ロッシ、ヤマハ・ファクトリーで戦った15年を振り返る「チームと共に過ごした歴史はまるで映画のよう」

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2021年02月26日 18:01  AUTOSPORT web

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リン・ジャービス、バレンティーノ・ロッシ(モンスターエナジー・ヤマハMotoGP)
ヤマハ・ファクトリー・レーシングMotoGPチームは、MotoGPの“生ける伝説”であるバレンティーノ・ロッシとともに歩んだ15年間の成功の旅を、大きな誇りを持って振り返った。

 2020年シーズンのMotoGP終了後、ヤマハは、バレンティーノ・ロッシの15年間にわたる傑出したハードワーク、献身、情熱に感謝を伝えている。ロッシは自身のレースキャリアにおいて、長期間にわたって(2004年〜2010年、2013年〜2020年)ヤマハ・ファミリーの主要メンバーとして活躍している。チームはこの機会に、2021年シーズンもペトロナス・ヤマハSRTで活躍するMotoGPの生ける伝説と移籍するクルーメンバーに対し、心からの感謝の意を表し、彼らが生み出した目覚ましい功績を讃えている。

 ロッシは2004年にヤマハに加入し、7年間在籍した。そしてドゥカティへ移籍し2年間を過ごしたが、2013年に再びヤマハに復帰。彼の目標、エネルギー、パフォーマンスをチームは再確認することになった。ファクトリー・ヤマハMotoGPチームでの第2期は8年続き、第1期よりも1年長かったことは、ヤマハがどれだけロッシにとって居心地が良かったかを示している。

 ロッシのファクトリー・ヤマハ・チームにおける功績は膨大だ。彼は4回MotoGP世界選手権タイトルを獲得し、56勝を挙げ、142回表彰台に登壇、それを255回のグランプリレースで達成したのだ。

 ファクトリー・ヤマハ・チームは、ロッシの他にも高い評価を受け、広く認められている同僚たちに別れの言葉をかけた。ブレント・スティーブンス(1999年からメカニック)、アレックス・ブリッグス(2004年からメカニック)、マッテオ・フラミーニ(2000年からデータエンジニア)、ダビド・ムニョス(2020年からクルーチーフ)、イダリオ・ガビラ(2019年からライダー・パフォーマンスアナリスト)らは、全員が“ザ・ドクター”であるロッシのクルーたちだ。

 アレックスとブレントはヤマハを去ることになるが、ダビド、マッテオ、イダリオは2021年もペトロナス・ヤマハSRTの一員としてロッシとの仕事を続ける。

 また、ハビエル・ウリャテ(2003年からメカニック)もチームを離れる。彼は18年間をファクトリー・ヤマハのクルーの一員として過ごした。カルロス・チェカ、マルコ・メランドリ、コーリン・エドワーズ、ホルヘ・ロレンソ、マーベリック・ビニャーレスといったビッグネームたちと仕事をし、彼らが多くの勝利と表彰台を獲得するのに手を貸した。それにはホルヘの3度のタイトル獲得も含まれる。

 ヤマハ・ファクトリー・レーシングMotoGPチームは、この機会をそのまま放っておくことはできなかった。最終戦ポルトガルGPの週末、スタッフ全員がモンスターエナジー・ヤマハのガレージに集まり(ポルトガルにいなかったスタッフと、チームの友人たちはオンラインで参加した)、離脱するメンバーたちに対して心からの感謝を伝え、別れの贈り物を手渡したのだ。

■リン・ジャービス「これは完全な別れのシナリオではなく、移行の瞬間」
■リン・ジャービス(ヤマハ・ファクトリー・レーシング マネージングディレクター)
「これは感動的な瞬間だ。別れを告げるのはいつでも悲しいものだ。特にチームにとって不可欠であった人々に対してはね。だが人生で継続的なものはなく、変わらないことは何もない。そしてそれこそがMotoGPというものだ。パドックの状況は常に進化している。人々はチームに加入し、何人かは離れ、何人かはふたたび戻ってくる」

