奇跡の集結から29年。初代「ドリームチーム」12人たちの今(後編)

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2021年01月26日 11:31  webスポルティーバ

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 1992年のバルセロナ五輪。「絶対に不可能」と言われたNBAのスーパースターたちの共演が実現した。その名は「ドリームチーム」。12人の超一流プレーヤーがアメリカ代表の一員として集結した。

 あれから29年。マイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンがNBA・MLBの球団オーナーとして目立った活躍を続ける一方、地道にセカンドキャリアを歩む人物もいる。前編ではニューヨーク・ニックスの名センター、パトリック・ユーイングを紹介した。後編ではドリームチームに大学生で唯一選ばれたクリスチャン・レイトナーと、1980年代にブームを巻き起こしたクリス・マリンの今を追ってみた。

◆「初代ドリームチーム12人の今@前編」>>
◆ドリームチーム誕生秘話。「奇跡の12人」が集結した、知られざる真実>>




 大学時代に華々しい実績を残しながらも、プロ入り後の評価が芳しくなかった初代ドリームチームメンバーがいる。12人のなかで唯一、大学生で選ばれたクリスチャン・レイトナーだ。

 名門デューク大出身のレイトナーは、1988年からの4シーズンすべてでNCAAファイナル4に出場。そのうち1991年と1992年には全米タイトル連覇に貢献している。

 ただ、レイトナーのドリームチーム入りには賛否があった。同じ大学生から選ぶのであれば、より優れたシャキール・オニール(当時ルイジアナ州立大)が選ばれるべきだという声が多かったからだ。

 その背景には、今もデューク大でヘッドコーチを務めるマイク・シャシェフスキー氏がドリームチームのアシスタントコーチとして入閣していたという政治的な理由もあったと思われる。オニールではなく自身が選ばれた理由について、レイトナーは2019年のラジオ番組で淡々とこう語っていた。

「自分が選ばれたのはプレータイムを要求しないから。(オニールだと)プレータイムを与えないといけなかっただろう」

 レイトナーにとって、ドリームチームへの参加はあまりいい思い出ではなかったようだ。バルセロナ五輪で獲得した金メダルも、周囲の前で取り出すことはほとんどないという。

 バルセロナ五輪直前のNBAドラフトで、オニールは全体1番目、レイトナーは全体3番目で指名された。その後、オニールはNBAを代表するセンターとなったが、レイトナーはミネソタ・ティンバーウルブズをはじめ計6チームを渡り歩いたあと、2005年いっぱいで現役から引退した。

 プロ入り後の数年間は平均得点で10点台後半の数字を挙げるなど、いい働きをしていたとは思う。だが、最優秀選手賞を獲得するなど数々の栄光を勝ち取った大学時代と比べると、「物足りない」と見られてしまったのは不幸だった。

 そんなレイトナーは、引退後に一時メジャーリーグサッカーのDCユナイテッドの共同オーナーとなったり、NBAの下部リーグNBDL(現Gリーグ)でアシスタントコーチを短期間務めたりした。現在はユース向けのバスケットボールクリニックプログラムに関わっている。

 オリンピックチャンネルの『Zチーム』というドキュメンタリー番組で、レイトナーがとあるバスケットボール弱小高校に指導を施すという企画があった。そのなかでレイトナーが、ドリブルよりもパスの重要性を強調する場面がある。

 ドリームチームでもNBAでも個人技に秀でた選手に囲まれてきた彼のその言葉は、レイトナーがやはり大学最強の選手だったと思わせたのと同時に、個人プレーに走るプロバスケへの間接的な苦言のようにも聞こえた。ちなみに、ドリームチーム自体はプロバスケットボール殿堂入りを果たしているが、選手として殿堂に入っていないのはレイトナーだけである。

 ステフィン・カリーを擁して2015年から5年連続でファイナルへ進出し、うち3度王座に戴冠したゴールデンステート・ウォリアーズは、近年のNBAで最も大きな成功を収めているチームだ。だが、振り返れば約30年前にも、ウォリアーズがブームになった時代があった。

 1980年代後半、ティム・ハーダウェイ、ミッチ・リッチモンド、クリス・マリンの3選手は「ラン・アンド・ガン」と呼ばれたアップテンポなオフェンスでウォリアーズを牽引。ヒップホップグループ「Run DMC」にひっかけて、3人の頭文字を取って「Run TMC」と呼ばれた。

 そのうちの"C"ことクリス・マリンは、セント・ジョーンズ大時代の1984年、ロサンゼルス五輪に出場して金メダルを獲得。そしてプロ8年目を迎えた1992年、バルセロナで再び五輪のコートに立った。

