1980年代と1990年代は、オランダサッカー界の黄金時代だった。PSVには、元オランダ代表のフィリップ・コクー氏やルート・ファン・ニステルローイ氏などが在籍。後にヨーロッパのビッグクラブで活躍することになる名選手たちが数多く揃っていた。フィリップスの名前は、今も本拠地『フィリップス・スタディオン』に残ってはいるが、ユニフォームの胸部分には掲載されていない。『Four Four Two』は『PHILIPS』の文字について「完全にユニフォームと一体化していると思えるほどだった」と、その馴染み具合を評している。
■7位 ニューカッスルと『NEWCASTLE BROWN ALE(ニューカッスルブラウンエール)』
掲載年数:1994年〜2000年
ニューカッスルブラウンエールは間違いなく、イングランド北東部で最も愛され、認知されているブランドだ。掲載年数は1994年〜2000年と決して長くはなかったが、その期間はニューカッスルにとって実に濃密な時間だったといえる。元イングランド代表のアラン・シアラー氏やレス・ファーディナンド氏、元コロンビア代表のファウスティーノ・アスプリージャ氏、元フランス代表のダヴィド・ジノラ氏など、クセのある面々が『NEWCASTLE BROWN ALE』のロゴとともに戦った。
■6位 アヤックスと『ABN−AMRO(ABNアムロ銀行)』
掲載年数:1991年〜2008年
ABNアムロ銀行は、オランダ・アムステルダムに本拠を置く大手投資銀行である。『Four Four Two』曰く「アヤックスのユニフォームの伝統的なスタイル、つまり中央に赤、その両側に白のブロックが走っていることを考えると、文字を垂直にするという決定は非常に理にかなっている」とのこと。1990年代はアヤックスが旋風を巻き起こした時代で、元オランダ代表のパトリック・クライファート氏やラファエル・ファン・デル・ファールト氏、元スウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモヴィッチら錚々たるメンバーが『ABN−AMRO』を胸にプレーしている。
■5位 リヴァプールと『Carlsberg(カールスバーグ)』
掲載年数:1992年〜2010年
カールスバーグは、デンマークのビール醸造会社。18年にもおよぶ契約期間は、プレミアリーグのクラブが一つのブランドと取り交わしたスポンサー契約としては最長だ。『Four Four Two』は「カールスバーグは、リヴァプールがプレミアリーグのタイトルを獲得するのを見たいという切実な希望を持って、長い間契約を結んでいた可能性がある。悲しいかな、デンマークのビールブランドは2010年にその夢を諦めてしまったが」と推測している。ただ、リヴァプールは2004−05シーズンのCL決勝で、ミランを下してビッグイヤーを獲得。表彰台に立つ選手たちのユニフォームには、たしかに『Carlsberg』の文字があった。
アレックス・ファーガソン監督に率いられた“赤い悪魔”が、『カンプ・ノウ』で行われた1998−99シーズンのCL決勝でバイエルンを下してビッグイヤーを獲得した時、ユニフォームにはたしかに『SHARP』の文字があった。『Four Four Two』はこのスポンサー契約について「1970年代に、日本の電子機器会社がマンチェスターのニュートン・ヒース地域に工場を作った時から、その関係性が始まった」と紹介している。元アイルランド代表のロイ・キーン氏、元イングランド代表のデビッド・ベッカム氏、ポール・スコールズ氏、元フランス代表のエリック・カントナ氏、元ウェールズ代表のライアン・ギグス氏、元デンマーク代表のピーター・シュマイケル氏――。『SHARP』の文字を胸につけて戦った選手たちの豪華さは、他の追随を許さない。
■2位 フィオレンティーナと『Nintendo(任天堂)』
掲載年数:1997年〜1999年
もう一つの日本企業スポンサーが、2位にランクイン。特筆すべきは、その掲載年数の短さだ。フィオレンティーナのユニフォームの胸部分に『Nintendo』の文字があったのは、1997年〜1999年にかけてのわずか2年間。『Four Four Two』は「とても短かったが、ああ、何て甘美な記憶だ!」と、このパートナーシップを興奮気味に評している。また同誌は、「FILAによって製造されたフィオレンティーナのアシッドパープルのキットは、サッカー界で最もクールなものだった。約10年間で劇的にゲーム性を変えたコンピューター・コンソールが胸スポンサーに加わることで、ユニフォームはさらに素晴らしいものになった」としている。このユニフォームを見れば、元アルゼンチン代表のガブリエル・バティストゥータ氏の“バティゴール”がすぐさま目に浮かぶことだろう。