TWICE、J.Y.Park作曲の「Switch to me」から繙く、K-POPブーム前夜90〜00年代の“韓国製”NJS楽曲紹介

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2021年03月03日 22:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

――毎月リリースされるK-POPの楽曲。それらを楽しみ尽くす“視点”を、さまざまなジャンルのDJを経て現在はK-POPのクラブイベントを主宰するe_e_li_c_a氏がレクチャー。

今月の1曲:DAHYUN and CHAEYOUNG (TWICE) - 나로 바꾸자 Switch to me

 TWICEのメンバーが1人単位で、ほかのアーティストの曲をカバーする「Melody Project」という企画で発表された楽曲です。昨年大みそかにリリースされたRainとJ.Y.Parkの楽曲「나로 바꾸자 Switch to me」をダヒョンとチェヨンがカバーしました。原曲は、君には自分のほうが似合ってる、自分のほうが良い男だ、とRainとJ.Y.Parkが女性を取り合う曲です。ダヒョンとチェヨンのカバーは歌詞の性別が男から女に入れ替えられており、原曲よりも楽曲のテイストの90年代を意識したスタイリングになっています。

 J.Y.Parkは言わずもがなですが、2020年にRainはMBCの『遊ぶなら何する?』という番組の企画でユ・ジェソク、イ・ヒョリと共にSSAK3(サクスリー)という期間限定ユニットを結成し、90年代に主流だった夏のダンスミュージック楽曲をリバイバルするという趣旨で当時の曲をカバーしたり、新曲をリリースし、大ヒットしました。

 今までの連載を見てくださった方には聞いてわかる通り、「나로 바꾸자 Switch to me」はNJS(New Jack Swing)楽曲です。NJSについては一昨年、PENTAGONの「HAPPINESS」がリリースされた際に音楽的な面から解説しましたが、この記事では韓国にNJSが入ってきてから、2010年代までの間をかなり省いて書きました。

 またJ-Popに関しては、NJSの歴史に沿った読み物が探せば見つかりますが、日本語で韓国のNJSについて書いてある読み物があまり見つからなかったので、今回はNJSという切り口から、年代に沿ってアーティストや当時の韓国を取り巻く現状などを紹介していきたいと思います。以前の記事にも書いた、서태지와 아이들(ソテジワアイドゥル)と듀스(DEUX、デュース)については省いて、時系列順に紹介します。

90年代〜00年代初頭の韓国のNJS楽曲

■이승철 (Lee Seung Chul) - 방황 (The Wandering、彷徨) (1992/11)

 イ・スンチョルは부활(復活)というバンドの2代目ボーカルとしてデビューし、アイドル級の人気を博します。イ・スンチョルがあまりに人気だったため、当時バンドの「復活」と言うより「イ・スンチョルのバンド」という認識を持っている人が多かったそうです。リーダーでプロデューサー兼作詞作曲家のキム・テウォンとの意見のすれ違いや彼の逮捕によりグループは解散し、1989年にイ・スンチョルはソロデビューします。

 この楽曲は作編曲を김홍순(キム・ホンスン)がやっており、後述するUptownの「다시 만나줘」(Back to me)にも彼の名前があります。

 ただこの曲は後に盗作疑惑がかけられ、作詞作曲の著作権者に関しては「無」という表記になります。Bobby Brownの「Humping Around」が原曲ではないかと言われていますが真相は闇の中です。94年にリリースされたアルバム『The Secret of Color』収録の「착각」(錯覚、勘違い)もNJSです。

 近年はMnetのオーディション番組『Super Star K』シリーズに審査員として出演したり、昨年35周年記念アルバムをリリースし、少女時代のテヨンとデュエットをしています。

■양준일 (Yang Joon-il) - Dance With Me 아가씨 (Dance With Me Lady) (1992/11)

