宮内庁職員は「両陛下への態度が馴れ馴れしすぎる」と女官激怒! 大騒動を呼んだ宮中「魔女狩り」ミステリー

0

2021年02月20日 20:02  サイゾーウーマン

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

サイゾーウーマン

皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回まではこちら

宮中の「魔女狩り」ミステリー

――前回までは、新興宗教にかぶれ、スピリチュアル的なトランス状態に陥った元・女官長の島津ハルが昭和天皇の「短命」などを予言、それに宮中が激震したという「島津ハル事件」についてお話しを聞いてきました。

堀江宏樹 今回からは、昭和中期の宮中を”魔女”と呼ばれた女官が騒がせていた件について、お話ししたいと思います。最終的には”魔女狩り”されちゃうんですけどね。

――魔女狩りとは穏やかじゃないですね。その魔女と呼ばれていたのは、いったいどういう方だったのでしょうか?

堀江 魔女と呼ばれたのは、大正時代から皇室にお仕えしていた、旧華族、公家出身の女官・今城誼子(いまき・よしこ)さんという方です。

 この方、僕はとても立派な方だと思います。世間で「魔女」というと、グラマラスでセクシーな女性のイメージ。もしくは、妖術で人心をたぶらかす妖婆のようなイメージを勝手に抱いてしまいますけれど、今城さんはまったくそれとは別。彼女について書いている、皇室ジャーナリスト第1号の河原敏明氏の書籍で拝見する彼女の面影は、まるでベテランの女教師みたいな感じなのですよ。小学校の頃、こういう厳しい独身の女性の先生いたなぁ〜という。

――たしかに今城さん、お写真で拝見するかぎり、カッチリとした洋服の着こなしですね。長めのスカート、分厚いタイツにパンプス、そして白髪交じりのショートカット。到底、魔女には見えないのですが?

堀江 魔女どころか、厳格な方なのだろうなぁということは想像できますね。そんな今城さんを魔女呼ばわりしたのは、昭和天皇の侍従長として有名だった入江相政(いりえ・すけまさ)氏。彼の日記は『入江相政日記』(朝日新聞社、全6巻)として刊行され、ご子息の入江為年氏の監修のもとに、ほぼ全文が公開されていると思われます。

 それらのうち、昭和45年〜47年頃の日記に魔女、魔女、と憎々しく今城さんのことが書かれているのですね。普通に女官として勤務しているときには「今城」と書かれているのですが、入江氏の気に入らないことを主張してきたときには「魔女」と呼ばれていることが、注目点として挙げられます(笑)。それで、魔女=今城とハッキリわかる部分は、編者が伏せ字にしてあるという。

――悪口としての魔女かぁ(笑)。島津ハルさんのような皇室に関する“予言”はしないのですか?

堀江 「○○しなければ不幸になる」という、スピリチュアル風な警告はあったと思います。

 宮中祭祀……つまり、皇室に伝わる宗教的な儀礼をもっと熱心にしないと、日本と皇室の行末は暗い……というようなことをどうやら、今城さんは当時の皇后さま(のちの香淳皇后)に吹き込んでいたらしい、と入江氏の日記からは読み取れるのです。

 入江氏は人の好き嫌いが強かったといいます。ただ、基本的にはジョークはわかるし、度量も広い方だと思いますよ。宮妃候補の女性を華族の男が寝取るというあらすじの、三島由紀夫『春の雪』を読んで、「なかなかおもしろい」なんて日記に書いていますしね(笑)。しかし、そんな彼の目のカタキになってしまったのが今城さんでした。

――当時の週刊誌を大宅壮一文庫で調べたのですが、まだ皇室報道のタブーがあったからか、同時代の民間には「魔女狩り」について、一切漏れていなかったようですね。

堀江 それを聞いて、意外に思いました。現在の宮内庁で、誰が侍従長をなさっているいうことはあまり知られてはいないのではないか、と思いますが、入江氏は当時、「宮内庁の顔」でしたし、世間一般においても有名人でした。そして相当にマスコミ対応に馴れていましたからね。皇室の情報をみごとに統制していたことがわかります。公家出身の入江氏は生粋の宮廷政治家ですね。宮中内の人脈を使って、極秘裏に、見事に魔女狩りを成功させたのですから……。

――当時の週刊誌などに入江氏は、昭和天皇のご日常などについて記したコラムを多数寄稿していますよね。うつみ宮土理さんのトーク記事にも出ていたりする(笑)。明るく楽しいキャラに見せていて、ウラでは気に食わない女官を追い出すとは、なかなか怖い人ですね。

