高校、大学、社会人、プロ全てで「日本一」を経験した選手はいるのか

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2021年02月28日 16:00  AERA dot.

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写真ダイエー時代の若井基安(OP写真通信社)
ダイエー時代の若井基安(OP写真通信社)
 高校時代に春、夏の甲子園で全国制覇を経験した選手が、プロでも日本一になった例は少なくない。

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 昨季の日本一チーム・ソフトバンクなら、沖縄尚学高時代の2008年にセンバツ優勝投手になった東浜巨の名が挙がる。

 だが、高校、大学、社会人、プロのすべてで日本一になった選手となると、さすがに条件が厳しくなる。そんな完全制覇の達成者として知られるのが、ダイエーの内外野手として活躍し、96年に4番も打った若井基安だ。

 PL学園時代の81年春に1番ライトで甲子園に出場した若井は、準決勝の倉吉北高戦で0対0の6回に貴重な先制タイムリーを放つなど、同校のセンバツ初Vに貢献。法大時代も全日本大学野球選手権で計3度(82、84、85年)優勝。主将を務めた85年は、3番セカンドとしてチームを引っ張り、2年連続で日米大学野球の全日本メンバーに選ばれている。

 さらに日本石油入社1年目の86年にも、2番セカンドで都市対抗野球に出場すると、準決勝の阿部企業戦で4回に満塁の走者一掃の三塁打を放ち、決勝のNTT信越戦でも、6対5の6回に二盗を決めた直後、幸運なテキサス安打で8点目のホームを踏むなど、19年ぶりVに貢献。同期のチームメート・鈴木慶裕(元日本ハム‐ダイエー)とともに若獅子賞を受賞した。

 この活躍が認められ、88年、若井はドラフト2位で南海に入団するが、当時の南海は11年連続Bクラスとどん底状態。ダイエー移行後も初年度から9年連続Bクラスと長い冬の時代が続き、プロで日本一になるのは、文字どおり、最難関だった。

 ところが、若井はとてつもない強運の持ち主だった。現役生活最後の99年、ダイエーは南海時代の73年以来26年ぶりにリーグ優勝を達成し、日本シリーズでも中日を下して35年ぶりの日本一を実現する。

 残念ながら、若井はこの年1軍出場ゼロに終わり、本当の意味でのV戦士にはなれなかったが、野球人生の最後の最後で、高校、大学、社会人に次いで日本一の栄誉を手にすることができた。

 高校野球の国体優勝校という条件も含めると、巨人やメッツなどで活躍した左腕・高橋尚成もギリギリながら条件を満たしている。

 修徳高時代は夏の甲子園8強止まりも、同年秋の東四国国体(徳島・香川)では、初戦で常総学院に逆転勝ちして勢いに乗ると、決勝で小林西高を10対0で破り、公開競技ながら日本一を達成した。

 そして、次なる幸運は、駒大1年時の94年。プロ注目の右腕・河原純一(元巨人−西武−中日)や主将の高木浩之(元西武)らタレント揃いのチームは、決勝で近大を5対2で下し、2年ぶりの日本一に輝く。高橋自身は登板機会がなかったものの、高校時代に続いて大学でも日本一を経験した事実に変わりはない。

 その後、駒大のエースとなり、通算17勝を記録した高橋は、東芝時代の99年の都市対抗では、優秀投手に選ばれる活躍で、8年ぶり日本一の立役者となった。

 さらにプロ入り後も、巨人ルーキー時代の00年、初の二桁勝利を挙げた02年、2年連続二桁勝利を達成した09年と3度にわたって日本一を経験している。

 惜しくもあと一歩で完全制覇を逃したのが、近鉄の外野手・内匠政博だ。

 PL学園では1番打者として、同期の桑田真澄、清原和博とともに85年夏の甲子園で全国制覇。近大時代も4年時の89年に同期のエース・酒井光次郎(元日本ハム‐阪神)とともに全日本大学野球選手権で優勝し、日本生命時代の92年にも都市対抗優勝と、高校、大学、社会人のすべてで日本一になった。

 だが、近鉄時代は01年に12年ぶりのリーグ優勝を実現しながら、日本シリーズでヤクルトに敗れた。もっとも、内匠自身はこの年1軍出場なしで終わっているので、仮に日本一になっていても、前出の若井と同じ立場だったのだが……。

 同じPL出身の宮本慎也(元ヤクルト)も惜しい一人だ。高校時代は1年先輩の立浪和義(元中日)らとともに87年夏の甲子園優勝メンバーになり、同大2年時の90年秋の明治神宮大会でも、PLの先輩・片岡篤史(元日本ハム‐阪神)とともに大学日本一の座についた。

 さらにヤクルト時代の95、97、01年にも日本一を達成しているが、残念ながら、社会人(プリンスホテル)では、日本一になれなかった。

 逆にPLの先輩にあたる木戸克彦は、社会人でプレーしていないものの、高校時代と法大時代に全国制覇をはたし、阪神でも85年に日本一達成と、行くところすべてで頂点を極めている。

 一方、横浜高時代に松坂大輔(現西武)の女房役として98年春夏の甲子園で連覇を達成した小山良男は、亜大時代も木佐貫洋(元巨人−オリックス‐日本ハム)とバッテリーを組み、02年に全日本大学野球選手権と明治神宮大会で優勝。高校、大学ともに連覇の偉業を成し遂げた。

 そして、中日時代の07年にも、日本シリーズは不出場ながら日本一に輝いたが、唯一社会人(JR東日本)で日本一になれなかった。

 また、昨季限りでロッテを退団した大谷智久は、報徳学園時代の02年にセンバツV投手になり、トヨタ自動車時代の07、08年に社会人野球日本選手権2連覇。ロッテでも入団1年目の10年に日本一になったが、早大時代は4年時に明治神宮大会準優勝と、あと一歩のところで完全制覇の夢を断たれている。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。






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