 ヤン・ジュンイルの「Dance with me 아가씨」(アガシ、お嬢さん)です。この曲の収録されている2枚目のアルバム『나의 호기심을 잡은 그대 뒷모습』(僕の好奇心をつかんだ君の後ろ姿)に入っている「가나다라마바사」(Pass Word、カナダラマバサ)もNJSです。

 ヤン・ジュンイルは韓国系アメリカ人で、91年に「리베카」(レベッカ)という曲でステージデビューします。しかし93年に、「レベッカ」が公演倫理委員会(※1)によって盗作曲と判定を受け、ビザの更新もうまくいかず、しばらく姿を消すこととなります。「レベッカ」はJanet Jacksonの「Miss You Much」を盗作した疑惑がかけられていたそうですが、公演倫理委員会の判定基準は当時の専門家の間でも議論があったそうです。

 引用元は「米国の歌、日本の歌、香港の歌」とだけ記載され、具体的な引用元が明示されておらず、保守的な委員会の人たちが彼の自由奔放な姿を気に入らなかったからでは、ともいわれています。

 長い髪の毛やダボッとした服装が、まだ保守的だった当時の韓国ではだらしなく見え、英語がふんだんに散りばめられた歌詞に聞き慣れないジャンルの楽曲は「新鮮で型破り」という評価を受けますが、大ヒットとまではなりませんでした。サビに英語を持ってきて、それを繰り返す手法というのは現代のK-Popの定石ともいえますが、韓国語があまり得意ではないヤン・ジュンイルのような人が本能的にそのような曲を作ってパフォーマンスしていたというのは、今考えるととても興味深いです。

 当時の姿が、顔も含めてG-Dragonに似ていることから、2018年頃ネット上で話題になり、19年に出演した『シュガーマン』(※2)で時代の最先端を行っていたと再評価されます。番組出演のための来韓だったので、すぐにアメリカに帰国しますが、番組放送後の反響は凄まじく、最終的に韓国に移住し音楽活動をすることになります。つい先日、2月22日にもEPがリリースされ、CDの売り上げなどもアイドルグループに引けを取らない、かなり良い成績を残しています。

※1:現在の「映像物等級委員会」にあたる組織で、映像物の倫理性及び公共性を確保して青少年を保護するための等級委員会。
※2:韓国歌謡界で一世を風靡するも、いつの間にか消えてしまった、いわゆる一発屋の歌手のヒット曲にスポットライトを当て、当時のエピソードを聞いたり、最前線で活動するアイドルが彼らの楽曲をカバーするという番組。

■김건모 (Kim Gun-Mo) - 버려진 시간 (Lost time、失われた時間) (1993/10)

 韓国歌謡界の伝説と言われるキム・ゴンモの2枚目のアルバム『김건모 2』(キムゴンモ2)収録曲です。キム・ゴンモの総アルバム売り上げ数は330万枚で、19年に入って防弾少年団に339万枚で破られるまで、彼がこのギネス記録をずっと保持していたことを考えると、どれだけすごいことかわかると思います。

 デビューアルバムのタイトル曲はソウルミュージックで、『김건모 2』(キムゴンモ2)のタイトル曲「핑계」(ピンゲ、言い訳)はレゲエのリズムを取り入れたり、「버려진 시간」(Lost time)ではNJSをやったり、ハウス曲「어떤 기다림」(Waiting For)があったりと、この時代にダンスミュージックをうまくポップスに取り入れているアーティストです。

 90年代前半のラップはどの曲もまだしゃべる延長という感じがしますが、彼のラップは頭ひとつ抜けている印象です。96年リリースのアルバム「Exchange kg. M4」収録の「악몽」(悪夢)もNJS寄りの楽曲です。

■김성재 (Kim Sung Jae) - 말하자면 (As I Told You、言わば) (1995/11)

 DEUXの片割れキム・ソンジェのソロデビュー曲「말하자면」(マルハジミョン、言ったとおり)です。キム・ソンジェは小学生の終わり頃から日本に住み、BAE173のナム・ドヒョンやm-floのVERBALが通ったセント・メリーズ・インターナショナルスクールや、ZICOが通った東京韓国学校に通っていたそうです。

