「給料が少ない」と偽っていた夫、子どもが生まれてから超クレーマーな本性があらわに!

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2021年01月29日 19:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

『子どもを連れて、逃げました』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第1回 高橋芽衣子さん(仮名・51)の話(前編)

「私のところに息子がいたとしたら、彼(父親)は息子との縁を本当に切ったと思う。今、息子と会えないのはつらいし苦しいけど、彼と息子との縁が切れなかったのはよかったと思う」

 高橋芽衣子さんは言う。考古学者である彼女は3つ以上の大学で非常勤講師を務め、忙しい生活を送っている。その一方、体を動かすことにも積極的だ。

「(子どもを?)連れ去られた直後、メンタルをやられて、5キロ痩せちゃって。それで「離婚は体力だ」と悟ってジム通いを頑張ったり、その後マラソンを始めたり。また、仕事に打ち込んだりするようにもなりました。だってどうにもならないのに、どっぷりそのことばかり考えてたら、つらいもん」

 快活で精力的な芽衣子さんが、子どもと引き離されて8年。その子は今年20歳の成人式を迎えた。自分から子どもを連れて出なかったのは、彼女のやさしさ故のことだ。しかし、なぜ夫は母親から子どもを奪ったのか?

私の話をよく聞いてくれた

――まずは、元夫との出会いについてお聞かせください。

 某博物館で非常勤職員として働きながら、大学院に通っていたときだから、私が30歳になる前。職場には博物館の専門職員が6人と、役所から出向してきた事務職員が4人。元夫は後者で、年は私よりも3つ上。

――職場結婚だったんですね。彼はどういう人でしたか?

 私が長身だからっていうのもあるけど、私より背が低くて、ブルース・ウィリスみたいに生え際が微妙な人。チビでハゲだから見た目はイマイチ。でも、彼、親思いのいい人だったんです。というか、当時はそう信じ切っていました。

――なんでまた彼を選んだのですか?

 職場内で、人付き合いに問題のある同僚がいたんです。お互い、その人にいきなり激高されることがしばしばあったので、「ああいうのは嫌だよね」って話してるうちに、「ああいい人だな」って思うようになりました。当時、彼は私の話をよく聞いてくれたんです。

――その後、プロポーズでもされたんですか?

 付き合い始めて1年後ぐらいに、妊娠したんです。私、結婚願望がまったくなかった。だけど、子どもは欲しかった。だから結婚せずにひとりで育てるか、それとも結婚するべきか、生まれるほんの直前まで本当に迷いに迷って……。最終的には、生まれてくる子どものことを考えて、入籍を選びました。

――出産はどのように?

 彼は「立ち会うのは絶対嫌だ」と言っていたので、私も「分娩室に来て」とは言わなかった。だから彼は、分娩室ではなくて外で待っていました。でも、いいんです。私は相手に行動を強制する人間ではないので。

――その後、愛は深まっていったんですか?

 それがね、生まれるまでの同棲していた時期から、すでに「ちょっと違うかも」っていう側面が見え始めていたんです。話を、よく聞いてくれなくなっていったんです。そして結婚したら、もっとひどくなって、話が通じなくなってしまった。

――産前産後の彼の態度はどうでしたか? その時期の態度を引きずる女性は多い気がします。

 確かに、その時期、大いに違和感を覚えた出来事がありました。出産前に私がお金を出して8人乗りのミニバンを新車で買っていたんです。自分たち家族3人だけじゃなくて、双方の家族も乗せる目的で。納車が産後になったんですけど、最初に乗せたのが、私と赤ちゃんが退院して家に帰るときじゃなくて、彼の家族だったんです。

――芽衣子さんが乗る前に、勝手に彼が先に乗っていたということですか?

 退院前に、彼が自分の家族を乗せて、息子が生まれた2〜3日後ぐらいに病院に来たんです。それだけじゃないですよ。出産費用の支払いも、私の自腹だったんです。あれっていったん立て替えた後に、自治体から補填されるでしょ。とはいえ、彼が率先して払ってくれてもいいじゃないですか。そんな感じで、産前産後に、いくつか違和感を覚えたんです。

――どういう違和感ですか?

 出産後、1カ月は、私と息子はすぐ近くの私の実家にいました。なので、彼も家に来るというか、ご飯を食べに来る。

――彼は、率先して子育てをしましたか?

 職場の関係で当時、そんなに早くは帰ってこられなかったので、基本、育児はせず、私の母が作ったご飯を食べに寄り、息子の顔を見て帰るだけでした。だけど、たまに早く来られたときは私の実家だけど、息子をお風呂に入れたり、おむつを替えたりはしていました。

――1カ月後に、3人で住み始めてからはどうでしょう?

