世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。
第一次オイルショックにより、令和の今も有事の際に起こるトイレットペーパー買い占め騒動が頻発し、ツチノコブームに沸いた昭和48年。秋の昼下がり、新幹線の岡山駅に一人の小柄な和服姿の老婆が降り立った。
白髪をまとめ、コウモリ傘を片手に柔らかな眼差しを周囲に向ける。ぴったりと寄り添う中年男性は、この老婆の背中に優しく手を添えて歩く。事情を知らないものが2人を見れば、親孝行の息子が年老いた母親をいたわっているように見えたかもしれない。
ところが彼女は、近づいて何か問いかけた男に、一喝した。
「歩きながらモノを尋ねるとは失礼じゃ! ちゃんと記者会見せい!!」
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中年男性は刑事であった。この元気な老婆は桐山トミヨ(仮名)、83歳。静岡から岡山へ護送中の一幕であった。
【岡山 高齢女性詐欺師】
「おばあちゃん、前にも悪いことしたことがある?」
「……」
「こんどが初めて?」
「うん」
「大正時代にも、警察にやっかいになったのとちがう?」
「どうして知ってるの?」
「そら、やっぱり」
「これから言うつもりだったんだ、聞きたくないの?」
「むむっ……」
取調官が言葉に詰まると、トミヨはニヤリと笑って言う。
「すまんがお茶をください」
仕方なくお茶を出すと、
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「お茶菓子は羊羹がいい」
万事そんな調子で、取り調べが一向にはかどらない。課長も記者らにこぼした。
「“年寄りには親切に”という気持ちを逆手に取ったやり方で、まったく腹が立ちます」
被害総額は600万円。3年間で実に40件もの詐欺を働いたトミヨが岡山西署で指名手配され、9月29日に静岡・浜松市で逮捕されたのは、同県に住むGさん夫婦の通報によるものだった。だまし取られた金額は2万6000円であったが、親切を裏切られたという精神的ショックは大きかったようだ。
Gさんが勤めていた浜松駅近くの旅行代理店にトミヨが立ち寄ったのが、二人の出会いである。日傘と風呂敷包みを持ったトミヨは、「滝本キヨ」と偽名を使い「神戸から東京へ行くところだが旅館を世話してほしい」と頼んだ。対応したGさんが3,500円のクーポン券を渡すと、トミヨはおもむろに懐から折り目のない五千円札を差し出し、言った。
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「あんたは親切な人や。近いうちにお礼に行くから住所を教えてくれんかの」
のち、本当にGさんのもとを訪れたトミヨは、出迎えてくれたGさんの妻、ウメさんに身の上話を始めた。
「自分は東京の足立区に住む宝石鑑定士だが、周りの者と折り合いが悪い」
……このように語るトミヨに同情したウメさんは、その晩、トミヨを自宅に泊めた。そのうえ「銀座のど真ん中にタバコ屋を持っていたが、500万円で売った」など語りながら「米原の知り合いのところへ行くのに、いま持ち合わせがない」と言い、数回にわけて金をだまし取ったのである。
もちろん、Gさん夫妻はこのとき自分たちがだまされたなどとは思ってもいなかったが、9月24日付の静岡新聞で、トミヨが詐欺罪で指名手配されていることを知る。愕然としていたこの夫妻のもとに26日、なぜかトミヨが舞い戻ってきた。ウメさんは慌てて110番通報。そしてトミヨは逮捕されたのだった。
この老女は詐欺に手を染めるようになる前、真面目に働き、恋人もいた。
明治23年、長野県で酒造業を営む家の長女として生まれたトミヨは、高等女学校を出て上京。文京区の美術学校に進学した。在学中に美形の東大生と恋に落ちたものの、教師の資格試験に合格したことから、郷里に戻り、小学校で教鞭を振るった。
当時は、その給料の大半を、恋人に送金していた。ところが恋人は東大を卒業すると仕事の都合で樺太暮らしになってしまう。居ても立っても居られないトミヨは彼を追い樺太へ。ようやく彼の住む家を探し当てたが、すでに妻帯者となっていたことがわかる。
極寒の地でひとり恋に破れ、自暴自棄になったトミヨは、教師を辞め、そののち窃盗と横領で逮捕される。以後数十年間、次々に罪を重ねていった。そして逮捕の3年前、岡山にたどり着く。
トミヨがとった手段は「自分には金がある」と見せることだった。老い先が短いと思わせるため、年齢も偽った。
結城紬の対の着物に、つづれの帯。杖をコトコトと鳴らして運ぶ足には真新しい白足袋が光る。隙のない贅沢な身なりで、商店街を歩き回り、たどり着いたのは川沿いの「素泊まり500円」の旅館。この宿帳に〈滝本キヨ 94歳〉と達筆をふるう。本当の年齢よりも10歳上にサバを読んでいる。
「ひえ〜っ、ご隠居さん、94歳ですかぁ……」
旅館の女将は仰天した。この年齢で一人旅とは、事情があるのか?
「あのう、宿泊料は前金になっておりますが……」
「あ、そう。いくら?」
取り出した財布を見て、また仰天。100万円近い現金がぎゅうぎゅうに詰まっていたのだ。トミヨは驚く女将に財布を示し、スラスラとこんなことを言う。
「これは小遣い。はした金よ。わたくし、身寄りも頼りもないけれど、財産だけは嫌になるほどあってねえ……」
そしてさらに続ける。
「わたくしはね、島崎藤村の弟子だったの。そう、昔の文学青年なら、わたくしの名前知ってますよ。女流作家だもの。いま、94年の人生を回想して自叙伝を書いてるけど、この岡山の旅館のことも書いてみたいねぇ……」
荒唐無稽なホラ話だが、札束で膨らんだ財布を見せられながらだと、真実味が増すのか、女将はすっかりトミヨを信じてしまった。
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