 SBSの『생방송 TV 가요20』(生放送TV歌謡20)という、現在日曜日に放送している音楽番組『人気歌謡』の前身番組でソロデビューしますが、次の日の11月20日にホテルで死んでいるところをマネジャーが発見します。腕にはたくさんの注射の跡があり、遺体からは動物に使う麻酔薬が検出されたそうで、交際していた歯学部生の彼女が逮捕されますが、最終的には無罪になるなど未解決事件となります。この事件をモチーフにした『真実ゲーム』という映画も、00年に公開されています。

 16年にBTSがカバーしたことで知っている人もいるかもしれません。

■룰라 (Roo'Ra) - 3!4! (1996/06)

 DEUXのキム・ソンジェの相方、イ・ヒョンドがプロデュースしたルーラの4枚目のアルバムタイトル曲、「3!4!」です。グループ名は彼らのデビューアルバムのタイトルにもなった「Roots Of Reggae」から来ており、文字通りレゲエを軸に活動するというコンセプトでした。

 当初、男性3人でのデビューが企画されますが、当時大人気だったソテジワアイドゥルと同じ構成になるため、男女混合グループの男性3人・女性1人でデビューします。その後男性1人が兵役のため脱退し、女性ボーカルが1人入り、この映像と同じ男女2人ずつのグループとなります。

 デビュー時から人気があり、日に日に人気は増していきますが、3枚目のアルバムタイトル曲「천상유애」(天上遺愛)がジャニーズ事務所所属・忍者が歌った美空ひばりのカバー「お祭り忍者」の盗作疑惑が出ると一変、世間の目が厳しくなり、音楽番組等に出られなくなります。キム・ソンジェの葬儀場で距離の縮まったイ・ヒョンドとルーラのメンバーですが、この状況だったルーラのためにイ・ヒョンドが曲を提供し、それがこの「3!4!」でした。この4枚目のアルバムでルーラは人気を取り戻します。

 ルーラのあまりの人気に当時「꼬마 룰라」(ちびっ子ルーラ)が結成され、幼少期のG-Dragonがメンバーに選ばれ、これがYGエンタテインメントからスカウトされるきっかけになったそうです。

 YGエンタテインメント第一号アーティストとしてデビューした、男性3人組グループKeep Sixのデビューアルバム『Six In The Cambah』のタイトル曲で、デビュー曲です。同じアルバムに入っている後続曲「어떻게」(オットケ、どうしよう)もNJS楽曲です。

 メンバーのうち2人はソテジワアイドゥルのバックダンサー出身で、メインボーカルのイ・セヨンは韓国系ブラジル人です。ソテジワアイドゥルのメンバーでYGエンタテインメント創始者、ヤン・ヒョンソクがソテジワアイドゥル解散後に作ったグループということで話題になりますが、当時NJSといえばDEUXの専売特許で、先に紹介したRoo'Raやイ・ヒョンドなどNJS楽曲で活動するアーティストが多く、無難で印象に残らなかったそうです。

 さらに96年末にはソテジワアイドゥルのメンバー、イ・ジュノが発掘したブレイクダンスができるダンサーを集めて作った男女混合グループYoung Turks Clubが大ヒットし、人気絶頂のH.O.Tが音楽授賞式で賞を総なめしたことで、大衆からは忘れられた存在になってしまいます。

 Keep Sixの商業的な失敗は今でもYGエンタテインメントの黒歴史扱いされているそうですが、その後デビューしヒットするJinuseanなどにノウハウが生かされました。

■업타운 (Uptown) - 다시 만나줘 (Back to me、やり直そう) (1997/01)

