ついに完結『シン・エヴァンゲリオン』、今度こそ私たちのエヴァ体験は補完できるのか?

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2021年03月07日 16:30  週刊女性PRIME

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丸の内TOEI(公開前)

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(以下『シン・エヴァ』)が3月8日、ついに公開される。

『エヴァンゲリオン』がついに完結を迎えるのだ。待ちに待たされたファンにとって「こんなにうれしいことはない」(←『ガンダム』のせりふで祝う)。

 テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(以下『エヴァ』またはテレビ版/全26話)が放送されたのは今から26年前(1995年10月4日〜1996年3月27日)のこと。

 水曜の18時半からテレビ東京系で放送され、平均視聴率が7.1%と平凡な数字だったため、見ていたのはアニメファンだけと思われていたが、放送終了前に開始されたビデオレンタルや、深夜帯の再放送を通じて『エヴァ』の人気は口コミで広がっていく。旧劇場版と呼ばれる最初の映画『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(1997年3月15日公開/詳細は後述)の前売り開始時に、限定2万枚のテレホンカード付き前売り券を購入しようと映画館に群衆が押し寄せたことでメディアが報道、ブームが一気に可視化された。

 放送終了後の『エヴァ』の影響力は凄まじく、社会現象と呼ばれるまでの大ヒット作に化けていくことに。その影響は国内外、アニメ作品にとどまらず、映画やドラマ、あらゆる映像作品に多大な影響を与え続けてきた。

 1995年といえば、1月に阪神・淡路大震災が、3月にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生し、バブル経済の崩壊後もその余韻がまだ残っていた日本社会に大きな衝撃を与えた年だった。また、Windows 95の発売が引き金となり「インターネット元年」と呼ばれた年でもある。そんな時代の変換点に『エヴァ』は私たちの前に現れた。

 当時、『エヴァ』は私たちに大きな興奮と熱狂をもたらした。その魅力は語り尽くせいないが、ミリタリー、SF描写、特撮的なアニメ表現はもちろん、考え抜かれた脚本、その言葉の選択には毎回、感心させられた。テレビ版の終盤で登場するカヲルくんが実は第1話からのオープニングに隠れていると知って驚いた。包帯を巻いたヒロイン(綾波レイ)にも萌えたファンも少なくない。魅力的かつ洗練されたキャラクター、斬新なメカニックデザイン、伏線をちりばめたストーリー設定、作り込まれた細部への計算……最終2話を迎えるまでは私たちのワクワク感は高まる一方だった。

 ところが、あの最終2話、斬新すぎる第25話と第26話によって、私たちの補完できない大きなモヤモヤ(心の闇)が生まれてしまった。

 テレビ版の最終回では物語としての結末は描かれなかった。最終2話は物語形式ではなく、アニメ表現論(線画・絵コンテ・脚本・学園ものなど)やセミナーのような映像で構成された主人公・シンジの心理描写だけがなされる奇抜なものだった。

 当時のファンの困惑は相当なもので、ネット(当時はチャットや電子掲示板)は炎上し、物議を呼んだ。書き込みは作品への悪口雑言(あっこうぞうごん)であふれ、庵野監督への殺害予告が書き込まれるほどだったという。それでも次々発売される映像ソフト(当時の主流はVHSビデオとレーザーディスク)は売れ続けた。

違和感と不快感で満ちた「旧劇場版」

 そして、旧劇場版の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(前出/以下『シト新生』)ともう1本、完全新作の劇場版の製作が発表(1996年11月1日)される。

 当初、『シト新生』は、総集編の『DEATH』編と、第25話と第26話を完全新作する『REBIRTH』編で公開される予定だったが、公開1か月前(1997年2月14日)に緊急記者会が開かれ庵野監督が謝罪、製作が間に合わず、25話の途中までの上映になること、夏に改めて完全版の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を公開することが発表される。前売り券は『Air/まごころを、君に』でも使えるという措置がとられた。これらの影響もあり、後に庵野監督が『進撃の巨人』そっくりの内容だったと語った、もう1本の完全新作の劇場版は、幻の作品となってしまう。

『シト新生』は、最高にかっこいい貞本義行のイラストポスターとは大違いの、満たされないモヤモヤが増すだけの映画だった。ファンは夏まで待たされたうえ、『シト新生』を見た人々は、再び映画館に足を運び、すでに見た映像が約28分もある映画を見るハメに。

 そして1997年7月19日、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』が公開。やっと完全な結末が見られると思っていたファンの期待は、またしても見事に裏切られる。

