稀代のグルマン・小泉武夫が味わった!「完成されたジンギスカン」とは?

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2021年02月26日 17:00  AERA dot.

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写真小泉武夫氏
小泉武夫氏
 発酵の摩訶不思議な世界に人生を捧げ、希代のグルマンとして世界中を旅してきた小泉武夫さん。定年後のステージに選んだのは、北海道石狩市だった。連載4回目は、読んでいるだけで胃袋を刺激するジンギスカンの名店が登場。常連になった小泉さん、久々に訪ねてみると……


*  *  *
 私は、親船研究室から時々、石狩河口橋を車で渡って二キロ程先のところにある「清水ジンギスカン」という店に昼飯を食べに行くことがある。この店は、羊肉を焼いて食べさせるジンギスカン料理専門店であるが、札幌のすすきのや旭川のさんろく街あたりでよく見かける立派な店とはほど遠く、この店を目標に行った者でも、気付かずに通り過ぎてしまうほど目立たない店である。

 私が最初にこの店に興味を持ったのは周りの人たちが「ジンギスカンの王道とはあの店のことだべ」とか「完成されたジンギスカンていうのは、清水で味わうことでないかい」などという絶賛の声をしばしば耳にしたことだった。親船研究室から車で行けばたったの一〇分程しかかからぬところに、そのような名店があるのならばと、ある日の昼飯時に涎を流しながら行ったのであった。

 ガラス戸を開けて入ると直ぐ右側に冷蔵ショーケースがあって「ジンギスカン売り場」となっている。肉は冷凍ではなく、赤々とした光沢のある肉が美味しそうに入れられていた。何と一キログラム一六〇〇円也とある。足元を見ると、もう多くの客が無造作に脱いでいった革靴や運動ズック、路上スリッパ、サンダルなどが所狭しと散乱している。その履物脱ぎ場から一歩上に上ると、その先はかなり年季の経った畳が敷いてある部屋で、客がそこに座って食事をする卓袱台が何卓も配置してあった。

 私は卓袱台を前にして煎餅座布団に胡坐をかき、壁に貼ってあるメニューの短冊を見るとジンギスカンしかなく、それもライスだけ大、中、小と区別され、あとはビールやジュースといった飲みものだけである。ジンギスカン一人前とライス小を注文したのは正解で、ライス大は丼に盛って三杯分、中は丼二杯分、小は丼一杯分だということが後にわかったためである。

 しばらくして、中皿に盛られた羊肉と丼飯が運ばれてきた。ジンギスカンは、この店特製のあっさりとしたつけダレに肉を漬け込んだもので、それを焼いて食べるのである。卓袱台の上のガスコンロにはピカピカに磨かれた帽子型ジンギスカン鍋が配置されていて、鉄製のその鍋には、ジンギスカン焼特有に、幾筋も溝が掘られている。

 タレに漬け込まれていた羊肉について聞いてみると、柔らかで臭みの少ないラムではなく、マトンだということであった。ラムに比べて匂いが強く、幾分筋が多く硬めだけれども、味は濃厚で私はラムもマトンも大好きである。肉の周りには多めにモヤシと玉ネギも添えられている。

 鍋に火を付け、その上に大きめの羊脂の塊をのせ、それが溶け出してきて煙が上ってきたところで鍋の周りにモヤシと玉ネギを置き、いよいよ羊肉を焼いた。肉は新鮮で力のあるマトンのためか、熱せられた鍋の上でチリリと反り返るように丸まり、ジュージューと鳴き出した。すると、私の周りには、タレに染まったマトン特有の焼き香が煙と共に漂い、その香ばしい匂いが胃袋を締めつけるように迫ってくる。

 その熱々の肉を受け皿に一旦取り、それをいきなり口の中に頬張った。熱いのでハフハフしながら噛むと、その肉はとても柔らかく歯で潰された肉の中から濃いうま味と脂肪からのペナペナとしたコクとがジュルジュルと流れ出してきて、それを特製タレの甘じょっぱい味が囃したて実に美味であった。そして噛んでいる間中、鼻孔からは焼かれて一部焦げた香ばしい肉の匂いとタレからのニンニクの快香などが抜け出てきて、絶妙であった。こうして次々に肉を頬張り、飯を食べ、気が付くと目の前の肉と丼飯はあっという間に胃袋に素っ飛んで入っていってしまった。

 私はそれ以後、月に一、二度は「清水ジンギスカン」に行って食事をした。そして、いつの間にかこの店でのジンギスカンの味が、私の大脳味覚野にすっかり固定されてしまい、どうしても食べたくなる思いに駆られるようになった。私はそこで、一体なぜこの店のジンギスカンの魅力に惹かれるのだろうかと店に行くたびに自問したのであったが、ある時それに幾つかの答があることに気付いた。

 そのひとつはタレと肉の絶妙なバランスで、これはただ肉を漬け込んでおいたのではなく、おそらく手で揉みながら丹念に漬け込んだものであろうと思った。だからこそマトンなのに焼いても柔らかく食べられることに繋がっているのであろう。第二は、いくら食べても満腹感がなく、逆に言えばいくらでも食べられる不思議なジンギスカンであるのは、おそらく脂肪のためなのだろうと思った。とにかく腹にもたれが無く、恐らく毎日食べても飽きがこないと思われるのは、肉の脂肪酸組成の違いで、牛肉や豚肉には飽和脂肪酸が多いのに比べ、この店の羊肉は植物油の主成分である不飽和脂肪酸が多いからではなかろうか、と思ったのである。

 そして何と言ってもまた来たくなる理由のひとつが値段が安いということで、私が通っていたころはジンギスカン一人前が五五〇円、小ライス一一〇円であったのだ。

 そんなことである夏の日の昼飯に何日かぶりで涎を流しながら「清水ジンギスカン」へ行ったら、一大事が起っていた。店の戸口に暖簾が掛かっていないばかりか、玄関のガラス戸も完全に閉めきられ、屋根の軒下に「清水ジンギスカン」と書いて貼り付けてあった看板も外されていた。私は誰も居ないその淋しい店の前で、ただ唖然呆然として立ち尽くすしかなかった。

 しばらくしてガラス戸の中央に一枚の貼り紙がしてあるのに気付き、近寄ってみるとそこには「当店は平成二五年七月五日(金)をもちまして閉店いたしました。長年のご愛顧誠にありがとうございました。清水ジンギスカン」と書いてあった。

 私は「清水ジンギスカン」に通うようになったある日のこと、店を切り盛りする女主人に聞いたことがあった。

私「この店はいつ開店したんですか?」
女主人「昭和三十五年です」
私「お店はいつもお客さんが多いですが、直ぐにてきぱきと対応してくれますね。一体何人で店を動かしているのですか?」
女主人「二人です」
私「えっ? たったの二人?」
女主人「ええ、私と娘だけです」

 淋しくなった店の前の貼り紙を見ながら、私はかつてそんな会話をしたこともぼんやり思い出した。もしかしたら娘さんが嫁いだのかなあ、いやひょっとしたら女主人の体調が勝れないのかも知れない。しかし何であれ五十三年間、よくがんばってきたなあ。そんなことを思いながら、残念だがきっぱりと「清水ジンギスカン」での昼飯は諦めようと気持ちを整理し、オールドリバーに向った。

こいずみ・たけお 1943年、福島県生まれ。東京農大名誉教授で、専攻は醸造学、発酵学。世界各地の辺境を訪れ、“味覚人飛行物体”の異名をとる文筆家。美味、珍味、不味への飽くなき探究心をいかし、『くさいはうまい』など著書多数。

※週刊朝日  2021年2月26日号

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