 今現在も韓国でラッパーとして活動するユン・ミレの所属していたHiphopグループ・Uptownのデビュー曲です。ユン・ミレは、アフリカ系アメリカ人の父と韓国人の母を持つアメリカ生まれの韓国系アメリカ人で、後のUptownのリーダー、チャン・ヨンジュンの目に留まり14歳でアメリカから韓国に移住することとなります。

 韓国ではインターナショナルスクールに通いますが、肌の色などで差別を受け、中退するなどつらい経験をしました。デビュー時15歳でしたが、芸能活動に支障があったため19歳と偽り活動します。途中で年齢が明らかになりますが、当時はそこまで問題視されずUptownの活動は続きます。ユン・ミレは同じ事務所の別ユニットTashannie(タシャニ)として活動するためUptownからは脱退し、ほかのメンバーが薬物疑惑で拘束されたことから、最終的には解散となりますが、後のHiphopシーンに多大な影響を与えます。

 「다시 만나줘 」(Back to me)の作曲は、先述イ・スンチョルの「방황」(彷徨)を作ったキム・ホンスンとチャン・ヨンジュンで、彼はほかにもUptownの曲をたくさん作ります。チャン・ヨンジュンは02年にKBSで放送された『Space HipHop Duck』というアニメの音楽監督も務め、OPとEDはYGエンタテインメント所属のアーティストが担当しています。

 Uptownは05年に再結成されますが、盗作疑惑などもあり「UPT」に改名し、今では韓国Hiphop界の重鎮となったラッパーSwingsなどをメンバーに迎えたものの、ヒットとまではならず、現在は解散の発表こそされていませんが、空中分解状態となっています。

■언타이틀 (Untitle) - 날개 (Wings、翼) (1997/2)

 自分たちの曲全てを作詞作曲するユ・ゴンヒョンと、作詞・ラップ・振り付けをするソ・ジョンファンの2人組グループ、アンタイトルの2枚目のアルバム『The Blue Color』のタイトル曲です。 DEUXファンだった2人はデモテープをイ・ヒョンドに送り、彼と同じ事務所に所属して音楽活動をしました。この曲はミリオンヒットを記録し、さまざまな音楽番組で1位を獲るほどの人気がありましたが、3枚目アルバムの収録曲「자살」(自殺)という曲が放送審議規定に引っかかり、プロモーション活動ができなくなり、人気は低迷します。

<韓国の音楽背景にある「健全歌謡」「セマウル歌謡」>

 韓国の“時代”を象徴する音楽は、1960年代半ば頃〜70年代にかけては「貯蓄の歌」「豊かに暮らそう」「今年は働く年」など政府主導で進められる音楽統制政策の一環で作られた「健全歌謡」(政府権力者にとって望ましいものが「健全」という基準)、70年代は「勤勉」「自助」「協同」を基本精神とした農村近代化運動の「セマウル歌謡」があります。

 どちらも歌を利用して国を一丸とする、いわゆる“精神高揚運動”のようなものですが、80年代は「健全歌謡挿入義務制」が実施され、発売されるレコードやテープなどの音源全てに必ず1曲は「健全歌謡」を収録しなければいけなくなります。

 88年にその制度が廃止され、90年代はそういったものから解き放たれた時代……かと思いきや、アンタイトルのほとんどのアルバムには「奉仕」「犠牲」「愛」「正義」「礼儀」などのキーワードが散りばめられており、セマウル運動のスローガンとして掲げられた「잘 살아보세」(幸せに生きよう)を表しているようで、“ほとんどセマウル歌謡”と評価されていたりもします。

 アンタイトルの解散後もユ・ゴンヒョンはgodやPSY、オム・ジョンファ、Roo'Raなどの作曲を担当し、なんとあの江南スタイルはPSYとユ・ゴンヒョンの共作です。ついこの間リリースされたヒョナの「I'm Not Cool」を始め、PSYが設立したP NATIONの所属アーティストの楽曲は、ほとんどがユ・ゴンヒョンによるものです。