 テレビ版の最終回は、葛藤から開放され、仲間に祝福されるシンジの笑顔で終わる。「おめでとう」そして「ありがとう」という、あまりに有名なシーン。なのに映画は、最後にアスカが吐き捨てるセリフと同じ「気持ち悪い」ものになっていた。旧劇場版は違和感と不快感で満ちていた。

 そこには、もう私たちが歓喜したSFロボットアニメ、サービスにあふれた至高のエンターテイメント作品の『エヴァンゲリオン』は存在しなかった。

 キャラクターたちは、テレビ版でのアニメらしい生き生きとした表情とは明らかに違い、どこか生気のない異質な感じの絵柄へと変貌していた。シンジはエヴァに乗ることを拒み続け、やっと乗っても何もしない、戦うそぶりも見せないのだ。不快な表現とグロテスクな描写ばかりが続き、救いのないまま物語は終わってしまう。

 そして、庵野監督は本作の中でファンに向けて「現実へ帰れ」とメッセージを送った。それは、あたかもテレビ版の最終回を見てネット上に暴言をまき散らした者たちへの答え、“復讐(ふくしゅう)”のようにも思えた。

『エヴァ』には、『ウルトラマン』や『ガンダム』、その他にも『謎の円盤UFO』『マジンガーZ』『デビルマン』『犬神家の一族』など、多くのアニメや特撮、映像作品のイメージやテクニックに対する庵野監督の愛、オマージュが見て取れる。

 そうやって苦労して作り上げ、年齢・性別・国を越えて多くの人々を魅了した『エヴァ』を、庵野監督がなぜ、まったく違うテイストの映画へと変貌させたのかは、今考えても理解しがたく、ただただ残念で仕方ない。

“まごごろ”の意味もわからず、私たちのエヴァ体験は補完できないまま終わったのだと思った。

物語の考察・解説がネットに乱立

 だが、14年の歳月を経て『エヴァ』は、全編完全新作の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ(全4部作)として再生された(第1作『序』=2007年9月1日公開、第2作『破』=2009年6月27日公開、第3作『Q』=2012年11月17日公開)

 かつてのテレビアニメの劇場版といえば、『ガンダム』に代表されるようなテレビ版の再編集に、場面のつながりをスムーズにするための数少ない新作カットを追加した、映画なのにテレビサイズのままという低予算感が漂う劇場版がお決まりだった。
(庵野監督もファンを公言する『ガンダム』が、リアルロボットアニメという、まったく新しいジャンルを確立させた傑作であることに、もちろん異論はない)

 放送当時、アナログのテレビサイズのセル画アニメだった作品を、新劇場版では全編劇場用サイズで作り直したのだ。時代とともに進化を遂げたデジタル技術を駆使し、3DCGをふんだんに取り入れた映画ならではの緻密な描写にあふれた作品へと生まれ変わらせた。

 その物語も、ただの再編集版ではなかった。特に第3作、新劇場版『Q』でシンジが目覚めた世界は、前作の新劇場版『破』から14年後、かつてのネルフの仲間たちは反ネルフ組織・ヴィレとなり、初号機をエネルギー源とするヴィレの戦艦ヴンダーに乗り、葛城ミサトが艦長という、まったく新しい物語に突入していく。

「14年後」という数字は、旧劇場版から新劇場版『Q』までの期間だといわれ、新劇場版がテレビ版、旧劇場版、すべての物語をつなぐ設定になっていると、ファンの間では確実視されている。

 そして2021年3月8日、いよいよ14年をかけた新劇場版が完結する。『シン・エヴァ』の予告編が公開されるや否や、物語の考察・解説がネットに乱立している。

「Qとその続きは劇中劇」「初号機VS13号機には、それぞれ誰が乗っているのか」「ロンギヌスの槍VSカシウスの槍とは」「シンジVSゲンドウ、親子の対決」「シンジの目が紫になった意味は」……と、ファンは今もあの日と変わらず『エヴァ』に夢中のようだ。

 私たちが補完できなかった物語の真の結末が描かれるのか。あの日のエヴァ体験は補完できるのか。確認しなければならないシーンがめじろ押しの『シン・エヴァ』だが、映画を見終わったら今度こそ、心から「ありがとう」そして「おめでとう」と拍手がしたい。

 “幸や不幸はもういい”(←業田良家著『自虐の詩』より)、まずは、最後の『エヴァンゲリオン』を見届け、上映時間2時間35分を大いに楽しもうではないか。

文/春原恵 ◎1966年生まれ。漫画編集、週刊誌編集を経て現在はフリーの編集・ライター

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  • 旧作の映画終了後の退館時、数百いた観客は無言だった。外に並ぶ入れ換えの列に同情と憐憫の視線を送りながら、ただ無言だった。
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