NPBで才能開花→MLBで大ブレイク。日本で前評判を覆した助っ人たち

30

2021年01月27日 07:12  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真写真

 プロ野球における新外国人選手は、次のシーズンを左右する戦力だ。今年も多くの"助っ人"が来日する予定だが、そこで気になるのがメジャーリーグでの実績。中には、ちょっと寂しい成績の選手もいるが、前評判を覆して日本で才能を開花させるケースもある。

 そんな選手が日本のプロ野球からメジャーに復帰し、活躍することも多い。

 かつて阪神でプレーしたセシル・フィルダーがそのひとりだ。フィルダーは1982年にドラフト4巡目でカンザスシティ・ロイヤルズから指名を受けて契約。1985年にトロント・ブルージェイズでメジャー初昇格を果たすも、同じポジション(一塁、DH)にライバルが多く、満足に出場機会を得られなかった。




 だが、1989年に阪神に入団すると才能が開花。オープン戦序盤は三振の山を築くも、石井晶打撃コーチの打撃指導などが功を奏して日本の投手にアジャスト。在籍はわずか1年ながら、打率.302、38本塁打、81打点とセンセーショナルな活躍を見せ、「バースの再来」と称賛された。シーズン終盤にケガで離脱したため惜しくも本塁打王は逃したが、長打率は12球団トップとなる驚異の.628をマークした。

 その後、阪神との交渉が決裂してデトロイト・タイガースと契約してメジャーに復帰すると、いきなり51本塁打、132打点をマークし二冠王を獲得。翌年も44本塁打、133打点で2年連続の二冠王に輝いた。メジャー通算13年間で319本塁打という記録を残すなど、日本での経験を糧にメジャーで大成功を収めた最たる例と言えるかもしれない。

 元巨人のマイルズ・マイコラスも、日本での経験を経て成功した代表格だ。2009年、ドラフト7巡目でサンディエゴ・パドレスに入団。2012年にメジャーデビューを果たして2勝(1敗)を挙げるも、その後はトレードで移籍した先のテキサス・レンジャーズ時代を含め、泣かず飛ばずの成績だった。

 しかし、2014年オフに巨人への移籍が決まると風向きが変わった。2015年に来日1年目の外国人投手として史上初となる「シーズン10連勝」をマークするなど13勝(3敗)を挙げ、2017年には開幕投手を任される。ツーシームや縦に大きく割れるカーブを武器に安定した投球を継続し、巨人在籍3年間で通算31勝(13敗)、防御率2.18という成績を残した。

 日本での活躍が認められ、セントルイス・カージナルスと2年1550万ドル(約17.5億円)で契約合意。メジャー復帰1年目は開幕6連勝を含めた18勝(4敗)を挙げ、マックス・シャーザーやジョン・レスターらと並び最多勝に輝いた。そして2019年には、4年総額6800万ドル(約75億2000万円)で契約延長に合意。ケガの影響で2020年は登板なしに終わったものの、またマウンドで輝きを取り戻してほしい。

 2000年代後半に広島のエース格として君臨したコビー・ルイスも、日本での経験を糧にメジャーで躍動した。1999年のドラフト1巡目でレンジャーズから指名を受け、将来を嘱望されていたものの、2003年に10勝(9敗)をマークして以降は振るわず。メジャー通算5年で12勝(15敗)と伸び悩んでいた。

 2007年オフに広島に入団すると1年目から活躍する。5月に4勝(1敗)、防御率1.60で月間MVPに選出されると、以降も順調に白星を重ねてチームトップの15勝(8敗)、リーグ2位の防御率2.68をマーク。与四球27は規定投球回に到達した投手では両リーグ通じて最少で、抜群の制球力を誇った。もともと制球に難があるタイプだったが、日本の野球を経験して制球力に磨きがかかった。

 翌年も先発の柱として11勝(9敗)をマークすると、2010年には古巣のレンジャーズと契約。復帰1年目に12勝(13敗)、ポストシーズンではリーグ最多の3勝を挙げるなど見事な活躍を見せた。2015年には防御率4.66ながらリーグ5位となる17勝(9敗)を挙げるなど、復帰後6年間で4度の二桁勝利をマーク。2017年は登板なく、翌年1月に引退を発表した。

 メジャー昇格が一度もないまま来日し、ヤクルトのクローザーとして活躍後にメジャー初登板を果たしたのがトニー・バーネット。2006年、ドラフト10巡目でアリゾナ・ダイヤモンドバックスに入団。2008年に2Aで11勝(7敗)、2009年は3Aで14勝(8敗)をマークするなど順調にステップを踏んでいたが、メジャー昇格は叶わず、2010年にヤクルトと1年契約を交わした。

 来日1年目は先発として4勝(5敗)。シーズンを通じて一軍と二軍を行き来し、一度は自由契約選手として公示された。しかし、チーム事情もあり2011年1月に再契約を果たすと、同年はリリーバーとして安定した投球を披露。勝ちパターンの一翼を担い、22ホールドをマークした。2012年以降はクローザーとして活躍し、2度のセーブ王を獲得。2015年は開幕から23試合連続無失点を記録するなど41セーブを挙げ、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

 その2015年オフに、レンジャーズと2年契約を締結。2016年は念願のメジャー初登板を果たし、勝ちパターンのリリーバーとして活躍。53登板で防御率2.09、7勝(3敗)、15ホールドという成績を収め、チームの地区優勝に貢献した。メジャーにたどり着くまでに日本で6年間を過ごした珍しい例だ。

 日本でブレイクしたわけではないが、NPBでキャリアをスタートさせ、のちにメジャーのレジェンド選手になったアルフォンソ・ソリアーノは多くの野球ファンが知るところだろう。広島が所有するドミニカ共和国の野球スクール「カープアカデミー」出身で、1996年に来日すると、ウエスタンリーグで57試合に出場。翌年に一軍初昇格を果たしたが、わずか9試合の出場にとどまった。

 1998年9月、ソリアーノはニューヨーク・ヤンキースと契約を結ぶ。翌年には2Aで89試合に出場し、打率.305、15本塁打、24盗塁をマークするなどアピールに成功。同年9月にメジャーデビューを果たすと、初安打を初本塁打で飾った。

 2001年には158試合に出場し、打率.268、18本塁打、73打点、43盗塁とブレイク。2002には打率.300、39本塁打、102打点とさらに成績を伸ばし、41盗塁で盗塁王を獲得してトリプルスリーも達成した。メジャー通算16年で2095安打、412本塁打、1159打点、289盗塁という偉大な記録を残し、メジャー史に残る名選手となった。

 ソリアーノは特異なケースだが、日本でアピールに成功し、メジャーで活躍するケースは今後も増えていくはず。今年の新加入選手を含め、各球団の"助っ人"たちの奮闘に注目だ。

このニュースに関するつぶやき

  • 巴「…コルビー・ルイスじゃ。間違うなバカタレ」ユッキ「コバヤシィ!ステイボール!(モノマネ)」エッミ「ギャハハ!」
    • イイネ!0
    • コメント 0件
  • 最強の助っ人はバース、異論は認めない。(・∀・)
    • イイネ!9
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(16件)

ランキングスポーツ

前日のランキングへ

ニュース設定