 韓国Hiphopの元祖と言えば、な2人ジヌとションで「ジヌション」です。2人ともアメリカで育った韓国系アメリカ人で、YGエンタテインメントから97年にデビューします。「말해줘」(Tell me)の収録されたデビューアルバム『Jinusean』は、Hiphopのアルバムでは異例の70万枚を売り上げます。

 このアルバムはソテジワアイドゥルのメンバーでYGの元代表ヤン・ヒョンソクとDEUXのイ・ヒョンドの共同プロデュースで、「말해줘」(Tell me)はイ・ヒョンドが、もう1つのタイトル曲「Gasoline」はヤン・ヒョンソクが作詞作曲をしています。「말해줘」(Tell me)の動画に出てくる女性ボーカルは、現在も最前線で活動する女優で歌手のオム・ジョンファです。昨年、前述の『遊ぶなら何する?』の企画でイ・ヒョリやラッパーのJessi、MAMAMOOのファサと共に「REFUND SISTERS」(払戻し遠征隊)を結成し、「DON'T TOUCH ME」という曲をリリース、大ヒットしました。

■S.E.S. - 너를 사랑해 (I Love You、君を愛してる) (1998/11)

 97年にデビューしたSMエンタテインメント所属、3人組女性グループS.E.S.の2枚目アルバム『S.E.S. 2』の後続曲「너를 사랑해」(I Love You)です。

 S.E.S.は追って紹介するFin.K.Lと共に、今までのK-Popに多大な影響を与えたグループで、90年代のガールズグループブームの主役であり出発点となりました。当時韓国にガールズグループという概念がなかったわけではないですが、ヒットを生むのは難しく、SMエンタテインメントは時間とお金をかけてS.E.S.を準備しました。

 若い女性たちがH.O.T.やSechs Kiesに熱中し、海外ではTLCやSpice Girls、日本でSPEEDなどが大ヒットしている中で登場したS.E.S.は、遠巻きでアイドルブームを見ていた男性たちにタイミング良くはまり、デビュー直後から人気は爆発します。デビュー曲の「I'm Your Girl」も少しNJSみのある曲です。

 2002年にグループは解散しますが、デビュー20周年記念として17年にアルバム『Remember - S.E.S. 20th Anniversary Special Album』がリリースされ、収録された「한 폭의 그림」(Paradise)は見事なNJS楽曲でした。

■유승준 (Steve Yoo) - 열정 (Passion、情熱) (1999/05)

 97年にデビューしたソロ歌手スティーブ・ユーの3枚目アルバム『Now Or Never』のタイトル曲「열정」 (Passion)です。このアルバムは、チョ・ソンモ、H.O.Tに続き99年のレコード販売枚数3位となるほど大ヒットします。

 スティーブ・ユー(ユ・スンジュン)は韓国で生まれ、13歳の時に家族でアメリカに移住します。歌手を夢見て韓国の企画会社に売り込みをし、20歳の時に契約が決まり、再び単身韓国に戻ります。97年に「가위」(悪夢)でデビューし、複数の音楽番組で1位を獲得、その後リリースする6枚目のアルバムまで連続で大ヒットします。4枚目アルバム『Over And Over』のタイトル曲「비전」(飛展)もNJSです。

 当時、一部の若者には日本のビジュアル系が流行し髪を長く伸ばす人もおり、中学高校などでは頭髪規定が厳しく、取り締まり問題も取り沙汰されましたが、スティーブ・ユーの人気が増したことで坊主が大流行します。ドラマやバラエティ番組などにもたくさん出演し、テレビ番組を通して謙虚で礼儀正しく、運動もでき何にでも熱心な姿を見せ、一方で話すとコミカルで近所のお兄さん的な身近さがある、という完璧とも言える印象で、文字通り老若男女から愛される芸能人となります。