 当時、私は自宅にずっといて、大学院の論文を書きながら子育てをしていました。出産当時、別の博物館に転籍していたのですが、産後もそこに籍を残しながら。一方、彼は公務員で役所内で職場異動していました。残業がないときは、帰ってきてから息子をお風呂に入れていました。そして毎週末、彼は息子を見せるため、自分の実家に帰っていました。そこに私もついていきました。

――彼は、そこそこ貢献していたと。

 まあね。ご飯を作れないのはそのままで私任せでしたが、お風呂に入れるとか、オムツ替えとかは全然やってましたよ。

 それより家計が問題でした。私は博物館のポストは3年きりだったので、産後1年とかで収入のアテはなくなるんです。とはいっても、彼は頼れない。「給料が少ない」ということしか言わず、給与明細すら見せてもらえなかったんです。

 家賃(車庫込みで月15万円、3DK)と4万円のみしか入れてくれなかったので、月々、家計がすごく大変でした。離婚裁判で、実際は月に20万円以上、自分の好きなように使っていたとしか思えないようなお給料をもらっていたことがわかったときには愕然としました。

――彼と仲が悪くなっていったのは、経済的なことが一番の問題だということですか?

 というよりも、経済的なことについての話し合いができない――ということ。ほんと一切話し合いができなくて、1日こういうことがあったという報告もなくて、私も途中で諦めて子どもの話しかしなかった。あと、子どもが生まれてから、徐々に本性が現れてきたというか。人の話を聞かないとか、実は彼自身も切れやすかったとか……というのが少しずつあらわになっていきました。

――例えば?

 最近よく、あおり運転の報道があるじゃないですか。あれと同じ。車に乗っていて、実際そういうこともあったし。レストランで料理に髪の毛が入ってたりとかしたら、もう店員を罵倒ですよね。子どもが生まれるまでは、そういう本性はほとんど出さなかった。けど、次第に超クレーマーということがあらわになって。だから、店員に向かって「店長呼べ」って絡み始めたりするのを見て私はあきれるしかなかった。

――芽衣子さんへの暴力はありましたか? ギャンブルとか飲酒といったものはどうですか?

 彼にDVは無理。少林寺拳法やっていたらしいけど、私より小柄だし。だからカッとはするけど、シュンとしていましたね。ギャンブルにはまってた形跡もないし、お酒は体質的に飲めない。ただ彼は秋葉原が大好きで、電気部品とかをなぜか、2つずつ買うんですよ。服もそうだし、脚立とかわけのわからないテーブルもそう。あとね、買ったものを忘れるんですよ。それで何回も同じものを買ったりしていました。

――そのほか、嫌な点はあったんでしょうか?

 他者との関わりがないんです。結婚生活中、友達という人に会ったことがない。とにかく社交性がないんです。彼の実家に行っても、子どもを地元の公園に遊びに連れていったりすることは一切ない。学校の行事も、私に言われればようやく行くけど、自分からは行かなかった。

――彼の子育ての方針は、どのようなものでしたか?

 息子に対しては超甘やかします。欲しいというものはなんでも買い与えてたし、自分が保育園に送るぐらいだったら休ませちゃってた。あと気になったのは、夜更かしですね。仕事で自分が帰ってきたときに息子が起きてるっていうのがうれしかったみたいで、息子は毎日夜更かし。それがずっと続きました。それで私が注意したら、「自分が大丈夫なんだから、子どもも大丈夫だろ」って。そうやって夫が夜更かしさせるから、朝、息子が起きられなくて。

――元夫に対して、向こうの両親はどういうふうに接していたんですか?

 母親も彼も、お互いの名前を“ちゃん付け”で呼んでいましたね。彼は「お母さん」と呼ばない。母親は息子に家事とかを全然させない。そうやって、彼自身が甘やかされて育ったので、料理にしろ、ほかの家事にしろ、ほとんどしなかった。夜更かしの原因もそう。「寝る時間は人それぞれだから」って言って、義母は夜更かしを容認していました。それを聞いて諦めました。

――とすると、家事・育児は、すべて芽衣子さんが?

 洗濯だけは、彼もやってましたね。でも洗濯機に、洗剤を適量の倍も入れるんですよ。お金入れないくせに、浪費だけはするんです。

――芽衣子さんの話しか聞いていないので、余計にそう思うのかもしれませんが、彼のいいところが全然見えてきません。

 私のほうは全部オープンだったんだけど、彼のほうは閉じてる。家を建てたとき、そのことを痛感しました。家のガラスを、ほぼ全部すりガラスにしたんです。普通のガラスは3階の部分のみ。外が見えないから、すごく息が詰まりました。でも、彼の実家もそうなんです。なぜそうなったかというと、自分たちの「信仰」を、よそから見られたくなくて、隠していたからかもしれません。

――とすれば、連れ去られたことの直接の原因というのは、その「信仰」に関係しているんですか。

 いや、それよりもまず彼と話し合えない状況がずっと続いていたということが問題の背景にあったんです。あとなんといっても、引き金になったのは東日本大震災。あのとき「こいつは人として本当に終わってる!」と思ったんです。

(後編につづく)

(西牟田靖)

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