女官と皇后VS侍従長のバトル開戦!? 皇室の難題「おつとめ」めぐり、宮中が大荒れのワケ

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2021年03月06日 20:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

前回まで――昭和時代、宮中では「魔女狩り」が行われていた。「魔女」として追放されたのはひとりの女官。そのウラで手を引いていたのは、マスコミに持て囃された人気者、侍従長・入江相政氏でした。この入江氏によって、一人の女官が「魔女」と呼ばれ、宮中を追い出されることになるのですが、その結末を呼ぶことになった両者の“バトル”とは……?

――昭和天皇は、歴代天皇の中でもナンバーワンといわれるほど、宮中祭祀にご熱心だったのですね。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 実は、昭和天皇が祭祀にひときわご熱心になったのは、敗戦してからなのです。それまでは、祭祀に必須の長時間の正座ができず、母宮にあたる後の貞明皇太后から注意をお受けになったことも。

 一方、その貞明皇太后が祭祀に熱心になったのは、関東大震災が起きたり、大正天皇が若くして脳の病で崩御なさった後からのことです。ここから何か、見えてくることはありませんか?

――何か、凶事や不祥事があると、それを皇室の祈りでカバーしなくてはならないというようなことですか?

堀江 そうなんです。すべてに対する責任を、皇室の方々は身を持ってお感じになりがちで、その重責は計り知れないこともわかります。

 令和時代の皇室も、平成の時代よりは、宮中祭祀に距離があるという報告を読んだことがあります。これは、明治以降、何回目かの皇室のチャレンジでもあるのです。とにかく宮中祭祀は非常に難しい問題なのです。

――その難題である祭祀が、魔女狩りにつながっていく……と。

堀江 昭和時代、皇后様のお気に入りでありながら、一部からは魔女と呼ばれた女官・今城誼子さんが、宿敵である入江侍従長と直接バトルした記録はありません。それを今城さんが避けていたような気配はあります。

 今城さんは、自分の主張――「祭祀には絶対に手を抜いてはならない」を通すために、当時、すでに体調不良だった皇后様を説き伏せるのです。そして、自分の主張を皇后様の主張として、入江侍従長に「祭祀をやれ」などとぶつけてくるわけです。

 宮中はタテ社会ですから、皇后様の意向となれば入江氏も従順にならざるを得ない。そういう戦い方で、自分の意見を通そうとしてくる今城さんが、入江氏にとっては不愉快だったのかもしれません。

――直接は言わない、言えない、というのが宮中っぽいですね。

堀江 侍従長のほうが、ひとりの女官よりも立場は上ですしね。一方、皇后さまも侍従長ではなく、天皇陛下と直接に祭祀については対話なさったらどうか、と読者は思うかもしれません。

 しかしそれは、われわれ民間人の感覚。とくに祭祀という天皇のきわめて重要な“おつとめ”に関して、皇后が何か天皇にアドバイスをする、もしくはお願いするというのは絶対NGの越権行為なのです。

 そんな中、昭和45年(1970年)の5月30日には、皇后さまと入江侍従長の間に激しいバトルがあったそうです。原因は、年に2回に減らされた、宮中祭祀の一つである「旬祭」を、毎月に戻してほしいという(今城さんの意向を受けた)皇后様に対し、入江侍従長が反論したこと。

――あら、しっかりと反論したのですね。

堀江 当時、天皇皇后両陛下の戦後初のヨーロッパ外遊に向けての準備などもあって、時間的に祭祀を増やすことは無理という理由を、入江氏いわく「洗いざらい申しあげ」たのだそうです。

 「天皇陛下の祭祀の時間を増やしたいのはなぜですか?」と入江氏が質問すると、皇后さまからは「日本の国がいろいろと、をかしい」(原文ママ)ので「それにはやはりお祭りをしっかり遊ばさないといけない」とのことでした。

――日本の国がおかしい……つまりその責任は、昭和天皇のご祭祀が足りていないから、その神罰だという考えでしょうか?