 マリンはシューティングガードとスモールフォワードの2ポジションでプレーするスイングマンで、リバウンドやアシストにも長けていた。だが、なによりも彼を有名にしたのは、左手から繰り出される素早く精緻な3Pシュートだろう。

「白人で長距離シュートが得意」ということで、よくラリー・バードと比べられた。バルセロナではそのバードと同じ釜の飯を食べる経験を得たという。キャリア後半を過ごしたインディアナ・ペイサーズでは、ヘッドコーチだったバードの下でプレーし、1999−2000年シーズンにはファイナルへ進出している。

 2001年の現役引退後は、テレビ解説者やサクラメント・キングスの特別相談役、古巣ウォリアーズのGMを務め、2015年から母校セント・ジョーンズ大のヘッドコーチを4シーズン担い、2016年からはランTMCの"M"だったリッチモンドをアシスタントコーチとして招聘した。NBAのスターが大学のヘッドコーチとアシスタントコーチでタッグを組むなど、今も昔もそうあるものではない。

 ちなみに同校ヘッドコーチ時代のマリンは、スポーツ番組で「教え子たちはマリンがどれだけ伝説的なプレーヤーだったかを知っているか」という司会者からの問いに対し、「おそらくテレビゲームを通してか、あるいはグーグルで調べて知っているくらいだろうね」とお茶目な笑顔で応えている。どんな眩しい光を放ったスターも、時の流れには勝てないか。

 セント・ジョーンズ大のヘッドコーチ職を辞任したのは、兄を病気で亡くしてしまったことが理由と言われる。マリンは現在、北カリフォルニアへ戻ってウォリアーズの試合のテレビ解説者として活動している。近い将来、再びNBA球団の要職に就くのではないだろうか。

 初代ドリームチーム誕生から29年が経ち、当時のNBAのスター選手を知らない世代も増えてきた。だが、物事は年月が経って当時を知らない人が増えてくると、反対に歴史的な価値が深まるものだ。本当ならば今回紹介した3名だけではなく12人全員の「今」を書きたかったが長くなるので、触れていない残りのメンバーについてはさらりと言及しておく。

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 パトリック・ユーイングと両輪のセンターを務めたチーム最長身216cmのデビッド・ロビンソンは、1996年のアトランタ五輪にも出場して金メダルを獲得。その後、2度のNBA優勝を経験し、2003年の引退後は不動産や投資管理を手掛ける企業グループに関わっている。

 マジックとともにNBAで一時代を築いたバードは、先述のとおりペイサーズでヘッドコーチを務めた。1998年には最優秀コーチ賞も受賞。その後はペイサーズの球団社長を担い、現在は相談役となっている。2019年にはマジックとともにNBAからリーグ功労賞が授与された。

 ジョーダンの相棒としてスターとなったスコッティ・ピッペンは、シカゴ・ブルズで6度の優勝を果たしたあと、ヒューストン・ロケッツやポートランド・トレイルブレイザーズにも在籍したことは知られている。しかし1度引退したあと、2008年に42歳で現役復帰を果たし、フィンランドやスウェーデンで短期間ながらプレーした。近年はブルズでPR大使や相談役を担っていたが、昨年辞任している。

 ジョーダンと同じシューティングガードだったということもあり、しばしば比較の対象だったクライド・ドレクスラーは1998年に選手生活を終えたあと、母校ヒューストン大のヘッドコーチを2年間務め、その後はロケッツのテレビ解説を担いつつ、ヒューストンを中心にレストランや不動産経営に注力している。2018年には著名ラッパーのアイスキューブ氏らが創設して元NBA選手らも参戦するプロ3人制バスケットボールリーグ「ビッグ3」のコミッショナーに就任した。

 ユタ・ジャズでジョン・ストックトンと史上最高と断じていいほどのコンビネーションを見せて一世風靡したカール・マローンは、2005年に現役を引退。屈指のパワーフォワードとして史上2位の通算36,928得点を残した。2007年から2011年まで母校ルイジアナ工科大のアシスタントコーチを務め、2013年にはジャズの相談役を担った。現在は故郷ルイジアナ州で様々な事業に関わっている。

 ストックトンは脚光を浴びるのが好きではないという性格もあって、引退後はドリームチーム12名の中で最もひっそりとした生活を送っているかもしれない。主に従事しているのは、ユースバスケットボールチームのコーチと、ユタでいくつかの事業に絡んでいるほどのようだ。2015年には娘がプレーしていたモンタナ州立大でアシスタントコーチも務めていた。

 そして現在、一番メディア露出が多いのはチャールズ・バークレーだろう。歯に衣着せぬ発言で現役当時もテレビのコメンテーターとなった今も人気者の彼は、一時は出身地のアラバマ州知事への立候補も取り沙汰された。だが、実現はしていない。

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