て、満足するな――。

 その言葉を胸に、水本は36歳となる21年シーズンも、ゼルビアでボールを追い、走り続ける。

(第7回につづく)

■水本裕貴(みずもと・ひろき)
1985年9月12日生まれ。三重県出身。三重高校から2004年にジェフユナイテッド市原(当時)に加入。ルーキーイヤーから出場機会を得て成長し、サンフレッチェ広島時代の2012年シーズンにはJリーグベストイレブンに選出された。日本代表には2006年に初選出され、2015年までに国際Aマッチ7試合に出場。現在はJ2町田ゼルビアの主力として活躍している。

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