朝ドラ『おちょやん』、ヒロイン実父・テルヲをめぐり炎上連発! トータス松本の“毒父”ぶりは「絶対悪」か「庶民の普通」か?

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2021年02月27日 20:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

現在放送中のNHK連続テレビ小説『おちょやん』がなにやら騒がしい。ヒロインの実父を演じるトータス松本がなにかとネット上で叩かれているのだ。朝ドラ史上“最悪の父親”となりつつある、その父親像について、『あたらしい「源氏物語」の教科書』(イースト・プレス)などの著作を持つ歴史エッセイストの堀江宏樹氏が歴史背景からひもとく!

 NHK連続テレビ小説『おちょやん』。ヒロイン・竹井千代(杉咲花さん)の「毒父」テルヲ(トータス松本さん)の大炎上が止まらないのには驚かされるばかりです。トータスさんのご両親が週刊誌の取材に「息子が出てくるのを見るたびにがっかりする」とコメントしたのも「わかる〜」というしかないキャラで、もはやトータスさんがお気の毒な気さえしてきます。

 このコラムを執筆中の2月末時点で、最後のテルヲ登場シーンは1月末の第8週「あんたにうちの何がわかんねん!」。借金取りに追われると、娘・千代のタンスをあさって貯金通帳を探したり、その娘から床に放り投げられた小銭を這いつくばって拾い集め、「ほなサイナラ」と出ていくテルヲの姿にドンビキしたのは、筆者も同じです!

 NHKの『おちょやん』公式サイトで連載中の「テルヲのいいわけ」は、トータスさん自ら「一般人には理解し難い!? テルヲの発言と行動を解説」するコーナーなのですが、その「言い訳」が、すでに1カ月近く掲載できていない状態です。

 そして第11週「親は子の幸せを願うもんやろ?」には、「うちのお父ちゃん、ああいう人(=ダメ人間)やろ」という千代のセリフがありました。普通なら回想シーンが挿入される場面でしょうに、それすら出てこない「テルヲ・ドラマ出禁」状態。これはさすがに笑えました。

 また、第12週「たった一人の弟なんや」では、一度も登場していないのに、テルヲは炎上しています。千代が弟・ヨシヲ(倉悠貴さん)と再会できたにもかかわらず、そのヨシヲが度外れの外道になっていたことから、これも「テルヲのせいや!」とネットは炎上しまくりです。テルヲの燃料としてのポテンシャルは桁外れだな、と感心すらしてしまいますよね。

テルヲの「毒」がしんどい

 筆者個人の感想ですが、『おちょやん』には“喜劇”が本当に面白かった時代特有の笑い、涙、そして「毒」なんかもあふれていて、そこが良いとは思うのです。でも「毒」の部分が、クリーンなドラマばかり見慣れたわれわれにはキツいというか、キワを攻めすぎてるというか、要するに見ていて「しんどい」のですよ。

 放送開始直後は、“毒父・テルヲ大活躍”ゆえに、「あ、もう見られないかも」とさえ思っていた筆者でした。それでもなんとか見続けられたのは、作品自体に何か、魅力があったのでしょう。同じような方は多かったらしく、世間評価で見ても、思ったより視聴率は下がらずじまいでした。

 しかし、かなり良い内容になって来ている昨今でも、視聴率が17%前後をウロウロするだけで、NHKの看板番組「朝ドラ」としては低調気味なのも全て、そういう「毒」ゆえではないかと思うのです。その最大の原因が、やはり千代の毒父・テルヲの存在なんだろうなぁ、と感じずにはいられません。

 ただ、テルヲの描かれ方、あれでもNHKなりの配慮がなされてるみたいなのですよ……ということで、今回はトータスさんもまともに援護・言い訳できてないテルヲの「ホントの言い訳」を探ってみようかなぁと思うのです。

 千代のモデルである、浪花千栄子さんの悲惨な自伝『水のように』(朝日新聞出版社)でも、父親はどこに出しても恥ずかしいダメ人間として描かれています。

 しかし、ドラマの千代とは違い、浪花さんは父親に表立って反発することはしていません。浪花さんの父親への思いを端的に記した一言が『水のように』にはあって、それは「昔の謹厳実直な父親に帰ってほしい」という言葉なのでした。

