天龍源一郎が語る“修行” 農家修行と相撲教習所、そしてジャンボ鶴田に食らったボディスラムの衝撃

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2021年02月28日 07:00  AERA dot.

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写真天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「修行」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。

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*  *  *
 俺の実家は農家で、思い返せばおやじは子どもの俺に嶋田家の長男として農家の修行をさせていたね。俺は福井の田舎で自由奔放に育ったのではなく、家の裏にある嶋田家の山に入って木の伐採を手伝ったり、田畑の見回りに同行して「ここからここまでが嶋田家の畑で〜」と境界線を教えられたりと、日夜、農家の長男としての実地教育を受けて育ったんだ。

 夏になると、葉タバコの栽培もしていたから大変だったね。葉タバコは小学生の背丈ほどに成長するし、風を通さないから畑の中は蒸し暑い。さらに、足元にはマムシなんかの蛇がとぐろを巻いていてね。そんな環境で葉っぱの剪定(せんてい)をやるんだよ。当時はほとんどが手作業。一番高いところの葉っぱはニコチンが強くてハイライトなどの商品になるんだ。その葉っぱに栄養をやるために、下の葉っぱを剪定してね。それがヤニ臭くて、手にも臭いがついて嫌だったよ。そのせいかな? おやじはタバコを吸わなかったし、俺も特に吸いたいとも思わず、初めて吸ったのは50歳を過ぎてからで、しかもそれから5〜6年の間だけ。なぜ吸い始めたかって? カッコつけようと思ったんだよ(笑)。初めて吸ったときは頭がクラクラして、「これは酒よりも調子がいいぞ!」と思って、すぐにショートホープにしたもんだよ。

 さて、農家は秋になると稲刈りだ。真っ暗になっても、月明かりの中で稲を乾かす作業を延々とやったもんだ。ただ、おやじは相撲好きだったから、稲刈りのシーズンでも秋場所が始まると作業を祖父母やおふくろに任せて、俺を連れて相撲を見に帰るんだよ(笑)。あの頃は朝汐、若乃花、栃錦らがいた時代だね。相撲が始まると農作業を途中で切り上げられるし、相撲の時だけはいつも隣に座らせて優しいおやじというイメージで、相撲は俺にとっていい思い出。だから俺も相撲の世界に抵抗なく入れたのかもしれないな。

 自分も相撲取りになりたかったおやじにとって、相撲はやっぱり特別だったようだね。中学校に上がって野球部に入ったら「なんだ、そんな娯楽やりやがって! 早く帰ってきて手伝え!」って怒られたけど、それが相撲の練習で遅くなると何も言われない。当時はあちこちで相撲大会が開催されていて、俺はからだが大きかったから、相撲大会があると引っ張り出されてね。勝つと懸賞で大学ノートがもらえるんだけど、ひと夏で70冊くらい稼いだよ(笑)。でも、せっかく野球部に入ったのに相撲大会に引っ張り出されて、そっちの練習をしている内に野球部を辞めたことにさせられたんだよね。

 今でも本気で思うんだが、俺はからだも大きいし左利きだから、あのまま野球を続けていたらプロに行って、息長く活躍するいいピッチャーになっていたんだじゃないかなぁ。そうしたらもっとカネを稼げていたのになぁ。だって、相撲は入門してから十両に上がるまでの7年半は一銭ももらえなかったし、プロ野球選手の稼ぎを見たらそう思うよ。おやじも下手をうったね(笑)。

 俺も親になってみて思うのは、相撲は不器用な親父のたったひとつのコミュニケーション手段だったんだということだ。おやじは口で教えるのではなく、見ていればわかるだろうというタイプ。特に農家なんてやってみないとわからないことだらけだからね。実家にいたのは13歳までだったけど、人生はままならないんだってことを教えられた。いつもおやじに首根っこを押さえつけられていたから、相撲部屋に入門しても先輩はやかましかったけど、人数も多かったし、逃げ場所もあった。「おやじほどじゃないな。こっちには自由がある」と思ったほどだよ。家にいると常におやじと1対1だったからね。そういう意味では実家で鍛えられていたんだと思うよ。

 そうして相撲部屋に入門して、一年くらいを過ごしてから相撲教習所に通い始めた。相撲の世界に入ってきた人間はかならず行くところでね。朝に相撲の稽古をして、それから座学。日本史や相撲史、詩吟、日本の神話なんかも習うんだけど、その講師がすごい。歴史学者の和歌森太郎先生が日本史を教えに来てくれたからね! でも、俺らみたいな連中にはもったいないよ。あの和歌森先生の授業でも寝ているんだから(苦笑)。まあ、15〜16歳の小僧に和歌森先生の授業はまだ早かったってことだ……。