<兵役法改正にも影響を与えた、アメリカの市民権取得>

 当時の人気を象徴するのが、2001年釜山で行われた日韓ワールドカップの組み合わせ抽選会で韓国伝統芸能やオペラなどと一緒にスティーブ・ユーがパフォーマンスをしたことでしょう。しかし02年に彼がアメリカの市民権を取得したことで、公益勤務要員(※3)が決まっていたのにもかかわらず、それを避けるためではないかとの疑惑が広がり、世論はヒートアップします。

 最終的に国は彼に韓国への入国禁止措置を取ります。普段の品行方正な印象やインタビューなどで兵役に行くと答えていたこともあったため、余計に世間の目は厳しく、これをきっかけに「ユ・スンジュン」と呼ばれていた彼は「スティーブ・ユー」と呼ばれるようになったわけですが、後の兵役法改正にも影響を与えるほどとなります。

 これまで男性芸能人は兵役免除や社会服務要員となることが多かった風潮も一変し、近年は兵役に行かなくてよい外国籍の芸能人が兵役に行ったりと、非常にデリケートな問題ではありますが、外から見ていると、どんどん生きるのに窮屈な社会になってきているように見えます。

※3:兵役に行く前に受ける徴兵検査で、健康状態などの理由から軍隊に入って役務をこなせないと判断された場合に割り振られる区分。現在は社会服務要員と呼ばれており、一般的なのは役所などに勤務するもの。自宅から通うことが義務付けられており、勤務時間も通常9時〜18時なため、軍隊に入るよりはプライベートな時間を確保できるといわれている。

 ユニット名のTashannie(タシャニ)は先述のUptownのメンバー、ユン・ミレ(Tasha)とカナダ系韓国人で振付師のイ・スア(Annie)の英語名を組み合わせたものです。デビューアルバム『Parallel Prophecys』のタイトル曲「참을 수 없어」(我慢できない)に続く後続曲が「경고」(警報)です。アルバムのプロデュースはUptownのチョン・ヨンジュンが担当し、収録曲の作曲をヒット曲メイカーのパク・グンテ、Bighitエンタテインメント創始者のパン・シヒョクなどが担当しました。

 活動がH.O.T、Fin.K.L、S.E.S、Sechs Kies、Baby VOXなどの大御所とかぶり、あまり成績は振るいませんでしたが、「경고」(警報)がリズムゲーム「Pump It Up The O.B.G.」に収録され、このゲームがゲームセンターで大ヒットしたため、カラオケなどでも人気が出ます。

■브로스 (Bros) - 윈윈 (Win Win) (1999/10)

 先述のRoo'Raのメンバーであるイ・サンミンが当時のYGファミリーに対抗し、デビュー前の新人アーティストたちを広報する目的で作ったといわれるブロスのデビュー曲「Win Win」です。

 Roo'Raのメンバー4人、Roo'Raメンバーのチェ・リナを中心に作られた女性3人組グループ・디바(Diva)、男性5人組グループ・엑스라지(X-LARGE)、女性4人組グループ・샤크라(Chakra)のメンバーがおり、その後Chakraはデビュー65日で地上波音楽番組1位を獲得するなど、当時の3大ガールズグループ(S.E.S.、Fin.K.L、Baby VOX)の記録を破ります。

■2000 대한민국 (2000 Republic of Korea) - 아름다운 21C (Beautiful 21C、美しい21世紀) (2000/01)

 韓国初の正式にリリースされたHiphopコンピレーションアルバム『1999대한민국』(1999大韓民国)に続く第2弾シリーズ『2000 대한민국(大韓民國)』の収録曲です。

 『1999大韓民国』はX-Teenというユニットを中心に、ユン・ミレの夫TigerJKが所属するDrunken Tiger、Uptown、ソテジワアイドゥルのメンバーであるイ・ジュノが所属したHoney Family、現在『SMTM』(Show me the money)シリーズのMCを務めるキム・ジンピョ、Bobby Kimなどメジャーで活動していたラッパーを中心に34人が参加しています。Honey Family名義の「우리같이 해요」(一緒にやろうぜ)はマイクリレー曲にもかかわらず、音楽番組で良い成績を収め、約3年間のHiphopコンピレーションアルバム制作ブームのきっかけとなります。