 あからさまに女好きでだらしないテルヲとはちがって、浪花さんの父親は救いようのない貧しい生活ゆえに、ある時期から、“狂ってしまった”といってもよいのです。だからこそ浪花さんはより苦しんだだろうし、つらかったと思うんですけれどね。

 『水のように』の記述とその行間から読むと、浪花さんの父親がおかしくなったのは、妻(浪花さんにとっては生母)を失ってからのようです。大半の日本人にとって結婚が「個人」の問題になったのは、実はごく最近のこと。『おちょやん』の舞台である20世紀初頭では「家のために」、もっというと、「自分の生活を立ち行かせるために」結婚するのが庶民の普通なのです。

 そういう結婚は愛情の結果ではないので、年齢やステイタスなど、条件面のすり合わせだけでほぼ、決まります。大事なのは、結婚して同じ家に住んで家賃や生活費を折半できること。そして、子どもが生まれたら、幼い頃から働かせ、自分たちの生活を少しでもラクにすることなんですね。

 浪花さんの父親は、鶏のヒナを売る薄利多売の零細行商人でしたが、ある時期までは真面目だったようです。ドラマのテルヲのように、骨の髄まで遊び人ではないんですね。その真面目だった父親が、貧しさゆえに妻を病気で失い、生きていくには再婚が必要となり、周囲に焚き付けられて妻さがしに出掛けた先で見つけたのが、浪花さんのダメな継母(ドラマでは栗子)だったのです。

 推測ですが、浪花さんの父親は、このとき、生まれてはじめて“恋の味”を知ってしまったのだと思います。恋など一度も知らぬまま死ぬ貧しい庶民は、当時でもザラにいました。だからこそ浪花さんの父親は、子どもなんかほったらかし、水商売あがりの二番目の妻(浪花さんにとっては継母)にのめりこみ、彼女の命令であれば、愛娘であるはずの9歳の浪花さんを、奉公に“売り飛ばして”平気なのでした。

 どうでしょうか。まだチャラついているテルヲのほうが、悲惨さという点では、全然マシじゃないですか?

 ドラマのテルヲにせよ、史実の浪花さんの父親にせよ、最低なのは、幼い子どもが親に抱く無心の愛情を悪用、奴隷として扱って平気なことなんですけどもね。まぁ……残念ながら、これも20世紀前半くらいの日本の貧しい層では当たり前のことなのでしたが。

 姑が、自分が嫁時代にされてきた嫌がらせを、息子の嫁に行うって聞いたことありませんか? あれと同じようなことを、親が子ども相手に繰り返しても全然、おかしくはなかったのです。

 だから、テルヲ(および浪花さんの実父)の本音の言い訳としては、トータスさんがいうように「テルヲはピュアすぎて」とかではなく、「オレだってちょっとくらいは楽しい思いしてもええやろ! オレも子どもの時には親に尽くしてきたんやし!」の一言に尽きると思うのでした。

 まぁ、通じない言い訳ですけれどもね〜(笑)。

 テルヲのキャラは、橋田壽賀子先生の連続テレビ小説『おしん(1983〜84)』の父・作造(伊東四朗さん)からインスパイアされたそうです。『おしん』放送当時、作造へのバッシングはテルヲほどはありませんでした。要するに「あー、こういう父親ありがち……」と受け入れられていたのです。

 テルヲ大炎上を見ていると、親が「まとも」なのが日本では普通になっていることがわかり、逆に「良いことじゃん」などと筆者は感じてしまいます。「絶対悪」としてのテルヲの評価は、ここ40年ほどの人権意識の向上の証明といってもよいでしょうし。

 生活破綻者のキャラがドラマに出てくるのはアリだと思うんです。でも、悪役を通り越して、ダメ人間であることのまともな言い訳すらできないキャラは、現代人の目にはきついですねぇ……。女優になりたいという娘の夢さえ、テルヲは踏みにじって去っていきましたし、あれは言い訳すれば済まされるレベルの話ではありません。

 ダメ人間でも、なにか夢、目標があるかどうかで、救いがあるかどうかが決まるような気がします。って、それは千代が恋をする一平ちゃん(成田凌さん)のことなんですけれど(笑)。『おちょやん』観察日記は、次回に続きます!

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