堀江 入江氏が一番好きなのは御自分。そして僅差の第2位が昭和天皇だという印象を得ました。昭和天皇に陰日向なく尽くしている御自分が一番大好き!! というような方ではあります。これについてはまた機会を改めて……。

 でも、そういう入江氏の貢献なしに、「人間天皇」とか「開かれた皇室」といった戦後、とつぜん言われ始めた概念……これは一種のスローガンでもあるのですが、その実現はできなかったと思うんですよ。シャイな方で、おしゃべりが達者というわけではなかった昭和天皇の代理人として、天皇の素顔を入江氏はコラムにして、世間にアピールしまくりました。

――そういう入江氏の態度、私には多少の違和感がありました。

堀江 今城さんも、入江侍従長のそういう姿勢に疑問をもつ方だったと思われます。

 今城さんは若い頃から、伝統重視で知られる貞明皇太后のところで働いていたのですが、ここは戦後になっても、京都に天皇がいた時代の御所言葉が守られていた。貞明皇太后のところに用事に行った、昭和天皇の女官が感化されて、「ごきげんよう」ではじまる挨拶さえ長々しく続くような御所言葉で話していると、昭和天皇が「そんな世間で使われていない言葉で話すものじゃない!」とイラつきをあらわにした事件もあったそうです。

――昭和天皇のほうが御所言葉を拒否されたのですか。NHK連ドラの「花子とアン」でも「ごきげんよう〜」で挨拶を始めるのには、相手の幸せを祈るという言霊的な意味があると言っていたような……。

堀江 御所言葉の元々の目的もそれですね。ただ、「○○さんは、今日もごきげんよろしゅう、あらしゃって……」とか本当に長いんですよ、ご挨拶だけでも(笑)。それに昭和天皇は科学者でもいらっしゃるので、ご疑問をお感じだった、と。ただ、晩年の昭和天皇の周囲でも御所言葉の名残は生き残っており、健康検査で天皇の採尿というとき、「おじゃじゃ」を取るとかいうのです。

――おじゃじゃ(笑)?

堀江 まぁ、それはまた後の機会に。皇太后が崩御なさった1951年(昭和26年)以降、今城さんは宮中に転任し、天皇・皇后両陛下のもとで働くことになりました。かなり空気が違ったようで、「両陛下への態度が馴れ馴れしすぎる!」と宮内庁職員に怒っていたという記録もありますね。これは今城さんの養女の美佐恵さんという方の証言ですが。

 一方で、天皇皇后両陛下も戦前にくらべると、非常に民間との触れ合いが盛んになっていた。しかし、天皇がもっとも重視すべきは、ご公務と称して、日本全国に顔を見せてまわることではなく、「宮中祭祀では?」という考えは、当時の保守的な知識人の中にはありました。

――なんだろう、アイドルファンの不満と近いですね。テレビ出演とコンサート、どっちがアイドルの本分なの? と意見が分かれるところのようです(笑)。

堀江 三島由紀夫なんかはね、天皇の仕事は、「お祭り、お祭り、お祭り(※祭祀の意)」であって、いわば神聖天皇から、人間天皇となってしまった、戦後の昭和天皇には批判的でした。アイドルでいえば、テレビ出演で不特定多数にコビを売るようなことはやめてくださいと(笑)。
そんな天皇なら宮中で殺して、自分も自害したいなどと三島は言っていたそうです(笑)。敬愛をこじらせてしまったのでしょう。

――一緒に死んでしまいたい、なんて(苦笑)。

堀江 今城さんが入江氏から魔女と蔑まれるのは、入江氏にとって宮中祭祀はいくら大事でも、天皇の命と引き替えにすべきような問題ではないと考えていたからでしょう。

 昭和天皇の健康維持を重視する入江侍従長には、「健康を犠牲にしてでも、天皇には祈ってほしい、それが天皇の第一のつとめであるから……」という今城さんは魔女に見えた。また、心身の健康を崩されがちだった皇后陛下を、まるで洗脳=マインドコントロールして迫ってくる今城さんは、入江氏にはいっそう苦々しく思えた。だから彼女を魔女呼ばわりしてしまったのでしょう。

――皇室らしいスピリチュアルな問題に絡んでいるのが、魔女事件の本質なのですね。その後、侍従長がどのように魔女狩りを行ったのか……? 次回に続きます!

    前日のランキングへ

    ニュース設定