「2020年にロッシはヤマハ・ファクトリー・レーシング・MotoGPチームで15シーズン目を迎えた。この年月の思い出はとても鮮明だ。ジェットコースターのように、上昇した時も下降した時もあった。だがヤマハにおける彼の実績は本当に印象的だ。MotoGP世界タイトルが4回、グランプレースへの出走が255回、優勝が56回、表彰台が142回だ。彼がヤマハで達成したことは驚異的だよ」

「彼がファクトリー・ヤマハMotoGPチームを離れるからといって彼のキャリアが終わるわけではない。これは完全な別れのシナリオではなく、移行の瞬間だ。これは重要なことだ。なぜならロッシは本当に長い間、我々チームの一員だったからだ。だが2021年彼は隣のガレージにいる」

「彼のファクトリーライダーの地位は継続され、ヤマハの完全なサポートのもと、ファクトリーマシンであるYZR-M1に乗るのだ。彼はまた、クルーチーフのダビド、データエンジニアのマッテオ、ライダーパフォーマンスアナリストのイダリオをともに連れて行く。つまり彼はペトロナス・ヤマハSRTのガレージでも慣れ親しんだ面々に囲まれることになる」

「ブレント、アレックス、ハビエルはヤマハとの長期に及ぶ協業を終了させる。彼らの専門知識、プロフェッショナリズム、仕事への情熱は、我々のチームを長年にわたり前進させた。彼らに別れを言うのは非常に悲しいことだ。彼らの将来の成功を祈っているし、連絡を取り合っていきたい」

■バレンティーノ・ロッシ「2013年に戻るチャンスを与えてくれたチームに感謝」
■バレンティーノ・ロッシ
「これは重要な瞬間だ。なぜなら僕たちがともに歩んだ長い旅の終わりだからだ。僕とヤマハ・ファクトリー・レーシングMotoGPチームとの歴史はふたつの時期に分かれている。まるで優れた映画のようだと思うよ」

「最初のパートは、2004年の初めから2010年だ。その時期は僕のキャリアの中でも最高だったと思う。僕たちはヤマハの歴史を刻んだんだ。僕たちはヤマハのために、20数年ぶりとなるチャンピオンシップタイトルを勝ち取った。この出来事は忘れることはない。僕のキャリアにとっても重要な瞬間でもあるからね」

「でも僕は第2期のこともとても誇りに思っているよ。リンとヤマハのみんなにまた“ありがとう”と言いたい。彼らは、僕が他のファクトリーで不振の2年を過ごした後で、ファクトリーチームに戻るチャンスを与えてくれた。僕がすでにMotoGPの標準より年をとっていたのにね」

「僕は必死だった。リンが僕に、ここに戻るチャンスがあるだろうと言ってくれた時のことは決して忘れない。あの瞬間に対して、ずっと感謝の気持ちを持ち続けるだろう。なぜなら当時、僕はここに戻ることができなかったら、引退していたかもしれなかったからだ」

「僕がファクトリー・ヤマハ・チームに戻ってから8年が経ったから、前回より1年長いことになる。第2期は結果の点では少々難しいものだった。でもある時点ではタイトル獲得に近づくことができた。そのことは僕たちの展開を変えたかもしれない。だが物事は起こるべくして起こる。僕は今もリン、マイオ(・メレガッリ)、そして日本のエンジニア全員からのサポートに感謝しているよ。そして特に僕は自分のクルーたちに“ありがとう”と言いたい」

「僕たちは長いこと一緒にいる。バーニー、アレックス、ブレント、マッテオ、ダビド、イダリオ、その他にもいる。また、チームの他の人たちやホスピタリティのスタッフにもお礼を言いたい。そしてもちろん僕の仲間のマーベリックにもね。ガレージのあちら側では良い雰囲気でいられた。彼らにもありがとうと言いたい」

「2021年も僕は完全なチームのサポートのもとでファクトリーバイクに乗る。ただカラーリングが違うだけだ。僕がヤマハ・ファクトリー・レーシングのガレージに座っていないことは本当だけれど、僕はすぐ隣にいる。マッテオ、イダリオ、ダビドと一緒にね。だから、これからもハローと挨拶できることは確かだよ」

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