 実は「2000 대한민국(大韓民國)」というタイトルのコンピレーションアルバムは、シンナラレコードから出たものと千里眼(現在のNaverのような、当時PC通信サービスを運営する会社)から出たものと2つあり、「아름다운 21C」(Beautiful 21C)が収録されているのはシンナラレコードからリリースされたものでした。

 『1999大韓民国』の時に参加したラッパーたちがどちらにも散らばり、自分たちが元祖2000大韓民国だと主張する騒動も起き、明確に勝敗が決まったわけではありませんが、千里眼からリリースされたものを元祖とすることが一般的になります。歌詞がいわゆる愛国歌のような内容で、どの国でもHiphopというジャンルにはこういう精神が反映されるものなのだな、と思わされます。

■핑클 (Fin.K.L) - 나우 (Now) (2000/10)

 98年に大成企画からデビューした女性4人組グループ、Fin.K.L(ピンクル)の3枚目アルバム『Now』のタイトル曲です。大成企画は現在のDSPmediaの前身で、Fin.K.L以外にもSechs KiesやSS501、KARAなどが所属し、90年代後半の歌謡界は“SMエンタテインメントかDSP”と言われるほどでした。現在はAPRILやKARDなどが所属しています。

 Fin.K.Lは冒頭で紹介したイ・ヒョリがリーダーを務め、女性アイドルグループとして「初」の記録を多数残すグループです。例を上げると、このNowで見られるスーツコンセプト、歌謡大賞の受賞、単独コンサート、平壌公演、ドラマOST参加、コンサートDVD発売などがあります。デビューから20年以上経った今でもロールモデルとしてFin.K.Lを挙げる人がいるぐらいで、後の「アイドル」という概念に多大な影響を与えたグループです。

 当時のプロモーション画像が見られる動画などを見ると、日本の女性グループや、主にSPEEDなどから多大な影響を受けてそうだなと感じます。

 『Now』以前は妖精、かわいさ、親近感などをコンセプトに売ってきましたが、『Now』ではセクシーでかっこいい方向にコンセプトをシフトチェンジします。今のK-Popであれば曲ごとにコンセプトを変えることはそこまで珍しいことではないですが、当時は大挑戦だったといわれています。しかしアルバム『Now』は2枚目のアルバムに劣らない大ヒットを飛ばし、コンセプトのおかげか女性ファンも増加します。

 2002年から個人活動がメインになり、メンバーそれぞれの所属事務所も別々になりますが、現在も解散という発表はしておらず、19年には「남아있는 노래처럼」(残っている歌のように)という曲をリリースします。

■디베이스 (D.BACE) - 모든것을 너에게 (Everything to you、全てを君へ) (2001/05)

 DEUXのイ・ヒョンドが作った男性5人組グループ、D.BACE(ディベース)のデビューアルバム『D.Bace』のタイトル曲です。「모든것을 너에게」 (Everything to you)はヒットし新人賞も取りますが、2枚目のアルバム『GO』では大きな反応は得られず、空中分解してしまいます。

 00年にSechs Kies、01年にH.O.T.が解散してからは、今まで紹介してきたようなHiphop、ダンスミュージック一辺倒だった歌謡界は歌い上げるバラード中心になり、音楽番組も生歌重視になったため、神話以外の歌とパフォーマンスをメインにする男性グループはほとんど受け入れられない時期だったそうです。

■주석 (Joosuk) - 정상을 향한 독주2 (Solo proceed to the top、頂上への独走2) (2003/11)

 韓国アンダーグラウンドHiphopの帝王と呼ばれたラッパーでありプロデューサーのジュソクの3枚目アルバム『Superior Vol. 1 This Iz My Life』のタイトル曲です。「2」とついているように、1の原曲は前述『2000大韓民国』の千里眼からリリースされたほうのアルバムに収録されています。聞き比べるとわかりますが、原曲の方はビートがかなりシンプルで、2のほうが聞きやすくなっています。