堀江 はっきり言うとそうです。実際、この頃の入江氏の日記(『入江相政日記』朝日新聞社)には、デモのため、宮内庁からの退庁時間が後にずれるというような記述もしばしば出てきます。学生運動も盛んだったころですね。皇居の中にいても、世間がザワついていて、それがあまり皇室にとって好ましいものではないことはヒシヒシと感じられたはずです。

 戦後、皇室は外国からの圧力を受け、伝統の多くを変えざるをえなくなりました。皇族の一部を臣籍降下させたように、このままでは皇室自体もいつか淘汰されてしまうのではないか……という恐れは確実にあったと思います。

 ただ、70代を迎えた昭和天皇には健康不安が高まっており、われわれが想像している以上に大変な祭祀の儀式にどこまで付いていけるかどうかの不安が出てきていました。

 ちょうど平成の時代、退位問題を話し合った有識者会議で「公務などはほかの皇族にまかせ、天皇は宮中で祭祀を行っていらっしゃれば十分」といったような、祭祀を比較的軽く受け取っているような“有識者”の声が多数出たことを思い出しますが、むしろ「逆」なんですね。

――祭祀ほど厳しく大変なものはない、ということでしょうか……。

堀江 そうです。たしかに第二次世界大戦後、天皇皇后両陛下および皇族の方々の「ご公務」と、「宮中祭祀」は完全に別枠になりました。また、両陛下の「いのり」こと宮中祭祀については、内容がほとんど一般公開されない神聖なものですから、両陛下以外の方は、ほとんど理解できなくて当然かな、とは思いますが……。

 現代は、さすがに多少の変化があるかもしれないのですが、儀式が執り行われるのは、なんの空調設備もないお部屋です。厳寒・酷暑関係なくそこで、何時間も正座のままで、しかも形だけこなすのではなく、精神を集中しての儀式が続くのですね。

――すでに健康不安のあった昭和天皇にとっては、儀式は大変なものであったと想像できます。

堀江 儀式の途中、正座を続けているのが困難になって、前にうつぷしてしまわれるというような“事故”もあったそうです。こういうこともあって、入江侍従長は祭祀より御研究所での学者としての「おつとめ」を重視したところがあります。一種のすり替えですね。学者としての活動も、古来から重視されてきた天皇の「おつとめ」ではありますが。

 「お上(=天皇陛下)はお大事なお方、お祭りもお大事だが、お祭りの為にお身体におさわりになったら大変」という入江侍従長に対し、女官の今城に影響された皇后陛下は「私が(天皇陛下ができないなら、そのかわりに祭祀を)やろうか」とまでおっしゃったこともあったそうです(昭和45年の大みそかの入江氏の日記に書かれた“補遺”より)。

 いくら皇后陛下であったところで、女性が執り行えない儀式というものが、宮中には厳然としてあります。昭和天皇ご本人も儀式を簡略化することに対し、非常に難色を示されたのですが、入江氏の説得を受け入れざるをえなかったのです。

――民間では、形式よりも心が大事などとも言うのですが、皇室では通用しませんか?

堀江 その考えは皇室の祭祀ではまったく通用しません。心が変わってしまっているから、形式を簡略化しようとする=ラクしようとすると考える厳しい世界です。

 ただ、「儀式を強化すべき」と言っていた、自他ともに厳しい貞明皇太后も、還暦を過ぎてからは、儀式途中に粗相がありうるだろうから、それでは神様には申し訳ない、控える、ともおっしゃっていたそうです。

 平成時代の天皇陛下のご退位の問題も、煎じ詰めれば、この手の自粛とは無縁ではないでしょう。要するに、古来の儀式を厳然と執り行うには気力・体力が必要で、やはりこの手の問題を重視すればするほど、天皇が高齢となった場合の退位は必然的な問題となってくるのかもしれない、と私などは思うのですが……。

 このことが、今城さんと入江侍従長の間にあった大きな溝なのでした。

――次回に続きます!

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