 その相撲教習所の同期が貴ノ花だ。横綱・若乃花の末弟ということで、俺も意識はしていた。貴ノ花とは同い年だが、俺の方が1年早く相撲の世界に入っているから先輩風を吹かせようと思っていたよ。ところが貴ノ花は平気で俺のことを「おう、嶋田!」って呼び捨てにしたからなぁ。あの野郎(笑)。ほかにも後に大関になった大受、時津風を継いだ山本も教習所の同期だね。

 教習所では礼儀をしっかりしつけられたけど、一番印象的だったのは、ある親方に言われた「もし、今後相撲人気が無くなったとしても、40〜50年は今の給与形態でお前たちを養っていけるだけの余裕はある」ということだ。これを聞いたときはさすがに驚いたよ。その後、日本相撲協会が今の両国国技館を無借金で建てたときは「あの話は本当だったんだ!」と実感したもんだ。

 そしてもちろん、プロレス修行も忘れられないね。正直、プロレスなんて「明日からでもできる」と思っていた。相撲時代は下っ端をつかまえて土俵でダブルアームスープレックスをぶちかましたりしてたからね。ところが、初めて全日本プロレスの道場に行ったときに、ジャンボ鶴田が「とりあえずボディスラムの受け身からやってみようか」と言って、俺を抱えて軽く投げたんだ。そのときの衝撃といったら! マットに叩きつけられた瞬間、五臓六腑に衝撃が伝わって、俺はウ〇コを漏らすかと思ったよ! この一発で相撲で幕内までいったという俺の自信はもろくも崩れたね。さらに、そのときにそばで見ていた渕正信が言った「ねえ、プロレスは簡単じゃないでしょ。甘くないんだよ」という一言が40年以上経った今でも忘れられない……! あの野郎、言いやがって!(笑)

 それからザ・グレート・カブキさんに基本的な受け身を教わって、アメリカのドリー・ファンク・ジュニアのところへプロレス修行に出された。俺はてっきり、ドリーがつきっきりで教えてくれるもんだと思っていたけど、ドリーも現役の選手だから自分の試合があって、一週間か10日に1回くらいしか教えてくれないんだよね。俺は半年後に日本に帰ったら試合に出なきゃいけないから焦って、毎日のようにドリーに教えてくれって電話したもんだよ。

 それに嫌だったのは、ドリーが俺に教えるとき「ジャンボは3カ月で教えることがなくなった」「ジャンボは天才だ」と、なにかとジャンボと比較されたことだね。馬場さんから「天龍はジャンボの次にスターのなる奴だ」と聞かされていたらしく、ドリーも戸惑ったみたいだ。馬場のところのボーイだからちゃんと育てなきゃいけないって思いもあっただろう。それでも「プロレスは投げられても負けじゃない。相手に身をゆだねることがスタミナを温存するポイントだ」と教えてもらって、俺もずいぶん楽になった。どうやら、俺の前に柔道からプロレスに転向したアントン・ヘーシンクを教えていたんだが、ヘーシンクは投げられたり、倒されたりすることにものすごく抵抗があって苦労したみたいだ。だから俺には諭すように丁寧に優しく教えてくれたんだね。

 ドリーに教えてもらえない間はあまりにもやることがなくて、ずっと腹筋ローラーで鍛えたり、ブリッジの訓練をしたりしていた。おかげで腹筋ローラーは300回は軽くこなせるようになったし、ブリッジは鼻がつくまでになった。相撲出身のレスラーでブリッジで鼻がつくのは俺くらいだったんじゃないかな。やることがなくて鍛えていたおかげで、長く現役を続けられる基礎になったんじゃないかと、今になって思うよ。だって、ジャンボのエグいバックドロップをあれだけ食らって、まだ生きているんだからな! ドリーに放っておかれた賜物だ(笑)。

 そして現在の俺は、修行というよりもみんなに支えられて生かされているという思いが強い。若いときは一人でも生きていけると思っていたけど、年を取ると相互扶助で生きることの大切さを実感する。早くに亡くなったジャンボやロッキー羽田といった人たちのことを思うと、より生かされているという思いは強い。ただね、神様に言いたいのは、長生きしていると恥をかいたり、軋轢(あつれき)があったりと、いいことだけじゃないよということだよ。ぜいたくな悩みでしかないんだけど、亡くなった人は当時のままで記憶に残るけど、今の俺は人前に出るときも杖をついたりして「天龍もこんなになっちゃって……」と思われたり、なかなか難しいところもあるね。天龍は長生きしていいなと思われるだろうけど、ときどき忸怩(じくじ)たる思いをすることもある。こんな話をしていると「天龍がまた、亡くなった人のことを言って……」と思われるかな(苦笑)。ま、聖人君子はいないってことだね。

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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