 幼少期に日本に住んでいたことがあり日本語が堪能で、日本のHiphop界ともつながりがあり、活動初期のアルバムにはOZROSAURUSのMACCHOやZEEBRAなどが客演しています。

 12年、Mnetで始まったラップサバイバル番組『SMTM』のシーズン1でプロデューサーを務めて、LOCOと共にWonder GirlsのLike Thisのトラックでステージを披露し、観客投票1位を獲得します。

 今回は00年代前半までを紹介しましたが、これ以降はHiphopやR&Bジャンルの楽曲でも電子音が多く取り入れられ、NJSの特徴の16分3連符が主体のスウィングビートは減り、はっきりとNJSと言える楽曲はほとんど見られなくなります。

 NJSという切り口からの特集でしたが、90年代に最低限押さえておけば大丈夫そうなアーティストは、ほとんど言及できたと思うので、いかにこの時代にNJSがはやっていたかがわかると思います。

 今回紹介した人たちのルーツが韓国だけでなく、主にアメリカなど複数国にまたがっていることが多いのも気になる点でした。そのような人たちが韓国にHiphopなどのいわゆるブラックミュージックを浸透させることにかなり寄与していそうですし、現在もK-PopがHiphopやR&Bベースな楽曲が多いことにも関係しているのではないかと思います。

 ちなみに韓国では自国外に住む韓国人・同胞のことをキョッポ(교포、僑胞)と呼び、在米の場合はチェミキョッポと言います。今回さまざまな文章を読みましたが、"キョッポ"の頻出度合いはすごかったです。

 また、現在活動するアーティストでそのような人を時々見かけていましたが、生まれてから今までずっと日本に住んでいる自分にとって、親の会社の海外赴任とかではなしにアメリカに移住し、さらにまた韓国に帰って来たり、アメリカで生まれても韓国に行ったりするという感覚がイマイチピンとこなく、そういう部分の歴史的背景、文化、心理などがわかればもう少し解像度の高い解説ができたかなと思います。

 引用したYoutubeのステージ動画はほとんどがテレビ局の公式アカウントからアップされており、アーカイブという観点から非常に有用なものだと思うので、権利関係などが難しいのはもちろんですが、いろいろな国でやって欲しい試みだなと思いました。またテレビ番組のステージ動画を中心に掲載したため、NJSじゃなくない? と思う曲もあるかもしれませんが、当時は生演奏などもあり実際の楽曲とは少し違うように聞こえることもあるので、原曲を探して聞くと納得してもらえると思います。

落選したけど……紹介したい1曲:온앤오프 (ONF) - Beautiful Beautiful

 いまさら紹介する必要もないような気もしますが、9月の記事で紹介した、ONFの正規アルバム『ONF: MY NAME』のタイトル曲です。デビュー直後の彼らの楽曲は大好きで、ここ最近のタイトル曲はそこまでピンと来ていなかったのですが、ここに来てアルバム丸ごと最高のものが来てしまいました……。

 公式の文章では、「前のアルバムが平行世界の中でもう一つの時間旅行に出たユートピアでのエピソードだったとすれば、今回は統制された未来での自由を求める少年たちの青春という名の話」となっています。コロナ禍をかなり意識したものになっており、アルバム丸ごと、是非歌詞の意味を調べながら聞いてほしいです。

<近況>

 最近はタイポップとアイドルグループが出演する映画にハマっています。PiXXiEとP1Harmonyが出演する、『P1H:新しい世界の始まり』をよろしくお願いします。

このニュースに関するつぶやき

  • このJ.Y.Park氏。実際は「朴 軫永」氏なのだから「パク」がいいんじゃないか? 最近日本のメディアでは「パーク」と発音する向きが多い気がするが。
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