渋沢栄一が信奉した「論語」からの助言 「姉妹が互いに比べてみじめな気持ちに」と心配の父親へ

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2021年02月28日 17:00  AERA dot.

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 NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主役である実業家・渋沢栄一が信奉していたことで、いまふたたび「論語」が注目されている。論語は、2500年前の思想家・孔子の教えをまとめた書物で、生き方の指針となる言葉の宝庫だ。「仁(=思いやり)」を理想の道徳とし、企業経営だけでなく、迷える現代の子育てにも役立つ言葉がたくさんちりばめられている。現代の親の悩みに対する処方箋として、「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、孔子の格言を選んで答える本連載。今回は、「姉妹間で互いに比べて劣等感に悩む娘たち」を心配する父親へアドバイスを送る。

【相談者:11歳と10歳の娘を持つ40代の父親】
小学5年生と4年生の娘を持つ41歳の父親です。小さいころから仲のいい姉妹なのですが、「妹は成績が優秀だけど自分はダメ」「お姉ちゃんは習字がうまいけど自分は書けない」など、互いを比較しては自信をなくし、みじめな気持ちになっているようで心配です。親としてはそれぞれいいところを褒め、比較しているつもりはまったくありません。これから思春期を迎えるにあたり、父親として2人にどう接したらよいでしょうか。また、本人たちが、劣等感や嫉妬を乗り越える方法はありませんか。

【論語パパが選んだ言葉は?】
・季康子、問う、仲由(ちゅうゆう)は政(まつりごと)に従(したが)わしむ可(べ)き与(か)。子曰わく、由(ゆう)や果。政に従うに於(お)いてか何か有らん。曰わく、賜(し)や政に従わしむ可き与。曰わく、賜(し)や達。政に従うに於いてか何か有らん。曰わく、求(きゅう)や政に従わしむ可き与。曰わく、求や芸。政に従うに於いてか何か有らん。(雍也第六)

【現代語訳】
・季康子がたずねた。「子路は政治に用いるのにふさわしいでしょうか?」
孔子がおっしゃった。「子路は果断である。政治の任につくのに、何の難しいことがありましょうか」

季康子がたずねた。「子貢は政治に用いるのにふさわしいでしょうか?」
孔子がおっしゃった。「子貢はものの道理に達している。政治の任につくのに、何の難しいことがありましょうか」
季康子がたずねた。「冉求(ぜんきゅう)は政治に用いるのにふさわしいでしょうか?」
孔子がおっしゃった。「冉求は技芸に優れている。政治の任につくのに、何の難しいことがありましょうか」

【解説】
 お答えします。人は、そもそも、同じ範疇にあるものを比べる性質を持っています。子どもが2人あれば「姉(兄)と妹(弟)」を比べるでしょう。たとえば「都会に住むか、田舎に住むか」「趣味を優先するか、仕事に重きを置くか」など、自分の生活にしても、あらゆることを比較しながら生きています。「比較」は、人が持っている能力のひとつなのです。

 ただ、ふたつ以上のものを比較して「異なる部分」を見つけるか、それとも「類似する部分」を求めようとするかによって、人の「意識」は大きく変わります。

 古来、東アジアの思想には「比較して異なる部分に注意を向ける」という意識は強くありませんでした。「類化」と呼ばれますが、「類」でものを考えるという「似たところ探し」をすることが基本的な思考としてあったのです。これに対して、ヨーロッパで「異化」と呼ばれる、異なる部分を細分化して区別する思考が近代科学を生み出す原動力になったのでした。

 明治時代以降、近代科学的方法によって物事を考える思考を学んできた我々は、ともすれば、「異化」という方法が「比較」の原則と思いがちですが、「類化」という視点もあるということを忘れないでほしいのです。

 さて、これらのことを念頭に置いて、孔子の弟子である仲由(子路)、賜(子貢)、求(冉求)の3人に対する孔子の評価を見てみたいと思います。

 魯の国の若い大臣であった季康子が、弟子たちの為政者としての適性について孔子に問う場面です。

「仲由は政に従わしむ可き与(=仲由は政治を担当するにふさわしい人物でしょうか?)」。これに対して孔子は言います、「由や果。政に従うに於いてか何か有らん」。訳すと、「子路は果断である。政治の任につくのに、何の難しいことがありましょうか」という意味です。

 同じように、「賜や達」、つまり、子貢は知恵に優れている。「求や芸」、冉求は技芸に優れている。いずれも「政治をするぐらいのことは何でもない」と答えるのです。

 人には、それぞれ得意・不得意があります。「国」を支えているのは、それぞれの異なる資質を持った人たちです。人と人を比較して異なるところを見るよりも、着目すべきなのは「皆が共通して持っている意識」でしょう。つまり、子路にせよ、子貢にせよ、冉求にせよ、皆、孔子にとってみればかわいい自分の弟子であり、自分の弟子であるならば「仁」という基本を深く理解していること、その部分は決してブレないということを、孔子は言っているのです。

「仁」は、論語で最も大切な考えです。漢字の「仁」は「人」と「二」で作られていますが、これは親子の「愛情」を表します。孔子が生きていた紀元前500年ごろ、人は平均30歳で亡くなっていました。結婚して子どもを産み、親になるのが20歳だとしたら、子どもが10歳ぐらいで両親は亡くなってしまいます。医学、薬学が発達していなかった当時、親は子が病気になって死なないようにと最大の「愛情」で育てたことでしょう。こうして育って自分の親が晩年を迎える時、子どもはきっと親に対して「孝」という愛情を抱いたことでしょう。「孝」は、大事に育ててくれた親に対する感謝の気持ちです。

 孔子は、親子の間にあるこうした「愛情」を「仁」と名付け、そして他人に対しても「仁」の気持ちで接しなさいと教えたのでした。

 ご相談では、「妹は成績が優秀だけど自分はダメ、お姉ちゃんは習字がうまいけど自分は書けない……など、互いに比較しては自信をなくし、みじめな気持ちになっている」とあります。

 ですが、「仲のいい姉妹」と、互いが互いを大事に思う気持ちを共有していらっしゃるのですよね。

 素晴らしい姉妹ではありませんか!

 仲間同士、互いに励まし合って向上することをいう「切磋琢磨」は、もともと、孔子が編纂したとされる『詩経』で用いられた表現です。「切磋琢磨」は、決して、他人を蹴落として、自分だけが向上していくことをいうものではありません。「仲間を尊重し大事に思う気持ち」があって初めて生まれる向上をいうものなのです。

 自分とまったく同じように考える人など決していません。でも、自分と違う考え方だからといって、人との「違い」「差異」を知って自信をなくしたり、優越感を持ったりするのは「仁」の精神に背く行為でしょう。

 まず、娘さんお二人が、互いに共通して持っている「同類」の部分を見つけ合い、本当の意味での「切磋琢磨」をしていくのが大切な「比較」なのではないでしょうか。

 お父さんは、かけがえのない2人の女の子がいつまでも仲良く「切磋琢磨」していけるように「仁」の心で見守ってあげてください。

【まとめ】
「比較」には「類化」という視点もある。姉妹が互いに「同類」の部分を見つけ、切磋琢磨していけるように「仁」の心で見守ろう

山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ  0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。





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