希代のグルマン小泉武夫、「茹でるとなまらうまい!」ヤツを食す

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2021年03月05日 17:00  AERA dot.

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写真小泉武夫氏
小泉武夫氏
 発酵の摩訶不思議な世界に人生を捧げ、希代のグルマンとして世界中を旅してきた小泉武夫さん。定年後の第2ステージに選んだのは、北海道石狩市。連載6回目は、スジエビのほか、意外な存在が実は「茹でるとなまらうまい!」と判明!。それらを豪快に食べ尽くす、グルマンの姿が躍動する。

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 昔は大変な暴れ川であった石狩川は、河口付近の生振、花畔、篠路あたりの数箇所で大きく曲がって大雨のたびに川が氾濫した。そのため大正七年(一九一八)に生振捷水路の建設が始まり、昭和六年(一九三一)にそれが完成し、石狩川は真っ直ぐ流れる新しい水路に導かれた。

 するとそれまで曲がっていた川の部分は取り残されて、旧石狩川という名前になる。そこに水は流れ込まないので、陸封されて三日月湖となった。その湖を昔の地名をとって茨戸川と呼んでいる。石狩市、札幌市、当別町にまたがった湖で全長は約二〇キロメートルである。「茨戸」の語源はアイヌ語の「パラ・ト」(広い沼)よりきた。この茨戸川と呼ぶ湖にはワカサギ、ヘラブナ、チカ、カワガレイ、モクズ蟹など多くの魚介類がいて、周囲にはこれらを漁って生計を立てている漁師もいる。

 秋になると、三日月湖の辺りでひと月前まで咲いていたハマナスが真っ赤に染まった果実を付けるころ、湖上には真鴨や真雁が渡りの準備にやってくる。私がこの頃の三日月湖がとても好きなのは、親船研究室の近くに住む川漁師の愛称「トムさん」が、時々活きているザリガニとスジエビを研究室に届けてくれるからである。

「トムさん」の姓名は畑山勉さん六五歳で、名前の「つとむさん」が「トムさん」に愛称されたらしい。木製の一人乗りの小船に、キャリーハンドル付きのエンジンを固定したべか船を持っている。この人との出会いは、トムさんが朝、漁をして船着き場に戻ってくると、私は時々漁の成果を見に行って、そこで会話をしたのがきっかけであった。その後は道で会っても談笑する仲になっていた。いつも頭に手ぬぐいでねじりはちまきをし、吊りバンドの付いた防水ウェーダーを着装していて、川漁師そのもののトムさんなのである。

 この茨戸川、通称三日月湖ではスジエビがよく獲れるので、トムさんはこのエビの漁も得意としていた。スジエビは別称カワエビとも呼び、テナガエビ科に分類される体長四〜五センチのエビである。脚が長く両方の鋏もヌマエビに比べて大きく、目は左右に突び出し、灰白色の半透明で、黒い横縞が体の各所に入っているためこの名がある。昼間は石の下や水草の茂みの中に潜んでいて、夜になると動き出す。

 トムさんは夜、大型タモ網を持って漁場へ行き、水辺に沿って繁る草の茂みに下からそっとタモ網を入れて掬い上げて獲る。また、あらかじめ何日か前に川べりに沈めておいた枯草や枯枝を突然持ち上げ、落ちてくるエビを網で受ける「しばづけ漁」でも獲るのである。そして、獲ってきたエビは川魚専門の食品会社に納め、大概は甘露煮や佃煮にされて出荷されるとのことである。また、このエビはヌマガレイやウナギ、ナマズ、カワマスなどの川魚や海の魚の格好の釣り餌としても使われているので、結構いい仕事になるのだということである。

 朝早くには川霧の起つ十月初旬、船着き場に行ってみると、トムさんが漁から帰ってきたばかりだった。頭にねじりはちまき、体は吊りバンドの付いたウェーダーを着装し、口にくわえる煙草で相変わらずのトムさんである。

 私が、
「エビかね」
 と聞くと、
「そだねーエビだわ」
「いっぱいとれた?」
「まーまーだわな」

 と言って、大きな竹籠に入れたエビをべか船から抱えて下りてきた。私は駆け寄って籠をのぞくと、その中には灰白色で半透明、長さ五センチほどのスジエビがびっしりと重なって層を成し、一番上のエビはあちこちでピョコンピョコンと跳ねている。

「あ、ほだほだ。先生よ、いいものあげるわ」
 と言って再びべか船に戻り、急いでバケツを下げてきた。
「これザリガニだわ。エビと一緒に網に入ってきたんだっけさ」
 と、それを見せてくれた。
 バケツの中にはやや黒みを帯びた赤っぽいザリガニが十匹近くゴソゴソと蠢いている。
「これ持っていって茹でて食べれや。なまらうまっけさ」

 といって私にバケツごと渡してくれた。三日月湖にアメリカザリガニがいることは、子供たちがよく釣っていたのを見ていたので知ってはいたが、茹でて食べるとすごくうまい、とは嬉しい話である。

 私はトムさんに礼を言うと、急いで研究室に戻り、鍋に湯を沸かしてザリガニを茹でた。沸騰した湯で十分ほど茹で、笊にとると、そのザリガニは燃えるような鮮やかな赤色をしていた。数えてみると全部で十一匹もあった。朝から、研究室で茹で立てのザリガニが味わえるなど思ってもいない幸運が舞い込んできたので、心ときめかせ賞味することにした。先ずは、一尾の鋏の部分を左手でつまみあげ、胴の方を右手でつまんですっと静かに左右に引っぱると、首のつけ根から鋏、頭部は左手に、胴部と脚や尾の付いている方は右手に残った。

 そこで先ず頭部の方をしゃぶってみようと、その裂け口に口をつけ、舌でペロペロと舐めたりチュウチュウと吸ってみると、中から真っ黄色いいわゆる蟹味噌が出てきて口中に広がった。その味はとても優雅で、ペナペナとしたコク味もあって絶妙であった。

 一方胴の方は脚を去り、殻をむしり取って出てきた真っ白い肉身を口に入れて噛むと、ポクポクとした歯応えの中からエビや蟹に特有の、あの甘いうま味がチュルチュルと湧き出してきたのであった。それにしても、アメリカザリガニがこんなに美味しいものとは、あらためて見直しながら、そのときは全部のザリガニを平らげ、大満足の朝食であった。

 冬、茨戸川は全面にわたって結氷する。これほど大きな三日月湖が氷に閉ざされ、白銀の世界へと変身する。そして、この白銀の世界に、ほどなく赤、黄、緑といったとてもカラフルなテントの花が咲くことになる。この三日月湖は、ワカサギの棲息数では北海道有数を誇り、多くの人が凍結する氷上で釣りを楽しむのである。
 ワカサギ釣り真っ盛りのある日曜日、私は親船の水産加工場で働いている二人の若者に誘われて生まれて初めて氷上でのワカサギ釣りを体験した。 (続く)

■小泉武夫(こいずみ・たけお)/ 1943年、福島県生まれ。東京農大名誉教授で、専攻は醸造学、発酵学。世界各地の辺境を訪れ、“味覚人飛行物体”の異名をとる文筆家。美味、珍味、不味への飽くなき探究心をいかし、『くさいはうまい』など著書多数。

※週刊朝日  2021年3月5日号から抜粋

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