日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。2月28日は「声優になりたくて 〜カナコとせろりの上京物語〜」というテーマで放送された。
あらすじ
俳優、声優の事務所『俳協』の練習生、唐崎圭那子(30)と松元せろ里(22)。半年間の練習期間の終了後、選抜試験が行われるが、志願者200人に対し、合格者は15人という非常に狭き門だ。なおこの選抜で選ばれたら俳協に所属できるというわけではなく、さらに半年のレッスンのあと最終的に俳協に声優として所属できるかどうかが判断される。
圭那子は大阪で会社勤めをしながら、27歳で劇団に入る。声の演技をほめられたこともあり上京し声優を目指す日々だ。生活のあては失業保険だがそれも期限がきれてしまう。一方、せろ里は新卒の就職活動においてテレビ局を受けたが採用されず、一般企業からは内定をもらったものの、声優の夢を諦めきれず鹿児島から上京。声優や俳優を目指す人専用のシェアハウスで生活し、バイトを3つかけもちしながらカラオケボックスで発声練習に励んでいる。
俳協の選抜試験の結果は、せろ里は合格、圭那子は不合格。せろ里の父親は番組の取材に対し「何年かしたら『帰ってくる』って言うでしょ。キリがないというか、悟るでしょう」と話し、そういった苦労も人生のためになる、と冷静だ。
一方で諦めきれない圭那子は、演技指導の教師から「(声優の)マネージャーなら紹介できる」と裏方の仕事を勧められるも、オーディションを受け続ける。惨敗が続く中、無給ではあるがラジオドラマのオーディションに受かる。圭那子は東京でパン屋の仕事をしつつ、声優への道に挑み続ける。番組では毎年声優を目指す人は3万人いると伝えられていた。
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「医者や弁護士にはなれないが、声優にはなれると思っている」
圭那子が声優事務所、ケッケコーポレーションのオーディションに落ちた理由を尋ねた時、同社の坂本和也氏は「声優って名前が欲しいとか、肩書が欲しいとか(という人は大勢いる)、でも(声優は)『職業』なんだ」「医者や弁護士は頭良くないとできないってみんなうっすらわかっているのに、声優だったらなれるってみんな思っているんだよ」と諭していた。「なぜかなれると思っている」若者たちを坂本氏は星の数ほど見てきたのだろう。厳しい言葉だが、現実を伝えており、「夢はいつかかなう」なんて言葉よりもずっと誠実な言葉に思えた。
「医者や弁護士にはなれると思っていないのに、声優にはなれると思っている」――これは声優に限らず、俳優もそうだし、さらに演じることに限らず、絵、文章など、「人文、芸術系」の仕事を目指す人に見受けられる傾向だろう。免許や資格がいらないので「もしかしたら私だって」「あのくらいなら私だって」と、言葉を選ばずに言えば「舐められがちな仕事」でもある。だからこそそこに夢を見る余地が生じるのだろう。
しかし坂本氏は、声優は夢ではなく「職業だ」と説く。職業として、それを生業としていくならば覚悟しないといけない。圭那子にしてみれば、きっと十分覚悟をしているのだろうが、その覚悟のレベルが、まだまだ数段階違う、ということなのだろう。つくづくシビアだ。
圭那子は学校を卒業し会社に就職し、特に会社に不満はないがこのままではイヤだという気持ちが芽生え、27歳で働きつつ劇団に入り、30歳で上京する。おそらく最初は趣味程度の位置づけだった演劇が、圭那子の中で大きくなっていったのだろう。
圭那子に限らず、「卒業して働いてみたけど、なんだかこのままじゃイヤだ」とくすぶる思いを抱える人は多いだろうし、そこで道を変える、という人も普通にいる。声優を目指していたが、諦めて勤め人に戻ると話していた圭那子の友人は、29歳と30歳の間には壁がある(30になると就職で苦労する)と話していた。
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30歳という年齢はまだ、覚悟があればいろいろなことを新たに始められる「若者」だと思う。しかし、それはやはり都市部に限ったことであり、また声優という仕事においては、30歳は若者の部類には入れないのだろうと、声優業界に疎い私ですら察する。
30歳前後の声優を調べてみると、若手というより実績を積んだ中堅の顔ぶれが並んでいて、特に女性声優はその傾向が強い。子役出身の声優も多く、キャリア=ほぼ人生という人すらいる。30歳という年齢は、声優を目指すならかなりシビアな年齢だ。
声優になるには、「普通に高校、普通に大学、普通にお勤め、そこから」という歩み方では遅いのだろう。残酷な業界だ。逆に言えば、「エイジズム」という言葉が出てきだした今ですら、いまだそれが極めて強い業界で、それでも「声優を職業にする覚悟はあるのか」ということなのだろう。せろ里と圭那子の今後もぜひ見たいと思った。
次週のザ・ノンフィクションは『わ・す・れ・な・い あの日10歳だった僕は…前編(仮)』。2011年3月11日の東日本大震災で、全校児童の約7割、74人の幼い命が津波で犠牲になった大川小学校。家族や仲間の多くを失いながら生き残った哲也を「奇跡の子」としてメディアは取り上げるが……。